3月1日、9年ぶりの来日を果たすカウンターテナーのフィリップ・ジャルスキー。17世紀を彩った3人の作曲家による歌劇《オルフェーオ》を軸に再構成したプログラムで、東京オペラシティ コンサートホールに登場します。そして、ジャルスキー率いるアンサンブル・アルタセルセとともにステージに立つのは、ハンガリー出身の注目のソプラノ、エメーケ・バラート。2017年、カンブルラン指揮読響によるメシアン「アッシジの聖フランチェスコ」公演では、天使役での透明感あふれる歌唱が話題となりました。欧州古楽界のトップスターの共演は一夜限り。貴重な機会を前に、本公演への期待を翻訳家・音楽ライターの白沢達生さんに綴っていただきました。
文:白沢達生
作曲家や作品の現時点での知名度に惑わされることなく、歴史的文脈から音楽の真相を捉え直そうとする「古楽」。当初は英国やオランダ語圏・ドイツ語圏のごく一部で盛り上がっていた動きはやがて、抜群の広報センスを誇る興行関係者も多いフランスを巻き込んで世界的ムーヴメントになりました。他方、近年ポーランドのショパン国際コンクールが歴史的ピアノ部門を立ち上げたことに象徴される通り、中欧諸国も20世紀末から古楽に熱い視線を送ってきた人は多く、チェコやハンガリーで充実した古楽経験を積み世界に出てくるプレイヤーも少なくありません。
カウンターテナー歌手フィリップ・ジャルスキーとアンサンブル・アルタセルセは、そうした流れが最も大きく広がりつつあった頃のフランスで本格始動。今や南仏モンペリエ歌劇場のレジデント楽団となり、世界的な存在感をますます強めつつあります。2023年早春の来日公演では、そこへハンガリーが誇る最前線の歌手エメーケ・バラートも参加。両者の近年の共演も軒並み評価は高く、まさに21世紀ヨーロッパ最先端の古楽シーンの豊かさを強く実感させる顔合わせに期待が高まります。
フィリップ・ジャルスキーはその圧倒的な美声や深い表現力もさることながら、活動当初からプログラム選択やレパートリー拡充への取り組みに才覚を示してきた知性派。カウンターテナー歌手が注目を集めやすい18世紀オペラで高く評価される一方、17世紀の音楽は彼が早くから注力してきた分野です。イタリア初期バロックに触れて古楽に強く惹かれたという彼のソロ録音デビューはヴィヴァルディでもヘンデルでもなく、17世紀ヴェネツィアの作曲家ベネデット・フェラーリを全面的に紹介するユニークな1枚でした。アンサンブル・アルタセルセもこの録音と前後して結成されたグループで、室内楽風の小編成でこそ映える17世紀音楽の演奏に抜群の適性を示します。
他方、エメーケ・バラートも17世紀音楽に深い愛着と適性をみせてきた歌手。音楽院時代にピアノやハープを手がけた後、声楽に転向してみて「第二の母語に出会ったように」最も自然になじんだのがバロックという彼女は、近年チェスティやモンテヴェルディ、カヴァッリらが手がけた17世紀オペラへの出演で高い評価を博していますし、録音でもカプスベルガーやストラデッラ、女性作曲家バルバラ・ストロッツィといったイタリア初期・中期バロック作品での活躍が目立ちます。
世界的に知られたインスブルックの古楽コンクールとヴェルビエ音楽祭アカデミーで優勝を重ねた2011年以降、バラートはかつてのアニェス・メロンやサンドリーヌ・ピオーのように最も多忙なバロック歌手の一人になり、ミンコフスキやアラルコン、エラス=カサド、アイム、ルセといった最前線の指揮者たちと頻繁に共演。当初こそヘンデルやラモーなど18世紀作品で高い評価を博しましたが、近年ますます17世紀イタリア・オペラでの細やかな解釈に絶賛が集まるようになってきました。それらの演目に関するインタビューに「昨今は[バロックに主軸を置く歌手として]自分の役割をデビュー当初より真剣に考えるようになった」と答えています。ヨーロッパの明敏な聴き手たちは確実に、その真摯な取り組みの成果をキャッチしてきたわけです。
東京オペラシティでの今回の来日公演が何より魅力的なのは、二人の歌手の持ち味が最大限に評価されてきたジャンルの音楽を堪能できるところ。歌の力で冥府の王の心を動かし、命を絶たれた最愛の人を地上に連れ帰ろうとするオルフェウスの物語を辿るそのプログラムは、一貫して17世紀の曲ばかりで構成されているのです。選曲の軸となるのは、音楽史上最初期の傑作オペラとして名高いクラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi, 1567-1643)作品に、世紀半ばにパリで上演されたルイージ・ロッシ(Luigi Rossi, 1597 – 1653)の《オルフェーオ》、そして世紀後半に水の都ヴェネツィアを魅了したアントニオ・サルトーリオ(Antonio Sartorio, 1630-1680)の同名作品……と、成立時期が異なる3作のオルフェウス歌劇。演じ手の台詞がそのまま歌になったような初期バロック様式から、鮮やかな舞曲のリズムが映えるナンバーや歌心豊かな世紀後半のアリアの数々まで、演目の味わいは各曲さまざま。
高い音まで歌いこなすジャルスキーと、ソプラノのバラートとが同音域で響かせあう、妙なる声の至芸の傍ら、各人のパフォーマンスが際立つ少数精鋭アルタセルセの立ちまわりも聴き逃せません。17世紀前半の室内楽発展を担ったダリオ・カステッロ(Dario Castello, 1602-1631)やビアージョ・マリーニ(Biagio Marini, 1594-1663)の合奏曲に加え、活動期がヴェルディのちょうど200年前に重なる17世紀の歌劇王フランチェスコ・カヴァッリ(Francesco Cavalli, 1602-1676)のオペラ序曲も盛り込まれており、彼ら器楽勢の妙技もじっくり味わえそう。未知の作曲家の魅力に開眼できる楽しみも含め、思いがけない音楽的興奮に次々と出遭える喜びはまさに、古楽のステージならではの面白さと言えるでしょう。
バロック期の楽譜は、そこに記してある音符だけで音楽が完成する前提がなく、ある意味ジャズやロックのように、演奏者の即興的な装飾や変奏のセンスに多くが委ねられています。バラートをアンサンブルに迎えたヘンデル・アルバムなど、近年は指揮活動にも注目が集まるジャルスキーのもと、そうした17世紀音楽の解釈で欧州人たちを湧かせてきた彼らのステージには、どのような興奮が待っているでしょう? 当夜が楽しみでなりません。
【Informaition】
フィリップ・ジャルスキー《オルフェーオの物語》
2023.3/1(水)19:00 東京オペラシティコンサートホール
■出演
オルフェーオ:フィリップ・ジャルスキー(カウンタテナー)
Philippe Jaroussky, countertenor
エウリディーチェ:エメーケ・バラート(ソプラノ)
Emőke Baráth, soprano
アンサンブル・アルタセルセ
Ensemble Artaserse
Raul Orellana, violin
Jose Manuel Navarro, violin
Marco Massera, viola
Marie Domitille Murez, harp
Nacho Laguna, theorbo
Marco Horvat, lirone and guitar
Christine Plubeau, viola da gamba
Roberto Fernandez De Larrinoa, violone
Adrien Mabire, cornetto
Benoit Tainturier, cornetto
Michele Claude, percussion
Yoko Nakamura, harpsichord
(来日メンバーは変更になる場合があります)
■曲目
モンテヴェルディ:トッカータ
サルトーリオ:シンフォニア
サルトーリオ:二重唱「愛しく心地よい鎖」
ロッシ:愛しい人、あなたと共にする苦痛は(エウリディーチェ)
ロッシ:二重唱「なんと甘美なのでしょう」
ロッシ:シンフォニア
カヴァッリ:《オリオーネ》よりシンフォニア
モンテヴェルディ:覚えているか、ああ暗い森よ(オルフェーオ)
ロッシ:二重唱「ぼくを愛してる?」
ロッシ:愛神の命令に(エウリディーチェ)
サルトーリオ:ああ、神々よ、私は死にます(エウリディーチェ)
ロッシ:涙よ、どこにいるのか?(オルフェーオ)
マリーニ:四声のパッサカリア
サルトーリオ:エウリディーチェが死んだ(オルフェーオ)
サルトーリオ:シンフォニア
サルトーリオ:オルフェーオ、眠っているの?(エウリディーチェの亡霊)
モンテヴェルディ:冥界のシンフォニア
モンテヴェルディ:強力な霊(オルフェーオ)
モンテベルディ:冥界のシンフォニア
カステッロ:四声のソナタ
サルトーリオ:二重唱「神々よ、私はなにを見ているの」
ロッシ:冥界を離れて(オルフェーオ)
※上演時間:約80分(休憩なし)/日本語字幕付
問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999
CD『La Storia di Orfeo/オルフェオの物語』
フィリップ・ジャルスキー(カウンターテナー)
エメーケ・バラート(ソプラノ)
ディエゴ・ファソリス(指揮)/イ・バロッキスティ
ワーナークラシックス
WPCS-13656 ¥2860(税込)