第35回「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催:公益財団法人 日本美術協会)音楽部門の受賞者に選ばれた、ピアニストのマリア・ジョアン・ピレシュ(ピリス)。11月18日、都内で開催された同賞の合同記者会見ならびに個別懇親会に登壇した。
選出結果は今年9月に発表されており、会見にはピレシュを含めた5名の受賞者の他、顧問陣らも出席。その一人、ヒラリー・ロダム・クリントン元アメリカ国務長官は、「私たち米国出身者は、自らの進むべき道を考え直す最中にある」と自国の情勢について言及しつつ、「アーティストの生み出す作品が、我々が光へと向かうための道を見つける手助けをしてくれると確信しています」と、混迷を極める世界において芸術がもつ力、そして本賞の果たす役割の大きさを強調した。
会見冒頭、各受賞者を紹介するビデオ映像が流されたが、そのなかでピレシュは、幼いころの音楽との出会い、そして自身のスタンスを以下のように語っていた。
「耳で曲を覚えていました。ある日、母に楽譜の読み方を教えてほしいと頼みました。私の音楽との最初の接点は、小節やテンポ、譜面に書かれた楽曲とは無縁で、空間と音、自由、想像力、そしてイメージやアイデアでした。(中略)身体への意識はアコースティック楽器を演奏する音楽家には非常に重要です。多くの人は想像力を恐れています。想像力は変化も意味するからです。わたしたちの人生は変化しています。想像力は、誰にも損害を与えなければ常に100%前向きです。なぜなら想像力によって現実の人生を見つけることができる、本当のインスピレーションの源を見つけることができる、本当の意味で真の愛の源を見つけることができるからです」
その言葉には、商業主義と距離を置き、自らと、そして作品との対話の中で音楽を紡いできたピレシュの生き様がそのまま表れているように感じられた。
ソリストとしてのキャリアの最初期、1974年にモーツァルトのピアノ・ソナタ全集を東京・イイノホールで録音したピレシュ。以来、文楽をはじめとする日本文化に慣れ親しむようになり、現在では親日家として知られている。合同記者会見の受賞者スピーチでも、今回の受賞について「日本との深い関係の象徴」であるとし、訪日の経験が芸術家としてのこれまでの歩みに少なからぬ影響を与えていると語った。
演奏家として輝かしい功績を残す一方で、社会活動、教育活動にも積極的に取り組んできた。1999年には母国・ポルトガルの東部に「ベルガイシュ芸術センター」を設立し、農村出身の子どもたちのための合唱団や、プロ・アマを問わないアーティストのためのワークショップなど様々なプロジェクトを展開している。会見のスピーチでも「アーティストの社会的責任」について強く訴えたピレシュ。別室に会場を移して行われた個別懇親会は、このトピックについて深掘りするところからスタートした。
「現在、芸術は美術館やコンサートホールなどの閉ざされた空間の中に限定されてしまっていますが、より広く、社会全体に浸透させることがアーティストの使命だと考えています。残念ながら、今、若手の芸術家の多くは“競争(コンペティション)”によってエネルギーが枯渇し、十分に社会とのつながりを持てていない状況です。そうした中で私自身ができることとして、子どもたちの合唱団をはじめとする支援活動を行っており、それらを通じて若いアーティストたちに、これまでの経験やそこから得た喜び――社会活動は“義務”ではなく“本質的なニーズ”なのだということを共有しています」
では、芸術家の「社会活動」の第一歩はどのように踏み出せばよいのか。
「例えば、病院に行き、そこにいる患者と関わりを持って彼らの“苦痛”を知ること。痛みや苦しみ、争いなど、きれいごとばかりではない現実の一面に目を向けることが大切だと思います。演奏の場をコンサートホールに限定していると、『自分は多くの人々に喜びを与えている』という感覚に陥りがちですが、それは単なる幻想にすぎません。自らの社会の中での立ち位置を知って、“与える”だけでなく“もらう”こと――他者と対話をし、学ぶこと――の喜びを味わい、活動のバランスを取ること。それが私から若手の芸術家にできるアドバイスです」
さらに、「他者へのリスペクトを本質とする芸術創造の精神と、“競争”は相反する」という自らの芸術哲学に基づき、音楽コンクールについて以下の通り持論を展開した。
「コンクールばかり経験してきたピアニストは、まるでロボットのような演奏をしていると感じています。コンペティションのためだけに準備や演奏をする……結果、創造性やイマジネーション、そして作曲家に対する敬意は失われ、統一された弾き方だけが残ります。そうした人は、真の意味で楽譜を読むことができず、音楽のエッセンスを理解することもできません。現在のクラシック界は、コンクールで結果を残さないと演奏家として食べていけない、という問題のある状況に陥っていますが、そんなものは幻想で、本来は一日10時間もピアノを弾く必要はないはずなのです」
約1時間にわたった記者との質疑応答の中でしばしば、自分は「奏者」であり、「作曲家と対話した結果を聴き手=他者と共有して初めてその役割が果たされる」ことを強調したピレシュ。そんな彼女の考え方が端的に表れたひとことで、懇親会は締めくくられた。
「この賞は、私だけの賞ではありません。私を支えてくださった人、成熟を手助けしてくださった人、そばに居続けてくれた人、そして聴衆のみなさん……全員の賞です」
文・撮影:編集部
高松宮殿下記念世界文化賞
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