インバル・ピント&アヴシャロム・ポラック ダンス・カンパニー 『DUST ―ダスト』

「死の影」と「ユーモア」と

左:インバル・ピント 右:アヴシャロム・ポラック  撮影:宮川舞子
左:インバル・ピント 右:アヴシャロム・ポラック 
撮影:宮川舞子
 一度も見たことがないのに、どこか懐かしいような、心の奥底をギュッと掴まれる世界観。そして一度見たら忘れられない、どこかぶっ壊れたような意表を突く動きの数々。それが世界中で愛されているインバル・ピント&アヴシャロム・ポラックである。じつはこの一年で二度来日している。東京都現代美術館で上演された『ウォールフラワー』と、ミュージカル『100万回生きたねこ』再演の演出で、いずれも大成功を収めた。そして「もっと見たい!」と思っていたファンに朗報である。

待望の再来日

 年明け早々には、2013年に発表されたばかりのカンパニー作品をひっさげてやってくるのだ。筆者はこれをテルアビブで見ているのだが、もうね、彼らの新境地ともいえる作品なのである。
 舞台は寄宿舎のような雰囲気。そこに洋風のだらんとした寝間着を着た子ども達がいる。しかしどこか生気のないモノトーンの世界なのだ。これまでのインバル達のカラフルな世界とはなにか違う…。そう、この舞台の裏には色濃く「死」が影を落としているのである。地震か津波か戦争か、何か大きな厄災の後、どうにか生き延びた人々が、失われた『日常』を必死に演じているような、そんな切ない違和感が充溢しているのだ。

多くのことを考えさせる作品

 じつは彼らのこれまでの作品にも、ただ明るく脳天気に見えるシーンにすら「死の影」はあった。だからこそ彼らの作品は、幸福感と寂しさがないまぜとなり、一度観たら忘れられない思いを観客に残すのだ。だがこれだけストレートに「死の影」を感じさせることは、おそらく初めてのことである。
 決して陰鬱だったりグロテスクだったりするわけではない。いままでのテイストは健在だし、むしろ閉塞感ただよう状況でこそ、彼らのユーモアのセンスは鋭さを増している。観客はこれまで通り楽しく観ることはできる…。しかし従来作品よりも、多くのことを受け取るのではないか。そういう作品だ。
 筆者がインバルと話したとき、作中に出てくる紙と棒のことを話していた。それは小道具として使われていたのだが、彼女は「たとえ小さな木と紙だけでも、ちゃんと組み合わせれば家だって作れるでしょう?手元には小さな希望しかなくても、組み合わせ方次第では世界を変えることだってできるのよ」と言っていた。私は楽観主義者だけどね、と笑いながら。常に社会情勢が揺れるイスラエルという国を考えるとき、「楽観主義者であり続けること」の意義は大きいだろう。

森山未來も出演

 この作品はダイレクトに世情を反映するものではなく、オリジナルの世界を強固に創り上げている。だが東日本大震災の後、世相が急変を告げている日本の観客に、この作品は深く響いてくるはずだ。
 補足ながら。近年、ダンサーとしての活躍が目覚ましい森山未來は、この作品のクリエイションの真っ最中にインバル達のカンパニーに一年間滞在し、初演でも重要な役を踊った。今回の公演にも出演が決まっている。
文:乗越たかお
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年12月号から)

2016.1/28(木)〜1/31(日) 彩の国さいたま芸術劇場
問:彩の国さいたま芸術劇場0570-064-939 
http://www.saf.or.jp