2022秋 高坂はる香の欧州ピアノコンクールめぐり旅日記 9
フレッシュな二人の才能が優勝に輝くという結果で幕を閉じた、ロン=ティボー国際音楽コンクールピアノ部門。最終結果を決定づけたのは、ファイナルでのピアノ協奏曲でした。
改めて、ファイナリストたちの演奏を振り返りつつ、彼らの言葉や審査員たちのコメントをご紹介したいと思います。
ファイナルを配信でご覧になった方は、共演したオーケストラが独特の制服を身につけていたことに気づいたのではないでしょうか。彼らの名はギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団。フランスの軍楽隊で、吹奏楽編成での活動が多く、とはいえ普段から弦楽入りの編成での演奏もできるように弦楽奏者を加えているとのこと。今回はコンクールに協力してくれている形だと聞きました。
コンクールのファイナルは、直前まで演目がわからず、リハーサル時間も短い中で本番を迎えます。一般的なプロオーケストラでも大変なほどですから、今回はますます大変だったはず…。
さて、ファイナルでトップに演奏したのは、日本の重森光太郎さん。演目はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。溌剌としたタッチで鳴らす音が、オーケストラの中でしっかり際立ちます。一言一言はっきりと伝えるように音楽を進めていく印象。ファイナルで演奏できることの嬉しさと緊張で気持ちがはやる部分もあったかもしれませんが、堂々と弾き切りました。一方でオーケストラのほうが、この曲に少し慣れていないように感じられる部分もありました。リハーサルもちょっと大変だったみたいです。
しかも重森さんにとっては、今回がオーケストラと初めての共演。以前から、チャイコフスキーの協奏曲を演奏してみたいと思っていて、これまでにもコンクールのたびに選曲してきたけれどファイナルまで行くことができず、今回はようやく演奏ができて、とにかくうれしかったとのこと。
「迫力もあればロマンティックな部分もあり、ロシアの景色が鮮やかに見えるところに惹かれます。また2楽章の音楽の流れ、途中で現れるバレエ音楽を思わせるリズムも美しく、3楽章はオーケストラとの絡みが好きです」
コンクールを経て、「これまでは、自分の音楽を出すことが怖くて内向きになりがちだったのが、より積極的に伝えられるようになったように思う」と話していました。第4位だけでなく大きな経験を得られたようです。よかったね!
続く中国のGuo Yimingさんは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏。ソロでも清潔感のある控えめな音で弾く印象でしたが、このラフマニノフという超絶技巧の作品でもそれは変わらず、さらりとしたやさしい音で、軽々とこの難曲を弾き進めていきました。そしてこのレパートリーもまた、オーケストラが少し慣れていない感じがあり、若干大変そうでした。
アメリカのMichael Davidmanさんも、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏。彼の硬質で華やかな音は、オーケストラのなかでよく映えます。軽やかなパートでは、跳ねるように、自由な音楽を展開。オーケストラも少しずつ慣れてきたのか、フィナーレもうまく合っていました。
共演を振り返ってDavidmanさんは、「確かにこの楽団は、プロオーケストラと軍楽隊の間のような感じだったけれど、だんだんと良くなっていきました。何人かの演奏家はすばらしく、とくにオーボエ奏者にすばらしい人がいて、共演を楽しめました」と話していました。
第3位に入賞、オーケストラ・ミュージシャン賞も受賞です。
イ・ヒョク Lee Hyuk さんは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を演奏。持ち前のリズム感と推進力のある音楽性が合う選曲です。自分の音を豊かに鳴らし、また華やかで新鮮なカデンツァでも自分だけの音楽を聴かせ、鮮やかな印象を残します。スピード感のある曲だけにオーケストラが大変そうな場面もみられましたが、ヒョクさんも対応してそのテンポに合わせ、なにより、そこでできる最高の音楽をつくることに集中していたようにみられます。彼にしかできないプロコフィエフを聴かせてくれました。
第1位という結果を受けて、ヒョクさんはこう話していました。
「この結果は僕に、さらに前に進もうというモチベーションを与えてくれます。真の音楽家を目指していくうえでは、やらなくてはならないことがまだたくさんありますから、止まってはいけない。その背中を押してくれる、大きな力になりそうです」
亀井聖矢さんは、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番を選択。冒頭からたっぷり空気を含むような音を鳴らして、会場にやわらかく爽やかな風を吹かせた印象です。さまざまなタッチを用い、音の余韻にも聴衆の耳を向けさせ、疾走するような箇所ではエネルギッシュに感情を爆発させる。そして驚くことに、オーケストラもここまでとは別の楽団のようにうまくまとまり、ピアニストに合わせていきます。
実は亀井さん、3年前にロン=ティボーを受けたいと思って課題曲を見ていた時、選曲リストにこの曲があるのを見つけ、勉強し始めたのだそう。
とても好きな作品で、ピティナ・ピアノコンペティション特級ファイナルと日本音楽コンクールでも演奏して優勝を果たしました。つまり今回ロン=ティボーでこの曲を弾くことは、3年越しの念願だったということ。そこにきて、オーケストラとの相性も抜群という状況が重なり、今回の結果となりました。
聴衆も大喝采、その反応のとおり、亀井さんは聴衆賞も受賞。また、私も審査に参加したプレス審査員賞も受賞しました。開票現場をもちろん見ていましたが、得票数はダントツでした。
最後の奏者は、Noh Hee Seongさん。3人目となるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。心なしか、オーケストラもこの曲の演奏に慣れてきた感じ…。ここまでソロでは元気のいい音を鳴らしてきたNohさんですが、今日は落ち着きのある、優しくきれいな音を鳴らしています。それが逆にオーケストラの中で埋もれてしまうところはあったものの、フランス趣味のチャイコフスキーというような、品の良い音楽を聴かせてくれました。
それにしてもこうして見ると、ファイナルの選曲はやはり大事です。自分のキャラクターとの相性、審査員や聴衆という聴き手へのアピール度はもちろん大切。加えて今回は、共演するオーケストラがその曲を得意としているかという点も、いつも以上に影響したところがありそうでした。もちろん、ソリストの力で変わる部分は大いにありますが。
…ここでふと、最初の聴きどころの記事の課題曲のくだりで、選曲リストに「マスネのコンチェルトやフォーレの『ピアノとオーケストラのためのバラード』が入っていておもしろいけど、選んでいるコンテスタンとはいない」と書いたことを思い出しました。
普通、レアなレパートリーは、コンテスタント本人はもちろんオーケストラも慣れていないから避けがちですが、「もしかしてこれ、オーケストラが得意とするレパートリーだったからリストに入っていたのかも?」と思ったり。選んでいたら、ずばぬけた名演ができたのかも!? わかりませんが。
オーケストラも味方につけて爽やかなサン=サーンスを演奏した亀井さん、プロコフィエフで自分だけの音楽を貫いたイ・ヒョクさん。二人の優勝者を生み出した今回の審査結果について、審査員のレナ・シェレシェフスカヤさん(アレクサンドル・カントロフはじめ、近年活躍する数々の若いピアニストを育てている名教育者です)は、こう話してくださいました。
「ひとりを選ぶ必要があるといわれていましたが、二人を選ぶチャンスが与えられてとても嬉しく思います。審査員は、完全に分断されていたんです。ある人たちはプロコフィエフの2番を絶賛し、ある人たちはサン=サーンスを絶賛した。最終的に、私たち審査員の今後の関係が壊れてしまわないように(笑)、両方を1位にすることにしたのです。
私自身も二人とも大好きでした。審査員みんなもそうだったと思います。でもそれぞれに、少しどちらかに偏ってこちらが好きだという感覚はあったでしょう。私自身は、カメイのほうに気持ちがむいていましたね」
審査員のマルク・ラフォレさんは、二人の若い才能が見出されたことについて「彼らのような才能が得られて私たちは幸運だった」と話します。
「二人とも若く、信じられないような才能とコントロール力があり、本当の音楽をする音楽家です。この年齢でこういう才能を見たのは久しぶりです。彼らは大きなキャリアを築くに違いありません。
カメイの解釈にはとても心を動かされました。全ての音が音楽にとって重要だと感じられたからです。ヒョクのほうは、また別の方向で大変な才能がありました。たとえばショパンで感じられたデリカシーが、私はとても好きでした。レパートリーも幅広い。二人とも卓越していましたから、一人しか選ぶことができないのは残念だということで、二人を同位優勝とすることになりました」
ちなみに、そんな心を動かす特別なピアニストであるためには何が必要なのか尋ねると、こう答えてくださいました。
「自分のしたいことを伝達できる才能です。演奏家は誰でも音楽が好きで演奏技術もあると思いますが、思っていることを人と分かち合い、伝えることができなくてはなりません。技術も大変ですが、特別な雰囲気を作り、聴衆と分かち合える人、正直なものを共有できる人こそを、アーティストといえると思います」
そして最後にはこの方のインタビュー! ジュネーヴに引き続き、こちらのコンクールでも審査員を務められた児玉桃さんです。児玉さんは、大阪に生まれ、幼少期からヨーロッパで育ち、パリを拠点とされています。フランスのコンクールならではの空気を、“現地”の人として、同時に外からの視点も持ちながら語ってくださいました。
—— 審査員の意見が真っ二つだったとさっきレナ先生がおっしゃっていました。
そうですね(笑)。でも結果的にタイプの違うピアニストが優勝を分けあうことになり、それぞれにチャンスが開かれたので、とても良かったと思います。課題曲もそうですが、審査員にも昔のフランスの感覚をお持ちの方がたくさんいらして、フランスのエスプリがよく出たコンクールだったと思います。
—— ベテランのフランス人審査員の先生方は、審査中もよく独り言をおっしゃるというか、感想を漏らしていらっしゃいましたね(笑)。
そうなんですよね、ああやって声が聞こえてびっくりなさる方もいたかもしれませんけれど、昔のフランスらしいというか…グローバル化が進んでなくなりつつあるかと思いましたが、文化はまだ残っていました(笑)。それもまた、フランスならではのこのコンクールの面白さだったと思います。
—— 審査員からすると、予選のあの独特のプログラムから見えるのはどんなことでしたか?
例えばショパンのソナタの1楽章はすごく難しいですから、いろいろと見えてきます。クープラン、ラモーも、テンポだけでもこれだけ違うかと思い興味深かったです。「プレスト」では、人によってフランスのエスプリが出ていたり、何かほかのものが出ていたり(笑)。一見シンプルな課題曲の組み合わせですが、意外とそうでなく、面白かったですね。
—— 優勝者の一人、イ・ヒョクさんはどんなところが評価されたのでしょうか。
自分のしたいことを通すところでしょう。予選ではリストのハンガリー狂詩曲でユニークなカデンツァを弾きました。ショパンのノクターンが素晴らしかったという意見もありましたね。プロコフィエフで、自分の解釈を通し切っていらしたところも評価されたと思います。
—— そしてもう一人の優勝者、亀井さんの印象はいかがですか?
予選から才能あふれる表現をされていました。自分の音色の感覚で独自の世界をつくり、繊細なところと力強いところを混ぜ合わせながら、音楽に没頭して弾いていらっしゃって、この若さですごいことだと思いました。今回の優勝でいろいろなドアが開くと思うので、自分の道を見つけ、活動を広げてほしいと思います。
♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/