モーツァルト《魔笛》| 岸純信のオペラ名作早わかり 〜新時代のオペラ作品ガイド 第1回 

text:岸 純信(オペラ研究家)

序文─連載開始のご挨拶に代えて

オペラを解説し始めて20年経つが、最近つくづく、「小学校の先生の大変さ」に似た気持ちを抱いている。児童教育の目的は、子どもの個性や才能を見極めて長所を掬い上げるところにあるが、オペラ研究家の使命もそれと同じこと。演目ならではの魅力や美点を拾い出したうえで、「どういう人がシンパシーを抱くのか?」とも考え続け、最終的には、作品の一番の価値を自分なりに決めねばならない ──通知表に、学級担任が書き込む所見の如く。

ただし、教育現場では多少の躾が必要になるが、オペラを観る際は、鑑賞する側が演目の個性をそのまま受けとめれば良い。解説し論じるにしても、世界共通である楽譜の内容を頭に叩き込んだなら、あとは「上演の仕方」──料理なら調理法の良し悪し──を見抜くことになる。子育てには細心の注意を払わねばならず、食材にはフグのように毒を含むものもあるが、オペラでは、どれだけ拙い上演でも観客の命を奪うには至らない。せいぜい、後味の悪さに、半日ほどげんなりするだけで済むのである。

ここで、解説者の立場から、「褒めるほうが、貶すよりもずっと難しく、責任が要る」ことをお伝えしておきたい。作品やアーティストを称賛するにしても、弱点や短所を指摘するにしても、具体的な言葉がなくては口にする意味も薄れてしまう。踏み込んだ言葉で伝えないと、人の心には届かない。それゆえ、この連載でも、筆者の実体験をところどころ絡ませつつ、その魅力をじっくり語ってゆきたい。

《魔笛》より「夜の女王」の登場
カール・フリードリッヒ・シンケルによるプロダクション(1815年)

それでは、連載第1回として、モーツァルトの《魔笛》をご紹介しよう。こちらは、ドイツ語のジングシュピール(台詞入りの歌芝居)に属するが、オペラ界では、こうした「台詞入り」の構造を、全編を歌い通す造りよりも、庶民的で砕けたスタイルとみなしている。それゆえ、《魔笛》の世界観は幅広い世代に受け入れやすいもの。筆者が生まれて初めて体験したオペラも、実は《魔笛》であった(1979年5月、高校一年生)ことから、若年層にも親しみやすい演目として、真っ先にとりあげてみたいと思う。

第1回 モーツァルト《魔笛》

【あらすじ】
おとぎ話の体裁のもと、世の善と悪、聖と俗とを追究するオペラ。王子タミーノは王女パミーナと共に成長を遂げ、鳥刺しパパゲーノは伴侶のパパゲーナを得て楽しく暮らし、高僧ザラストロは夜の女王の権力欲を打ち負かす。

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オペラ《魔笛》(1791)には二つのメッセージがある。まずは「価値の逆転」、そして「真理は最後に現れる」である。不動のはずの権威──フランス絶対王政──が音を立てて崩れるさまを、モーツァルトは遠くウィーンから見つめていた。ヴェルサイユ宮殿では国王ルイ15世の晩餐会に招かれ、ルイ16世王妃マリー・アントワネットとは子どもの頃に会話もしたというこの作曲家が、大革命勃発のニュースに関心がなかったとは思えない。

モーツァルトが生きた18世紀後半は、音楽家が宮廷社会に重用された時代である。だから彼も就職活動を必死に行ったが、ついに、どの宮廷とも密接な繋がりを持てなかった。ただひとり、神聖ローマ帝国皇帝ヨーゼフ2世だけがモーツァルトと親しく言葉を交わし、彼にオペラを作らせたが、皇帝の母マリア・テレジアは、作曲家の父レオポルトの押しの強さに辟易し、息子の楽才も認めはしなかった。そこで、ひょっとして、モーツァルトに「女帝嫌い」の心が芽生えたとしたら・・・言い過ぎだろうか? でも、《魔笛》の夜の女王がドラマの途中で変貌するさまは、明快なる意図のもとに作られたプロットにしか思えない。表面上は気高くとも、中は我欲の塊で、都合が悪くなると相手を罵り破滅を願う女王、そう考えると、控え目な態度を貫く高僧ザラストロが、「理想像」として置かれた人物にも思えてくるのである。

以前、演出家ミヒャエル・ハンペにその点を電話で訊ねたときのこと、彼は次の通り即答した。「政情不穏な空気のもとでは、作り手の主張は寓意的に表した方が、権力者層を刺激しなかったのかもしれません」。《魔笛》に窺えるメルヘン的な要素は、モーツァルトや台本作者のシカネーダーにとっては、自分たちが属する友愛結社フリーメイソンの教義──三人の侍女や三人の童子、三つの和音を三回ずつ鳴らすといった「3」の重用と、友愛や沈黙を尊重する姿勢──を筋立てに盛り込むための、格好の目くらましであったのかもしれない。

《魔笛》とは、おとぎ話の体裁を隠れ蓑にしつつ、善と悪、聖と俗を対比させるオペラである。王子タミーノは王女パミーナと共に成長するが、鳥刺しパパゲーノは伴侶のパパゲーナを得て楽しさ重視の日々を送り、ザラストロは夜の女王の権力欲を打ち負かして幕となる。自然児パパゲーノが歌うメロディはどれも鼻歌の如くシンプルで快活だが、女王の二つのアリアは輝くティアラのように超高音を煌めかせ、有無を言わさぬ迫力で自己主張する。でも、ドラマの結末では「試練を経てこそ本物の人間」という真理が高らかに歌われる。

となると、《魔笛》の主人公は、やはりタミーノなのだろう。いの一番に出てくる彼は、「弓を持っているが矢は無い」王子、つまりは、地位はあっても心弱い青年である。しかし、最後には僧侶たちに認められ、民衆の歓呼の声に包まれる。その成長ぶりこそ、かけがえのないものだと、このオペラは訴えかけている。

《魔笛》Die Zauberflöte(1791)
全2幕のジングシュピール(台詞入りオペラ[歌芝居])
台本:ドイツ語
作曲者:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-91)
台本作者:エマヌエル・シカネーダー (1751-1812)
初演:1791年9月30日 ウィーン、アウフ・デア・ヴィーデン劇場

推薦盤:DVD(2003年ロンドン):C. デイヴィス指揮/マクヴィカー演出
※パパゲーノ役のキーンリサイド(Br)のエネルギッシュな演唱ぶりが爽快

【見どころ&聴きどころ】
第1幕
パパゲーノの登場のアリア〈私は鳥刺し〉
タミーノのアリア〈なんと美しい絵姿〉
夜の女王の登場のアリア〈恐れるな若者よ〉
パパゲーノとパミーナの二重唱〈恋を知るほどの者には〉
モノスタトスと奴隷たちの歌〈きれいな音だ〉
第2幕
夜の女王の復讐のアリア〈わが怒りは地獄の炎のように胸に燃え〉
高僧ザラストロのアリア〈この神殿には〉
パパゲーノのアリア〈恋人か女房か〉
パパゲーノとパパゲーナの〈パ・パ・パ〉の二重唱

Profile
岸 純信(Suminobu Kishi)

オペラ研究家。1963年生まれ。『音楽の友』『レコード芸術』『ぶらあぼ』『音楽現代』『モーストリー・クラシック』や公演プログラムに寄稿。CD&DVDの解説多数。NHK-Eテレ『ららら♪クラシック』やFM『オペラ・ファンタスティカ』等に出演を重ねる。著書『オペラは手ごわい』(春秋社)、訳書『マリア・カラスという生きかた』(音楽之友社)など。大阪大学非常勤講師(オペラ史)。新国立劇場オペラ専門委員。静岡国際オペラコンクール企画運営委員。