確かなフォルムからあふれ出る歌心
ヒラリー・ハーンはすごい。なんといっても、そのテクニックには驚かされっぱなしだ。涼しい顔で、どんな難しいことでも自由自在、軽々と弾いてしまう。揺らぎない音程から真っすぐに立ち上がるような高音、滑らかなフレージング、適切な強弱とスマートなヴィブラート、美しく積まれた重音、緩急も豊かに速いパッセージは鮮やかに駆け抜ける。それでいて、なんの作為も感じさせない。持ち前の高度な技巧を誇示することなく、自然の体で聴かせてしまうというテクニックさえもっている。いや、そんな完璧な演奏なんて面白いはずがない、などと言うような人を実演では黙らせてしまうくらいに。クールなイメージが強いヴァイオリニストだったが、作品に応じて旋律を濃厚に歌わせるなど、熱っぽい表現も聴かせる。さらに、組み立てがうまいクレバーなアーティストゆえ、不自然な流れを作り出すこともまったくない。
そんな彼女が、ブラームスのヴァイオリン・ソナタのプログラムを携えて来日。全3曲のソナタを一夜で弾く。つまり、ロマン派ヴァイオリン・ソナタのラスボス的存在に挑もうというわけだ。
歌曲や民謡風の旋律を取り入れた第1番、そして明るい響きで典雅な趣もある第2番、そしてより内面的で寂寥感も漂わせる第3番。いずれも、ブラームスならではの古典派に根ざした形式感をもっている。そうした曲のフォルムを重視した演奏をベートーヴェンやモーツァルト作品で聴かせてきたハーン。ロマン的なエッセンスをそのあいだに開花させ、それぞれの作品の違いも描き分けてくれるに違いない。
今回コンビを組むピアニストは、前回の来日公演でベートーヴェンの2つのヴァイオリン・ソナタで共演したアンドレアス・ヘフリガーだ。日本でも親しまれた著名なテノール歌手を父にもつこのピアニストは、湿り気のないカラリと晴れわたったタッチの持ち主。歯切れ良いフレージングから、透明感のある音楽を作り出す。
ヘフリガーといえば、ベートーヴェンのソナタに他の作曲家の作品を組み合わせるアルバム・シリーズが継続中だ。思いがけない邂逅によって、ひとつの世界観を作りだす知性派といっていい。ただ、その演奏には達観したような自由さがある。風通しのよい抒情性も吹き抜ける。
そして、そうした気風はヒラリー・ハーンも持ち合わせているのではないか。カチッと組み立てられている古典的な枠組みを作りつつ、そこから軽やかに飛翔していくような演奏。それはまさにブラームスの音楽そのもの。
前回の来日公演では、2人はベートーヴェンのあと、3曲のアンコールを奏でた。アメリカ人ヴァイオリニストは、バッハの「パルティータ」からサラバンド。スイス人ピアニストは、ワーグナー=リストの「イゾルデの愛の死」と、それぞれソロを披露。そして、デュオとして佐藤聰明の「微風」。なかなか気の利いた、ユニークな選曲だ。彼らの演奏会はアンコールにも大いに期待したい。
文:鈴木淳史
(ぶらあぼ2024年3月号より)
2024.5/16(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
問:ジャパン・アーツぴあ0570-00-1212
https://www.japanarts.co.jp
他公演
2024.5/14(火) アクトシティ浜松(中)
(浜松市文化振興財団053-451-1114)
5/15(水) 所沢市民文化センター ミューズ アークホール
(04-2998-7777)
5/17(金) ミューザ川崎シンフォニーホール
(神奈川芸術協会045-453-5080)