ショパン国際ピリオド楽器コンクール 審査員に聞く その1

2023年秋 高坂はる香のワルシャワ日記7

取材・文:高坂はる香

 今回は、エリック・グオさんという楽器の種類を越えて聴く者を惹きつける才能が見出され、結果には多くの人が納得することになったと思います。私自身は現地で聴いた第2ステージから、グオさんの音楽には目を見張るものがあると思っていました。

 一方で第1テージの審査結果やファイナリストの選定など、コンクールの全体的な傾向を見るにつけ、これがピリオド楽器コンクールと銘打っている意味はなんだろう?という疑問を持った方もいらしたのではないでしょうか。

 そんな審査結果について、レセプションでお会いできた審査員の先生方に質問してみました。少し長くなりますが、考えるきっかけにもしていただくため、できるだけカットをせずにお届けします。

 ポーランド勢があまりレセプションに姿を見せず、外国勢、古楽器専門系の審査員中心にお話を伺ったせいもあってか、みなさんすごく悩んでいる感じがしました。結果やコンクールの意義に納得した方もそうでない方も、読んで一緒に考えましょう。

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ヴァーツラフ・ルクスさん

※ファイナルの指揮者を務めたルクスさんは、プラハのバロックオーケストラ「コレギウム1704」の創設者、チェンバロ奏者でもあります。

—— 結果には満足していますか?

 私自身の順位を決断するのはとても難しかったです。指揮をすると、それぞれの奏者と何かしらの関係性が生まれますし、プレッシャーの中で弾くのは大変なことだと思うと、全員を優勝させたい気持ちになりました。
 異なる6人の解釈、視点、アイデアで美しいショパンの作品を共演することは、簡単ではありませんが興味深い経験でした。グオを優勝者としたのは良い決断だったと思います。

—— 指揮台にいて、プレイエルとエラールの違いをどう感じましたか?

 大きなホールに移るとその違いがより明確になりました。
 まずエラールはシンプルに音量が大きく、ブライトで広がる音を持ち、モダンピアノにより近い。一方のプレイエルは甘く軽やかですが、音量は大きくありません。外に向けて発信することを助けるとは言えませんが、語りかける音を持っています。
 全く異なる楽器なので、同じ曲でも違う音が聞こえて興味深かったことでしょう。

—— ショパンの協奏曲を演奏するうえで、理想的なのはどんなソリストですか?

 対話を発展させられる人です。特にショパンの協奏曲は、ファゴット、ホルンなどいろいろな楽器との対話があります。協奏曲ですが、初期のヴァージョンが弦楽とのアンサンブルだったことからもわかるように、室内楽のような作品です。速く大きな音で演奏できるだけでなく、美しい室内楽を生み出せる必要があります。

—— 確かに見ていて、あなたとコミュニケーションが取れている人もいれば、自分のことに夢中になっている人もいましたね。

 その観察の通りです。閉じて自分の演奏をする人もいれば、オーケストラと一緒に演奏する人もいました。

—— 優勝したグオさんは、ピリオド楽器はコンクールに参加するにあたって初めて勉強したそうですね。

 ええ、ショパン研究所が用意した楽器で勉強したのでしょう。彼の演奏には説得力があります。楽器に早く適応し、美しい音を出せるようになったのだと思います。
 またピアノ協奏曲の演奏経験があって慣れていたのも大きかったでしょう。自分のパートだけでなくオーケストラパートも理解していて、その時に演奏している奏者に気を配り、音を聴いていました。

—— 審査員には、ピリオド楽器とモダンピアノ、両方の音楽家がいらっしゃいました。それについてはどう感じますか?

 我々の中で、オーソドックスと言える存在は誰一人いません。
 審査にはたくさんの視点が求められます。まずはピアニストのスキル、とくにこの特別な楽器を演奏するテクニックを見る必要があります。そして音楽家としてどれほど優れているかで、これは演奏テクニックとは関係ありません。もう一つは、どれだけ安定し、人として強いか、音楽的なアイデアを聴衆に伝えることができるかという点です。
 これら全てを考慮し、最終的な結果が出されます。その意味で、“エリックはピリオド楽器の専門家ではないから1位するのはやめよう”という人は、誰もいないと思います。

—— 彼に才能があることは間違いないと思いましたが、一方で、このコンクールは優れたピリオド楽器奏者を見つける場だと思っていた人は、結果に驚いたのではないかと思います。

 そうでしょうね、わかります。ただ私たちは話し合ったわけではなく、ポイントを入れ、それが自然に集計されて結果が出ただけです。
 例えばマルティンはピリオド楽器のスペシャリストですが、ショパンの協奏曲をオーケストラと演奏する経験があまりなかったのだろうと思います。

—— 確かに、古楽器奏者はモーツァルトやベートーヴェンあたりまでのレパートリーに親しんでいる方が多いのでしょうね。

 そう、私たち古楽器界のミュージシャンの興味の中心は、多くの場合もうちょっと古い時代の音楽なんですよ…それは関係していると思います。

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イヴ・アンリさん

—— 結果についてはいかがですか?

 ショパンの時代の楽器で演奏するコンクールというのは、とても美しいアイデアだと思います。ピリオド楽器はモダン楽器とは大きく異なるので、ピアニストがショパンのアイデアをより理解する助けになります。すばらしい企画です。
 コンテスタントにはみな才能があり、ピリオド楽器の演奏に熱心に取り組んでいました。この新しい経験は、心を開くきっかけになったと思います。

—— 優勝者についてはどうお感じですか?

 私は審査員なのでコメントできません。結果は、審査員の考えの集合です。美しい音楽を聴き、ショパンを愛する若いピアニストの姿を見られて、とにかく良い企画だと思いました。ピリオド楽器はどこにでもあるわけではないので、自分の住む場所で練習できるところを見つけるのは簡単ではないと思いますけれど。

—— フォルテピアノを専門に学ぶコンテスタントもいましたが、結果的にはモダンピアノのピアニストが優勝する結果となりました。それについてはどうお感じですか?

 ショパンは主にプレイエル、そして時にエラールを弾いていましたが、作曲するときはもっぱらプレイエルを好みました。この楽器は1810~20年あたりのフォルテピアノとは異なります。もちろん現代ピアノとも違いますが、今私たちがよくフォルテピアノと呼ぶものともまた違って、そのあいだ、楽器の進化の途上にあった楽器です。
 私は、ショパンの楽譜の表記がいかに正確かということから当時の楽器に興味を持ち、20年ほどプレイエルを演奏していますが、最初はどう扱うか理解する必要がありました。ショパンの音楽は、例えばペダルの表記ひとつとっても、タイミングが少し前か後かで生み出される音が変わります。ショパンの音の世界がいかに特別かを示す例です。
 ショパンは現代ピアノを知りませんでした。もし現代ピアノに触れたら好んで弾いたでしょう。でも作品の書き方は全く異なっていたと思います。若いピアニストがそれを理解し、音量の大きくない当時の楽器で演奏してみることは重要です。このコンクールは優れた学びの場だったと思います。

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パオロ・ジャコメッティさん

—— 結果についてはいかがですか?

 とてもハッピーです。審査委員長も話していたとおり、審査員全員が投票したそのままの結果を得られるわけではありません。今のところ自分の判断は胸の内にしまっておきますが、しばらく経てば公開されるので、誰もが知ることになります。6人は全員ファイナリストに相応しい才能でした。
 ショパン研究所という世界に通用する音楽機関が、ピリオド楽器で本物のショパンを見出すことに真剣に取り組んでいるとわかって、とても嬉しく思います。

—— グオさんが優勝者に選ばれた理由はなんでしょうか?

 彼はとても容易に楽器を弾く特別な能力とマインドを持ち、やりたいことを思い通りに表現できます。それは誰にでもできることではありません。同時に、信じられないほどのイマジネーションが感じられました。
 印象的だったのは、彼がモダンピアノの奏者でありながら、ピリオド楽器という新しいパレットを得て、そこにピアニスティックかつ音楽的な興奮を感じているらしいと見てとれたことです。すばらしい優勝者だと思います。

—— すばらしい才能であることは明らかでしたね。一方でお聞きしたいのは、これがピリオド楽器コンクールだったのに、専門の奏者が評価されなかったことに疑問を感じている人もいるだろうということです。これはピリオド楽器コンクールなのか、それとも普通のショパンコンクールと同じなのかと。

 その問いの意味はよくわかりますし、真っ当な疑問だと思います。
 それに関しては多くの視点があるでしょう。例えばスポーツの世界に例えるなら、モダンピアノの“リーグ”ははるかに大きいので、多くの学生や若者が学んでいる。そのため自然と触れる機会も増え、レベルはそれぞれにしろ、ピラミッド全体のサイズが大きくなります。
 さらに、モダンピアノの奏者がロマン派作品をエラールやプレイエルで弾くことは、才能があれば、一歩踏み出すのがそんなに難しくありません。ベートーヴェンやモーツァルトをピリオド楽器で弾くコンクールとなるともっとトリッキーですけれどね。楽器ももっと古くなりますから、普段スタインウェイを弾いている能力では扱いきれません。
 おっしゃる疑問はもっともです。ただシンプルに、チェンバロやピリオド楽器を学ぶピアニストより、現代ピアノを弾いている人口が多いことが、この結果につながったのではないかと思います。つまり、たくさんいるモダンピアノのすばらしい若手の中から、もう一つのサイド…ピリオド楽器のほうに一部が出場し、結果的に彼らが評価されたということでしょう。
 ピリオド楽器奏者にも何人かおもしろいピアニストがいました。ただ楽器の選択に問題があったように思います。
 モダンピアノ…モダンといってももう100年以上たちますが、こちらのピアニストは、大ホールの感覚を身につけています。例えばグオはそのすばらしいテクニックにより、プレイエルでも自分のアイデアを大ホールに投影できました。
 本来、プレイエルは大きなホールのためのピアノではありません。ショパンの時代から、大きな会場ではエラールが用いられていました。たとえばブラームスは、チューリッヒのトーンハレでピアノ協奏曲第1番を演奏したとき、エラールを希望していたといわれます。ショパンでさえ、体調が悪いときはエラールを使うことを好みました。音を出すのが簡単だからです。
 私は Angie Zhang や Martin Nöbauer も大好きで、すばらしいミュージシャンだと思いましたが、彼らは大ホールにプレイエルを選び、しかしエラールほどよく音が通りませんでした。
 このコンクールは、二つの世界を結びつけることが目的で、そのバランスを最終的にどうすべきかは考える必要があります。ただ、エリックがピリオド楽器の世界においても完璧な感受性を示していたことは明らかでした。その意味で私は結果を嬉しく思っています。

—— エリックはプレイエルも見事に操っていましたよね。

 そう、彼は非常に強靭なテクニックを持っていました。今回、彼以外のモダンピアノのファイナリストはエラールを選んでいましたよね。それはプレイエルは扱いきれないと思ったからだと思います。
 でもエリックの場合、プレイエルでもテクニックが生かされていました。両方の長所が一緒になる、非常に特殊な状況だったと思います。
 でもそのせいで、ファイナルの判断は私にとってもジレンマを抱える難しいものになりました。でもこの問いが生まれること自体、このコンクールを開催する意義の一つなのかもしれません。問い続けることは大切です。

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トビアス・コッホさん

—— 結果についてどうお感じですか? 満足していますか?

 コンクールの前から、結果には満足していましたよ。

—— ……前から??

 ええ、そして終わってからも満足しています。審査員の意見はそれぞれ違いますから、各人の感性とアイデアで決断をくだし、それを統合したものが結果となる。コンクールとはそういうものです。
 例えば、私が親しいピリオト楽器の演奏家たち、シュタイアーやジャコメッティも、私とは違う意見を持っていました。
 だから、「モダンピアノ奏者」対「ピリオト楽器奏者」という図式があったわけではありません。モダンピアノ奏者がピリオド楽器奏者を評価していたケースも、その逆もあります。

—— ひとつお聞きしたいのは、これがピリオド楽器のコンクールということで、一部の人は別の結果を想定していたのではないかということです。

 わかりますよ。でも想定しないことが起きるのがコンクールですから。これは交渉団の出す結果ではありません。
 例えば前回も、私が一番気に入ったのはモダンピアノの奏者でした。私が彼を評価したのは、その経験でも知識でもなく、ただ惹かれるものを感じたからです。タイトルがその本の結末に書かれていることだとは限りません。

—— 日本人の参加者の多く、それもピリオド楽器を真剣に勉強している人たちが第2ステージに進めなかったことから、日本の聴衆の間には、結局このピリオド楽器コンクールの目的はなんだったのかという疑問が出てきています。その点についてのご意見をお聞きしたいです。

 このコンクールは演奏やパフォーマンスを享受することだけでなく、教育が目的だったと理解しています。若いモダンピアノ奏者の教育について、さらには聴衆の教育について、一歩引いて考えるということです。これがバイブルだ、ルールだと示すことは、このコンクールの目的ではありません。
 私は日本の参加者はすばらしかったと思います。たとえばサトシ・イイジマは特別な何かを持っていました。彼らがあのように進化していることを見られて嬉しかったです。…本当に申し訳ないけれど!

—— いえ! そういう意味ではなく、ただ問いの答えを探るために意見をお聞きしたいと思ったのです。

 あなたの言うことはわかりますよ。私だって、わからないことをわかろうとしているところですから。

—— 学び、真剣に演奏を聴いた結果、答えがない問題を考える機会になりました。

 それが大事なことです! そう思っておくのが賢いと思いますよ。

International Chopin Competition on Period Instruments
https://iccpi.pl/en/

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/