2023 高坂はる香のピアノコンクール追っかけ日記 from テルアビブ 12
text:高坂はる香
国際コンクールは、開催国の政治や文化、社会を知るひとつのきっかけでもあります。
日本でもニュースになっていたようなのでご存知の方も多いと思いますが、今回のルービンシュタイン・コンクール開催中のイスラエルは、司法改革に反対する市民たちによるデモが続く、特別な状況にありました。さらに私が帰国する直前の4月上旬には、パレスチナ問題にも不穏な動きがありました。
そのようなわけで、今回のこの現地レポートの最後は、余談として私が今回滞在中に行ってきたエルサレムや死海の様子をご紹介するとともに、現地がどういう状況にあり、旅行者としてどんなことを感じたかを少しご紹介したいと思います。
エルサレムはよく知られている通り、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教といった複数の宗教の聖地であり、世界中からさまざまな宗教の巡礼者、観光客が訪れる場所です。
テルアビブからは、車で約1時間弱。日帰りで行ける距離ですが、今回私は死海に1泊、エルサレムに1泊してきました。ただ、時期がちょうどユダヤ教の過越祭という休暇(イスラエル民族がモーセに導かれてエジプトを脱したことに感謝を捧げる祝日で、2023年は4月5日〜13日)の始まるタイミングだったことから、「できるだけ日にちを外すか、早めに宿を予約しないと、めちゃくちゃ混むし高くなるよ」と言われていたのでした。
そこでまず、休暇スタート前日の4月4日夕方から訪れたのは、エン・ボケック(Ein Bokek)。死海の南西岸の街で、エルサレムから陸路で110キロ、バスで1時間半ほどのところにあります。
死海は世界でもっとも海抜が低い場所といわれ、湖面はマイナス430メートル。4月上旬でも暑く、日差しも強く感じるのですが、紫外線はほとんど届いていないらしい。さらに酸素濃度も濃いのだそう。
湖の塩分濃度は海水の10倍の約30%。生物が生息できないために死海と呼ばれているわけですが、ちょうど湖に入ろうとしたとき、スズメバチのような大きなハチがぷかぷか浮いていて、この辺りを飛ぶ虫は命がけだなと思いました。
真夏は40度近くと暑くなるそうで、今がベストシーズン、「みんな来るから芋洗状態になるかもしれないよ」と言われていたのですが、実際はご覧の通りの様子です。
誰もいなくて逆に怖い。というのも、休暇のため5日の午後からバスが走らなくなると聞いていたので、朝のうちに海で過ごそうと午前8時に来たところ、この状態だったのでした。
噂に聞く、“死海に浮く”というのもやってみました。ぬるい湖面にぷかぷか浮かびながら、耳に届くのは、鳥の声、それから自分が動いたときに起きる水のチャポンという音だけ。孤独で、次に目を開いたら異世界に辿り着いているんじゃないかという、不思議な感覚がありました(実は今回の旅の中、そういう場面が何度かあった)。この日、この時間に行ったからこその死海体験でした。
その後、バスに乗る前にはしっかり、現世界感たっぷりのホテルのスパで死海の温水プールやサウナに入り、3週間の湯船につかりたかった欲をこれでもかと解消してからエルサレムへ。
エルサレムへの訪問は、9年ぶりです。前回は慌ただしく日帰りで旧市街だけ見てすごく疲れたのですが、今回は印象が違いました。観光客も戻っているとはいえ、コロナ前ほどの混雑ぶりではなく、それもあってか、生活している人や聖職者たちがなんとなく穏やかな雰囲気になっていて、道を歩いていても前ほどの変な緊張を感じません。
指定された時間とルート以外からは、この奥にムスリムしか
入れないことになっている
しかし実際には、前回の対観光客への態度うんぬんとは別次元の緊張が起きていたことを、テルアビブに戻ってからニュースを見て知ることになります。この岩のドームと呼ばれるモスク(金色の屋根)の隣には、もうひとつ、銀のドームと呼ばれる、アルアクサ・モスクというムスリムの重要な聖地があります。その場所に、イスラム教徒にとってもラマダンの特別な期間中であった4月5日、イスラエルの警官隊が突入し、激しい衝突の末、警察が数百人のパレスチナ人を逮捕したということでした。
私はまさにその日、その横の道をうろついていてたわけですが、そんなことが起きていると全く気づきませんでした。イスラエル人警官が集まっている場面はよく見ましたが、いつものことなのかなと。
イスラエル警察側とパレスチナ側では、状況の報告の内容に違いがあるため、私には何が本当のことなのかわかりませんので、みなさんには両報道を見ていただきたいと思います。ただ、とにかくそこで衝突が起き、これにアラブ諸国やイスラム教圏が反発しているとのこと。そしてガザ地区やレバノンからイスラエルへのロケット弾の発射に続き、報復としてイスラエルもガザ地区を攻撃。その2日後の夜には、テルアビブのビーチ沿いの遊歩道に車が突入して観光客が死傷するテロが起きました。以後も、テロ対策としてイスラエル軍がヨルダン川西岸地区の難民キャンプを襲撃するなどして、報復の応酬が続いています。
イスラエル滞在中の最後数日は、スマホにミサイルの飛来を教えてくれるアプリを入れること、また宿泊先のシェルターの場所を確認しておくことを勧められました。イスラエルの一般家庭には、基本的に必ずシェルターがあります。シェルター専用の部屋がある場合もあれば、どこかの部屋がシェルターになっていることもあるそうです。私の宿泊していたアパートの場合は、実は寝室の一つが二重扉になっていて、何かあればそこに入って窓と扉を締めるようにと言われました。
今はネタニヤフ政権の問題とパレスチナ問題とが複雑に絡み合った状態で、私などがここで簡潔、適切に状況を説明することなど不可能なので、報道や専門の記事を見ていただきたいと思います。ただ、これは遠い場所の宗教対立ではなく、世界のさまざまな国家の政治、経済、宗教的な協力と癒着、対立の関係から生まれている現象で、めぐりめぐって日本とも関係のない話ではないということを忘れないでおきたいと思いました。
(ちなみに、パレスチナ問題に加えて、戦争中に迫害されたユダヤ人の歴史も含め、音楽的なアプローチから表現した『クレッシェンド』という映画がありますので、ご興味のある方はどうぞご覧ください)
話を少しだけコンクールに戻します。
今回の滞在、私が前半お世話になっていたお宅では、家の方がこの司法改革に反対する民主主義のためのデモに熱心に参加していました。それが具体的に何を求めるデモなのかは私がしがない知識で書くことは避けたいと思いますが、ざっくり言うと、現在のネタニヤフ政権が、改革により政府と国会の裁量を拡大して司法の権限を縮小しようとしている…これによって三権分立、司法の独立が脅かされることを危惧した多くの市民が、デモを行っているという状況です(ただ、テルアビブのデモ活動は穏健なもので、交通の不便は感じても危険を感じることはありませんでした)。
イスラエルのユダヤ人市民の男女には基本的に兵役の義務があり、さらに今の政情では、いつ戦闘が起きてもおかしくありません。「そんな国ではこの問題は特に身近なのだ、例えば自分の息子が戦地で法のもと正しい判断をしたというのに、のちに政権の判断で罰せられることがあるのは恐れるべき大変なことなのだ」と、この家の方はおっしゃっていました。
実際、街中では若い兵士の姿をたくさん見ます。バスでもよくロングガンを携えた軍服の若者が乗ってきますし、週末のショッピングモールでは、重そうなリュックを背負った若い女性が軍服姿のまま買い物を楽しんでいました。コンクール中も会場に軍服姿の若者が聴きに来ていましたが、きっと兵役中の音楽学生なのでしょう。
デモの回数が増え、たびたび道路が閉鎖される中、私が交通手段を気にしつつ、毎日時間通りにせっせとコンクール会場に通う様子を見て、ある日この家の方はこうおっしゃいました。
「会場の周囲がデモの参加者であふれかえっている最中に、なぜ何事もないようにそこで演奏が続けられているのか?」「今まさにこの国が沈んでしまいそうな危機にあるのに、コンクールは国際的なイベントを利用してなぜメッセージを発信しない? 自分はとても不満だ」と。
それを聞いていたパートナーの方(こちらはイスラエル人ではありません)が、「でも、そういう空間も必要なのかもしれない。ただ、その沈みそうな国のデモの真ん中で、ピアニストが平然とピアノを弾き続けているって、映画『タイタニック』で、沈没しそうな船の上で最後まで弦楽奏者たちが音楽を奏でていたあの場面みたいだね」と。ちなみにこのご夫婦にも若い息子さんがいて、まさに兵役中です。
しかし実際にはその後、コンクールでは一つのアクションがありました。
配信をご覧になっていた方は、ファイナルの期間中、何度かイスラエル国歌斉唱の場面があったのをご覧になったと思います。セレモニーとしてもともと予定されていたものもありましたが、そのうちの一回、ファイナルの古典派コンチェルトの日に行われたイスラエル・カメラータによる国歌の演奏は、「我々は民主主義を求める」というメッセージのもと行われたものだったそうです(私はヘブライ語がわからないので指揮者の方が言ったことがわかりませんでしたが、あとで詳しい方が教えてくれました)。
芸術を政治が利用することで恐ろしいことが起きるときもありますが、もちろんその逆に、そこが一体化することで良いことが起きることもあります。さらにいうとその“良い”、“恐ろしい”の線引きも立場によって違うことですから、とても難しい問題です。また、ある方が、こういう緊張の下だからこそ優れた芸術が生まれる瞬間があるのかもしれないとおっしゃっていました。それは後世の人間にとってはすばらしいことですが、生みの苦しみが大きすぎて、考えるだけで辛いものがあります。
こんな話ばかりしていると、イスラエルは政情が不安定な怖い国のような感じがするかもしれませんが、人々は優しく、あたたかくおしゃべり好きで、文化が豊かでとてもおもしろい国です。出生率も高く、女性1人あたりの子供の人数が3人という、とても活気のある国でもあります。テロが起きたりしても、日常をできるだけ普通に過ごし楽しむ。それこそがテロ行為への抵抗という考え方もあるのだそうです。
ウクライナ戦争の場面でも改めて感じていたことですが、その国の政治の方針と、その国に暮らす人や文化への愛着の間に起きるせめぎ合いの問題、本当に複雑ですね。
そのようなわけで長くなりましたが、とにかく今回は色々なことを考えさせられるコンクール取材となりました。
ビルに点灯されていたメッセージ(Google翻訳で調べたら「我々は一つ」という意味)。
♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/