美空ひばりに導かれて|ヴィタリの心の歌

text:ヴィタリ・ユシュマノフ

美空ひばりの「愛燦燦」では、「人生って不思議なものですね」と歌われている。本当にそうですね。人間は、人生に迷っているところで神様に時々いい道を見せてもらうと思いませんか? その道を選ぶかどうかはそれぞれの自由だけど。
もし16歳のときに「あなたは歌手になって、日本に住むよ」と言われたら笑ってしまったかもしれません。

ヴィタリ・ユシュマノフ © Masaaki Hiraga

僕はとても普通の子どもで、自分はこの先何をすればいいのかまったく分からず、学校を卒業するときに父親に相談して、経営大学に入りました。そこでの勉強は面白かったけれど、こんな仕事をしたいとは全然思っていなかった。何か興味を持ってやれること、命をかけてやりたいことがなくて、本当に困っていたときに不思議なことが起こりました。そのとき、なぜか5月なのに、テレビでウィーンからのクリスマスコンサートが再放送されていて、私はそんなに声楽に興味を持っていなかったけれど、何となく見始めました。

その番組を見て、「あなたは歌ったらよい」と教えてもらったような気がした。
そうして「これだ! こんな風に歌いたい」と決め、勉強を始めて、マリインスキー劇場の研修所に入りました。

サンクトペテルブルクに生まれて、ずっと生まれた街に住んでいたけれど、「ここじゃない、どこかに行きたい」という気持ちが常にありました。ヨーロッパ、アメリカ、ロシアの色々なところに行きましたが、「ここに住もう」と思わせてくれる場所はなかった。

2008年、マリインスキーのツアーで日本に行くことになり、成田空港に着いたとき、飛行機を降りて「ここだ!ついに帰って来た!」と、頭で理解するより、体が先に感じました。日本のことを全然知らなかったけれど、「あなたはここに住んだらよい」と見せてもらったのです。そして、いつか日本に住めるように頑張ろうと決めました。どうすればいいかと、もちろん分からなかったけれど。

次の年、もっと勉強したいと思い、ドイツのライプツィヒ音楽大学に入学し、日本人の友達もでき、歌に限らず、少しずつ日本のことも勉強し始めました。そうしたある日、またテレビで「これがあなたによい」と見せてもらう機会が。ホセ・カレーラスは世界の歌のプログラムで、日本の曲として「川の流れのように」を歌っていました。そのとき、「素敵な曲! 元のアーティストは誰?」と思い調べて、美空ひばりのことを初めて知った。ひばりさんは天才で、どんなジャンルでも素晴らしく歌えて、私はすぐファンになり、彼女のおかげで日本歌曲の世界を知ることができた。初めて「荒城の月」を聴いて、「絶対にこの曲を歌わないといけない」と決め、日本語はちゃんと出来なかったけれど、ひばりさんの録音を聴きながら練習しました。もちろん、その一曲だけではなく、日本歌曲が素晴らしいものだと分かり、楽譜を買い、色々な歌を勉強してみました。

ロシアでは「歌は国民の魂」と言われている。ロシアも、日本も、自分の気持ちを皆に見せる文化ではないので、悲しさ、苦しさを歌にして和らげる。だからこそ、ロシア人も、日本人も哀しい、暗めの歌が好き。私にとっても日本歌曲はエキゾチックなものではなく、とても自分に近く、感動的で、深いもので、歌えば歌うほど好きになった。コンサートの後でお客さんに「ありがとう! 涙が出ました」と時々言われるけど、そういう経験をしたのは日本とロシアだけです。人がそこまで深く心を開いて音楽を聴いてくれるということは。

日本人もロシアの歌が好きで、ビックリしたけれど、嬉しい。そう思えば、ロシアのメンタリティーはヨーロッパより日本に近いかもしれませんね。