3つの《オルフェーオ》の魅力
ジャルスキーが歌うバロック・オペラ愛の物語

 3月に東京オペラシティで一夜限りの公演をおこなうカウンターテナーのフィリップ・ジャルスキー。気鋭のソプラノ、エメーケ・バラートとともに創り上げるステージは、音楽史に名を残す数々の作曲家たちを魅了してきた題材、オルフェーオ神話をフィーチャー。特に、今回は、オペラ史に燦然と輝くモンテヴェルディやロッシの傑作に加え、サルトーリオの知られざる作品にも光が当てられます。ジャルスキー自身も「今まで不当なほどに演奏される機会が無かったにもかかわらず、たぐいまれな宝⽯の輝きをもつ壮麗な作品」と語るように、そこにはドラマティックで心揺さぶるストーリーが隠されています。イタリア在住の音楽学者、佐々木なおみさんに、それぞれに異なる物語の背景と音楽的な聴きどころを解説していただきました。
Philippe Jaroussky & Emőke Baráth © Edouard Brane

文:佐々木なおみ(音楽学)

 C. モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi, 1567-1643)、L. ロッシ(Luigi Rossi, 1597/98-1653)、そしてA. サルトーリオ(Antonio Sartorio, 1630-1680)。3人の《オルフェーオ》から選りすぐりの場面を集めて一つのオペラを再構成した夢のようなプログラムがこの春、東京オペラシティに登場します。普段のオペラの聴き方とは少し趣が異なりますが、バロック時代は歌手が得意なアリアを別のオペラから挿入したり、一つの台本に複数の作曲家の音楽を当てはめたり、オペラのあり方は今と比べて随分と自由でした。当時の人々が楽しんだ方法で聴く《オルフェーオ》とはどのようなものなのか、その魅力を探ってみましょう。

3つの作品の背景

 3つの《オルフェーオ》は成立年に大きな開きがあり、上演目的も台本の内容も異なります。モンテヴェルディの作品は1607年にマントヴァ宮廷でアカデミー会員(貴族を中心とした知識人の集まり)のために初演。最初期のオペラの最高傑作と言うべきもので、新旧の音楽様式を巧みに配置し、示唆に富んだ楽器の使い分けで力強い表現を実現させています。新プラトン主義やダンテの『神曲』、アカデミーの象徴である太陽の存在など、台本に隠された知的コードの読み解きもエリート階級のオペラの楽しみの一つでした。L. ロッシは300曲を超える世俗カンタータで中期バロックを代表する作曲家の一人です。ローマのフランス国教会のオルガニストとして同国との関係を深め、1647年にパリ王宮で《オルフェーオ》上演の機会を得ました。神話の神々が次々に登場する台本に対し、イタリアの人気カストラートと名ソプラノを多数呼び寄せ、二重唱を6曲、三重唱を12曲をちりばめた豪華絢爛な舞台でマザラン宰相を大満足させたと伝えられています。

モンテヴェルディ作曲《オルフェーオ》初版スコア 1609年出版
出典:Wikipedia


 この頃ヴェネツィアでは、史上初の市民のための劇場が相次いで建設され、復活祭期間のオペラ上演が定着していました。サルトーリオはこの地で15曲ものオペラを上演し、人気作曲家として頭角を現します。1672年初演の《オルフェーオ》はナポリ、ボローニャとドイツ圏でも再演された人気作で、その筋書きは複雑そのもの。オルフェーオに弟がいて彼もエウリディーチェを愛し、しかし弟には妻がいて夫を奪還すべくジプシーに扮して奮闘、アキレスとヘラクレス、乳母などの喜劇的役者もいて…、と高貴な神話世界は嫉妬と陰謀と笑い渦巻く劇と化し、登場人物たちに50以上の小規模なアリアが与えられていて圧巻です。錯綜するストーリーに必死について行くのもバロック・オペラの醍醐味でもあります。このようにして同じ題材でもアカデミーでは知性、王宮では豪華さ、市民劇場では娯楽性が追求され、味わいの異なる3つの作品が生まれるに至ったのです。

アウレーリオ・アウレーリ台本
『オルフェーオ』 1673年印刷
(これにサルトーリオが作曲)
出典:Internet Culturale

オルフェーオ神話とは

 「毒蛇に噛まれて命を落とした妻エウリディーチェを取り戻すため、黄泉の国へ降りたオルフェーオ。地上に出るまで決して振り向かないことを条件に、冥界の王プルトーネはエウリディーチェを返すと約束するものの、オルフェーオは不安のあまり後ろを振り返り、妻を永遠に失ってしまう…」。古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』とウェルギリウスの『農耕詩』で語られる神話で、ルネサンス時代から現代まで音楽と美術に多大なインスピレーションを与えてきました。17世紀以降、オペラは30作近く、舞踊や劇も合わせれば実に54作もの作品が舞台で上演されているのは驚きです。世紀を超えて人々を魅了した理由はいったい何だったのでしょうか。アリストテレスの言葉を借りれば、幸福から不幸への「逆転」と約束を破った「過ち」、それにより聴衆に深い「哀れみ」の感情が芽生え、精神の「浄化」が生じるという悲劇の諸要素がここにはあります。オルフェーオ神話の人気を解く一つの鍵として考えることもできるでしょう。文学で言う「見るなの禁忌」は、『旧約聖書』の「創世記」や「パンドラの箱」にも、『古事記』のイザナミとイザナギの神生みの段や「鶴の恩返し」のような民話にまでも、古今東西、幅広く伝わっています。タブーというものは人を妖しく惹きつけ、いとも簡単に理性の糸を切り落とす。そんな危うさと魔力に人は酔うのかもしれません。

古代ローマ時代の床モザイクに描かれたオルフェーオ
パレルモ、考古学博物館所蔵
出典:WIkipedia

聴きどころ

 ロッシとサルトーリオのオルフェーオはソプラノ記号で記譜されたカストラート役ですが、モンテヴェルディではテノール役です。これを1オクターヴ上げて音域を合わせることで、全編にカウンターテナーとソプラノの濃密なハーモニーが生まれます。プログラムはモンテヴェルディのトッカータで華やかに始まり、同時代の器楽曲が物語の背景に色を差しながら、徐々にクライマックスへ。

 オルフェーオが愛を語る〈天界のバラ Rosa del Ciel〉にエウリディーチェは〈愛しい人よ、苦しみは〉とわずか8小節のアリアで応えます。抑制された喜びは後の不幸を予感させるかのようです。二人の言葉は初期バロックの「歌いつつ語る様式(レチタール・カンタンド)」で繊細に紡がれ、快活なリトルネッロ形式の〈覚えているか、ああ暗い森よ Vi ricorda, o boschi ombrosi〉とは対照的です。こうした描き分けにもモンテヴェルディの手腕が光ります。

サルトーリオ作曲《オルフェーオ》
第3幕第4場 エウリディーチェ〈哀れみを与えたなら〉
ヴェネツィア、マルチャーナ国立図書館所蔵 It.Ⅳ,443 (=9967)

 エウリディーチェの亡霊がオルフェーオの夢枕に立つ場面では、ラ-♯ソ-♮ソ-♯ファ-♮ファ-ミという音型反復が現れますが、半音階は苦しみを、休符はため息を象徴するもので、その名もラメント・バス(嘆きの低音)と呼ばれます。儚い希望が美しく凝縮された、胸に迫るサルトーリオの名アリアです。ロッシの〈愛しい人、あなたと共にする苦痛は Mio ben, teco il tormento〉もまた、レ-ド-♭シ-ラと反復される低音を用いてエウリディーチェの変わらぬ愛を表現します。

〈愛しい人、あなたと共にする苦痛は Mio ben, teco il tormento〉

 プログラムのハイライトは黄泉の国に下る場面、三途の川の渡し守カロンテにオルフェーオが歌う〈強力な霊 Possente spirto〉と言って良いでしょう。ヴァイオリン、コルネット、ハープの間奏を伴いながら、音楽の力で人の心を揺さぶるこの感動的な場面に、モンテヴェルディは装飾付きと装飾なしの2種類の旋律を残しています。流麗な装飾は技巧の誇示だけでなく、言葉の深いアッフェット(情感)を伝えるバロック特有の歌唱法の一つでした。本来テノールの役をジャルスキーの透明感溢れる声で聴くことができ、この日最も忘れ難い瞬間になるに違いありません。

モンテヴェルディ作曲《オルフェーオ》第3幕
オルフェーオ〈強力な霊 Possente spirto〉
装飾あり、装飾なしの2種類の旋律が印刷されている

 地上へ向かう試練の様子をサルトーリオは二重唱〈神々よ、私はなにを見ているの Numi, che veggio〉でリアルに伝えます。再び出会えた喜びの甘美さ、振り向かないでね/ああ耐えられない!と拮抗する両者の気持ち。そしてついに、その時が訪れます。ロッシが全ての終わりに捧げた〈冥界を離れて Lasciate Averno〉では半ば錯乱したオルフェーオの胸の内が何という迫力と気品を帯びて表出されることか。どこを切り取っても言葉が美しく響く、その洗練された嘆きに浸る至福のひと時となることでしょう。

〈冥界を離れて Lasciate Averno〉

 3人の作曲家による多彩なタイルを集めたバロック・オペラのプログラム。オルフェーオ神話の壮麗なモザイク画が描き出される一夜を存分に味わってください。

【Informaition】
フィリップ・ジャルスキー《オルフェーオの物語》
2023.3/1(水)19:00 東京オペラシティコンサートホール

■出演
オルフェーオ:フィリップ・ジャルスキー(カウンタテナー)
Philippe Jaroussky, countertenor
エウリディーチェ:エメーケ・バラート(ソプラノ)
Emőke Baráth, soprano
アンサンブル・アルタセルセ
Ensemble Artaserse

Raul Orellana, violin
Jose Manuel Navarro, violin
Marco Massera, viola
Marie Domitille Murez, harp
Nacho Laguna, theorbo
Marco Horvat, lirone and guitar
Christine Plubeau, viola da gamba
Roberto Fernandez De Larrinoa, violone
Adrien Mabire, cornetto
Benoit Tainturier, cornetto
Michele Claude, percussion
Yoko Nakamura, harpsichord
(来日メンバーは変更になる場合があります)

■曲目
モンテヴェルディ:トッカータ
サルトーリオ:シンフォニア
サルトーリオ:二重唱「愛しく心地よい鎖」
ロッシ:愛しい人、あなたと共にする苦痛は(エウリディーチェ)
ロッシ:二重唱「なんと甘美なのでしょう」
ロッシ:シンフォニア
カヴァッリ:《オリオーネ》よりシンフォニア
モンテヴェルディ:覚えているか、ああ暗い森よ(オルフェーオ)
ロッシ:二重唱「ぼくを愛してる?」
ロッシ:愛神の命令に(エウリディーチェ)
サルトーリオ:ああ、神々よ、私は死にます(エウリディーチェ)
ロッシ:涙よ、どこにいるのか?(オルフェーオ)
マリーニ:四声のパッサカリア
サルトーリオ:エウリディーチェが死んだ(オルフェーオ)
サルトーリオ:シンフォニア
サルトーリオ:オルフェーオ、眠っているの?(エウリディーチェの亡霊)
モンテヴェルディ:冥界のシンフォニア
モンテヴェルディ:強力な霊(オルフェーオ)
モンテベルディ:冥界のシンフォニア
カステッロ:四声のソナタ
サルトーリオ:二重唱「神々よ、私はなにを見ているの」
ロッシ:冥界を離れて(オルフェーオ)
*上演時間:約80分(休憩なし)/日本語字幕付

問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999