渡邊順生(チェンバロ)

ローマ・メディチ荘所蔵の名器が生み出す至高の響き

©Margherita Nuti

 日本を代表するチェンバロ・フォルテピアノ奏者の渡邊順生。オランダでグスタフ・レオンハルトに学んで帰国して以来、ソロや室内楽、指揮など精力的に活動を行ってきた。コジマ録音等に膨大なディスクがあり、バッハにいたっては主だったチェンバロ独奏曲を網羅したうえで、複数台のチェンバロのための協奏曲集や「フーガの技法」まで録音した人は世界広しといえどそうはいない。そんな渡邊の新録音はローマのメディチ荘所蔵の歴史的な名器による『フローベルガー&ルイ・クープラン』。

 ローマのメディチ荘といえば、フランスの芸術家の登竜門といわれたローマ賞受賞者が留学先で滞在したことで知られる。同荘のチェンバロは1961年から77年まで館長を務めた画家のバルテュスが購入、80年代に修復された。録音は2023年4月上旬に4日をかけて行われたが、この間、メディチ荘に滞在し、録音前に同荘でコンサートを開いた。この時のことを「私の音楽人生でほとんど類のないほど幸福な時間だった」という。

 使用楽器は「1700年頃にフランスで製作された作者不詳」のオリジナルだが、これが驚くほど力強く奥深いサウンドでなんともいえない香りがある。

 「一説によればリヨンの製作家ドンゼラーグの作と言われています。私はこれまで数多くのオリジナルのチェンバロを弾いてきましたが、あれほどすばらしい楽器は他にありません。魂が揺さぶられるサウンドです。メディチ荘は広大な庭園をもつ宮殿で、スペイン階段を登った丘の上の教会の隣にあります。車の音を避けるために昼間は自分の家にいるように過ごして(笑)、深夜に録音を行いました」

 ルイ・クープランはよく知られたフランソワの伯父。若くして故郷からパリにでてきて、その後一族が独占するサン・ジェルヴェ教会のオルガニストとなった。フローベルガーは17世紀ドイツを代表する鍵盤楽器の音楽家で神聖ローマ帝国の宮廷オルガニストの頃に欧州を旅行し、1650年代のパリでルイらと交流した。

 「ピアノが一番美しく響くのがショパンだとすると、チェンバロのそれは今回収録した二人の作曲家です。そのことをオランダ留学中に学びました。スタイルや響きが非常によく似ていますが、とことん暗いフローベルガーに対してルイは明るくてどこかスマートというように好対照をなします。今回この楽器を知ったことで、彼らの作品に求める響きや演奏のスタンダードが変わってしまいました。自分の中で『メディチ荘以前と以後』ができてしまった(笑)」

 メディチ荘の名器による極上のチェンバロの音楽をお聴きあれ。
取材・文:那須田 務
(ぶらあぼ2024年2月号より)