INTERVIEW|亀井聖矢(ロン=ティボー国際音楽コンクール 優勝)

2022秋 高坂はる香の欧州ピアノコンクールめぐり旅日記 11

 ロン=ティボーコンクールで優勝に輝いた亀井聖矢さん。結果発表を待つ間、コンクールを振り返って感じること、また、ご自身にとってピアノや音楽がどういうものなのか、お話を伺いました。
 聴き手を惹きつけるあのピアノがどのように生み出されているのか。今の若者ならではの感性に驚きつつ、これからの未知数の可能性に期待がふくらむお話です。

©︎Haruka Kosaka

—— ファイナルでサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番を演奏しようと思ったのは?

 まずは自分が好きな作品だということ、これがフランスのコンクールだということがあります。そもそもこの曲を勉強しはじめたのは、3年前に前回のロン=ティボーコンクールを受けたいと考えたとき、課題曲の中にこの作品を見つけ、すごくいい曲だと思ったことがきっかけです。その後、ピティナや日本音楽コンクールで弾いて優勝できたので、この曲には“成功体験”があり、それが最終的に決断した理由です。ラフマニノフの3番と最後まで迷いました。

—— この曲にはどんなイメージを持っていますか?

 明るく華やか、爽やかで、澄んだ朝の空気のような作品です。他のファイナリストがラフマニノフやチャイコフスキーといったロシアもの、しかも重い短調の作品を弾いたあとの5番目だったので、ガラッと違う空気を作りたいと思いました。

—— コンクールの1週間を振り返って、いかがですか? 私としては、クライバーン・コンクール期間中に亀井さんが「受けようかな?」と言い出したところから始まって、ここまで見届けた感じがあるのですが(笑)。

 そうでしたね…そこからここまできました。コンクール自体はあっという間に終わってしまいましたけど。この1週間で本当に成長できたと思いますし、受けようと決めて準備をした3ヵ月間でも大きく進歩できたと思います。新しいレパートリーに向き合い、細かいところを勉強したあと、自分の言いたいことを主張するためにどうしたら良いか考えていくなかで、ピアノ演奏に対する理解が深まった気はしています。

©︎Haruka Kosaka

—— 理解が深まった……具体的に言うと?

 具体的に(笑)。そうですね、例えば17歳でピティナのグランプリと聴衆賞をいただいたときは、自分がどうして選んでもらえたのかわからなかったんです。勢いで弾いて、それがなぜか評価されているという感じで。でも今は、こんな気持ちで演奏するとこういう音楽が生まれるという、そのプロセスがちょっとずつ見えるようになってきました。
 本番に慣れていなかった頃は自然と夢中で演奏できていたけれど、慣れてくるとだんだん冷静になる部分があって、逆にその状況で気持ちをどう持っていくとよいかもわかってきました。冷静と情熱のバランスの取り方の理解の面で、ちょっと前進したかなと思います。

—— ところで、どのようにしてこのピアニストという大変な道を選ぶことを決めたのですか? …もしかすると大変だと思っていないかもしれないですけど。

 確かに、思っていないかもしれない(笑)。もちろんコンクールでは、正直しんどいと感じるときもありますけれど。17歳のときに日本のコンクールで賞をいただけて、ピアニストとしてこの先どうしようかと悩む前に、運良く、今のように活動できる環境になりました。
 物心ついたときにはピアノをやっていましたし、どこかでピアニストになるぞと決心したというよりは、自分ができることを頑張ってきた結果、今に至るという感じです。その意味では、1年後、2年後にどうなっているかもわかりません。とにかく今できることを全力でやるのが僕のスタンスです。

—— …では、ピアニストではなくなってる可能性も?

 可能性はありますよね(笑)。そもそも、17歳でコンクールの賞をもらうまでは、見通しもまったくありませんでした。僕は謎解きが大好きなので、謎解きを作る会社に入ろうかなと思っていたぐらいですから。

—— 今の時点ではピアノのどんなところが好きですか

 自分が表現したことで誰かが喜んでくれたり、楽しんでくれたり、少しでも前向きになってくれたりすることに喜びを感じます。僕のモチベーションはそこです。いいなと思ったものを共有したくて、それがたまたまピアノで表現できたのだと思います。孤独に自分の中だけで、というタイプではありません。

—— 音として、ピアノに感じる魅力は?

 他の楽器ではなく、なんでピアノがよかったのかということですか?

—— はい。やっていたから、たまたま?

 ……そうですね(笑)。小さい頃から鍵盤のおもちゃや電子ピアノで遊んでいて、子ども向けコンクールで全国大会に出るようになりました。それで、ちょっとした場で演奏すると喜んでもらえるという体験をして、その嬉しさがずっと残っているのだと思います。作曲をするうえで、今後弦楽器と管楽器を少しやってみたいなとは思いますが。

—— これからいろいろな可能性があるとは思いますが、今のところ、ピアニストとしてこういう方向を目指したいというイメージはあるのですか?

 ここから数年は、留学やコンクールへの挑戦をしたいと思っています。コンクールの結果で状況は変わると思うので、今その先のことを考えてもその通りにはならないでしょうし。作曲や指揮に目覚めているかもしれないし、今は謎解きが趣味だけれど、他にもいろいろ出会えるだろうし。それとピアノが融合していくかもしれません。できることを突き詰めた結果、なるようになるかなと思います。好きなことに素直でいたいです。

—— まだ二十歳ですもんね。……なんかずっと二十歳ですよね(笑)。

 たしかにずっと二十歳かも(笑)。マリア・カナルス、クライバーン、ロン=ティボーと、国際コンクールは全部二十歳の間に受けました。二十歳、かなり長いですね(笑)。
 毎年、自分が想像できなかったところに行っていたいとは思いますね。今の環境の中でできることを悔いのないようにやっていければ、自分が拙い想像力で考えるより、もっと広い世界に行けるのではないかと思います。
 未来の自分には、いま思い描けるようなところにとどまっていてほしくないなって思います。

©︎Corentin Schimel

—— そういう意味で、人間として目指す方向は? 例えば音楽をするのは聴いている人に何か感じてもらうためだと話していらっしゃいましたけれど。

 そう、それが僕の生きるすべての原動力なんだと思います。演奏でも作曲でも謎解きでも、自分が生み出したもので誰かが喜んだり驚いたり感動してくれる顔が見られたら、それで嬉しいのです。だから僕はすごくエゴサもします(笑)。みなさんの感想が僕のすべての原動力になっているから。

—— そうすると、逆に良くない反応が見える時もあるのではないかと思いますが、そういうときはどうやって乗り越えるのですか?

 ああー、いい質問ですね(笑)。もちろん悪いコメントを目にすることもありますけれど、それがもっともな意見なら「わかってるな」と思うし、次はそう思われないようにどうしたらいいか考えるための材料になると思っています。いいコメントも悪いコメントもプラスになる。もともと自分が完璧だなんて思っていませんから。心が折れることもありませんね。

—— 確かに…逆に完全に的外れなコメントならスルーすればいいだけですもんね。ただ意地悪な人は、意地悪だな、でいいし。

そうそう。別にいい。

—— 二十歳ですでに悟ってますね。

 うーん、それはたぶん、悪いコメントよりもいいコメントが圧倒的に多いからだと思います。それに、批判されてこそ一人前みたいなところもあると思いますし。僕は特にエゴサが好きだから、それでいちいち心が折れていたらやっていられません(笑)。

—— ところで、好きな作曲家は?

 ラフマニノフは好きです。やっぱり聴き映えがよくキャッチーだし、聴衆に向けてのアプローチと作曲的な処理のバランスが良い作品が多いので。どんなに楽譜がすばらしくても、まずは聴いて良いものだと思えることが大事です。そのうえで勉強していくと、いろいろ緻密に組み立てられていておもしろいですよね。循環主題がよく使われていますけれど、僕はそういう、伏線が回収されていく感じが好きなので。

—— 謎解きみたいな言い方(笑)。

 そう(笑)。そういう思考で書かれた作品は、やっぱり自分の心にささるんですよね。分析して、気づいたときにすごく楽しい。その意味で、ラフマニノフなどは最高峰だと思います。

—— 新しい作品、特に有名な作品を勉強するとき、自分だけの音楽を作るためにどういうアプローチをしているのですか?

 それは自然に出てくるものではないかと思います。いろいろな演奏家の録音を聴いていいなと思う部分を取り入れることもあるし、自分はこのほうが好きだと思ってそうすることもあります。いずれにしても、同じ演奏を二人の演奏家が真似しようとしても、絶対違う演奏になりますから。自分の心が動かされる部分に正直に、一番心がふるえるように作り上げて聴いてもらいたいと思います。
 出てくる音から自分の感情を動かしていくことで、それが自然と自分の個性になっていくと思います。そういう、作為的でない音楽のほうがいいと思いますね。

—— 普段はどういう音源を聴いているのですか?

 YouTubeでいろいろ聴きますよ。特に誰というわけではなく、レパートリーによっていろいろなピアニストを聴きます。

—— なかでも信頼してよく聴くピアニストはいるのですか?

 ツィメルマンさんの演奏はよく聴きますね。あと仕上げるときは、チョ・ソンジンさんとか。ベテランの巨匠特有の自由が許される演奏とは違って、いろいろなレッスンを受け、緻密に考えて生み出された音楽だから。それが巨匠の演奏よりどうかとかそういう話ではなく、自分が勉強するうえで、彼のようなピアニストが仕上げた演奏は、とても参考になります。そこから何を抽出できるか、どこを聴くかは、自分の技量や感覚次第です。
 とはいえもちろん、真似をしても同じようにはならないし、あくまでも参考に聴いています。

審査員を務めていた児玉桃さんと ©︎Haruka Kosaka

—— ところで亀井さんは、おそらく運動神経がよくないのに、ピアノになると超絶技巧作品も軽々と演奏できますよね。(注:クライバーン・コンクールのときにプールで溺れた事件や、うんていが下手すぎる件を以前話しあっていた前提での、失礼な発言です!)

 ……運動神経、よくない。

—— でも、ピアノなら思うように体が動くわけじゃないですか。

 うーん、たしかに。たぶん、運動神経が悪いわけじゃないんじゃないですかね?

—— やってないだけ?

 そう、やってないだけ(笑)。やり方がわからないだけで、やればできるんじゃないですか、どんな運動でも。ピアノはずっと教えてもらってるから、できる。

—— それでは最後に、これから音楽をする上で一番大切にしていきたいことはなんでしょうか。

 自分の感性、音楽に対して心がふるえる感覚です。どんな技術を習得しても、どんなに勉強、分析したとしても、結局は心です。自分の心に従っていきたいですね。

♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/