【GPレポート】大野和士芸術監督&新国立劇場が挑む、
ロシア・オペラの最高峰《ボリス・ゴドゥノフ》新制作で上演

 長年にわたりロシア・オペラの最高峰と讃えられ、後世に多大な影響を与えた歴史的重要作であるにもかかわらず、日本できちんと本作が上演されるのは12年振り。国内団体が管弦楽を伴って上演するのは46年振りであるという。開場25周年を迎えた新国立劇場が初めて挑む《ボリス・ゴドゥノフ》は、ロシアによるウクライナ侵攻が続くなかで行われることとなり、予期せぬ事態とはいえ結果的にはこれ以上ないほど時事性の高いタイミングでの上演が大きな話題を呼ぶはずだ。絶対に見逃すべきではない。
(2022.11/13 新国立劇場 オペラパレス 取材・文:小室敬幸 撮影:寺司正彦)

ギド・イェンティンス(ボリス・ゴドゥノフ)
手前左:九嶋香奈枝(クセニア)、ギド・イェンティンス(ボリス・ゴドゥノフ)

 このオペラは、実在のロシア皇帝ボリス・ゴドゥノフ(1551〜1605)を主人公とした1600年前後を舞台とする物語。ロシアを代表する文豪プーシキンの戯曲(および彼も参照したカラムジン執筆の歴史書)を原作にして、オペラの台本は作曲者であるムソルグスキー自身が執筆している。

 今回のプロダクションで演出を務めるマリウシュ・トレリンスキ(ポーランド国立歌劇場芸術監督)も述べているが、《ボリス・ゴドゥノフ》というオペラは映画監督タルコフスキーによる1983年の演出(タルコフスキー没後の1990年にゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場で収録され、映像ソフト化されている)に代表されるように、長らく「ロシアの帝国主義や国家主義」と結びつけられてきた。それこそ「改訂版(1872年)」第3幕におけるポーランド軍のロシアへ侵攻(ロシア正教会からカトリックに改宗させるのが表向きの理由)は、舞台上での演技とはいえ現在のウクライナ侵攻を正当化しかねない内容ともいえる。

 しかし演出家トレリンスキは、指揮を務める大野和士(新国立劇場オペラ芸術監督)と検討した上でポーランドにまつわる場面を含まない「原典版(1869年)」を基調にしてこの問題を避けた。その上で第2幕と、第4幕で最終的に主人公ボリスが発狂するシーン以降は「改訂版」を取り入れる折衷案とすることにより、支配者の抱える闇の深さを、個々人の問題へと矮小化することなく描いてみせる。

右:ユスティナ・ヴァシレフスカ(フョードル[黙役])

 《ボリス・ゴドゥノフ》の演出が4回目になるというトレリンスキは、隅々まで本作のことを知り尽くしており、プロローグ(=原典版 第1部)の第1場から、映像を駆使した大胆な読み替えで、観客を驚かせる。ボリスの長男フョードルを重度の身体障がいをもつ役どころに設定。メゾソプラノによるズボン役ではなく、ポーランドでのオーディションにより選ばれた女性俳優の黙役に演じさせるのだ(声は場面に応じて2人の歌手が歌い分ける)。

 ボリスは皇帝になるために7歳のドミトリー皇子(前皇帝フョードル1世の甥)を殺していること、それが原因で自らの長男フョードルが障がいを抱えてしまったと考えているようで、息子に尽くすことで罪を贖おうとしていることが物語の進む過程で明らかになっていく(なおトレリンスキは、今回の演出がボリスの頭のなかで起きているモノドラマであると説明していることも付記しておこう)。

前列左:ゴデルジ・ジャネリーゼ(ピーメン)、工藤和真(グリゴリー・オトレピエフ)
手前左より:青地英幸(ミサイール)、河野鉄平(ヴァルラーム)

 ラフな姿のボリスが姿をみせると、民衆や周囲の人々に対して暴力的な態度をとり、更には農民の姿で演じられることの多い民衆が、今回は(アメリカ等で多く見られる)斧を持った消防士のような姿をしている。彼らは天災であろうと人災であろうと命の危険を顧みず、人命救助の最前線で活躍する無名のヒーローたちだ。この時点で、民衆にとって救世主となるのが次期支配者ボリスではないことが暗示されているのだろう。

 続くプロローグの第2場は皇帝の戴冠式となり、ボリスが苦しい胸のうちを独白する。ところが今回は人々からの祝賀の声に応えるボリスの演技を軽薄なものとすることで、我々観客に共感よりも嫌悪の感情を抱かせる。ボリスは国を救うためにドミトリー皇子を殺したが、その点に関して演出のトレリンスキは同情の付け入るすきを与えず、ボリスもまた悪人であることを明確にしていくのだ。傍らで車椅子に座る息子フョードルは、さながら茨の冠をかぶったキリストを思わせる姿で現れ、第3幕の伏線となる。

左:工藤和真(グリゴリー・オトレピエフ) 右:清水華澄(女主人)
中央:駒田敏章(役人)
左より:小泉詠子(フョードル/クセニアの友人)、金子美香(乳母/クセニアの友人)、九嶋香奈枝(クセニア)

 第1幕(=原典版の第2部)の第1場では、ボリスの政敵である最高位の修道僧ピーメンと彼のプロパガンダを吹き込まれた一介の僧侶グリゴリー(後の偽ドミトリー)が物語を進める。ピーメンは、まるで怪僧ラスプーチンや、『スターウォーズ』の黒幕パルパティーン皇帝を思わせる雰囲気で、自らが執筆する年代記を託したグリゴリーに刃物を渡して、暗にボリスから権力を奪うことを求める。第2場はグリゴリーらが訪れた辺境の酒場が舞台となるが、オリジナルの設定よりも卑猥で、幕切れもより刺激的だ。

 休憩明けの第2幕(=改訂版の第2幕)は、ボリスの娘クセニアが婚約者の死を嘆くシーンから始まる。本来、この場面では息子フョードル(小泉詠子)と乳母(金子美香)の2人がクセニアを励ますのだが、会場で配布されるキャスト表にも書かれているように今回の演出ではこの2人がクセニアの友人に設定変更されているので注意が必要だ。ただしフョードルの台詞のうち、ボリスとの会話については黙役が演じ、声は小泉があてている。フョードルに“紙の王冠”を被らせる演出は非常に感動的なのだが、続く第3幕の重要な伏線にもなっているので注目しておこう。その後、シュイスキー公(史実ではボリスの3代あとの皇帝!)との会話などが続く。

 第3幕(=原典版の第4部 第1場)は、まずミサ終わりの群衆が登場。偽ドミトリー(元グリゴリー)を信じ、ボリスとその仲間たちに死を与えんと血気盛んだ。一方のボリスはフョードルの口から神のような声(聖愚者の声である清水徹太郎が歌う)で罪をなじられて、たじろぐ。これは幻覚で、高熱のフョードルによるうわごとに過ぎなかったのだが、ボリスの精神は崩壊寸前だ。

 2度目の休憩明けである第4幕(=改訂版の第4幕 第1場)は、宮殿(クレムリン)に集まった貴族院議員たちに、遅れてきたシュイスキー公がボリスの現状を説明。実際に現れたボリスは見る影もなく、シュイスキーに呼び込まれたピーメンによって皇子殺しが糾弾される。ここまでは、概ねオリジナル通りの流れである。

 ところが、今回のトレリンスキ演出は本来、この場にいないはずの“ある人物”を登場させることで次のフィナーレ(=改訂版の第4幕 第2場)まで、これまた意表を突かれる驚きの展開が続いていく! オリジナルの台本で死ぬのはボリスだけなのだが、トレリンスキの見事な読み替えは権力闘争の残忍さをこれでもかと突きつけてくる。開いた口が塞がらなかったとだけ述べておこう。キーワードとなるのは台詞に含まれる「獣 зверьё」である。

(※具体的に何が起こるのかは、新国立劇場の公式記事「リハーサル開始・コンセプト説明レポート」や当日会場で配布されるキャスト表の裏に掲載された「あらすじ」に掲載――つまりネタバレが書かれているが、事前に読まない方が刺激的な観劇体験になるはずだ)

 大胆な読み替え演出でありながら奇をてらった印象を受けないのは、説得力のある演奏と演技ゆえだろう。大野が2015年から音楽監督を務める東京都交響楽団をオーケストラピットにわざわざ連れてきているだけあって、いつも以上に歌手、合唱、管弦楽の一体感が素晴らしい。オーケストラだけの見せ場はないのだが、それでもシンフォニックな満足感を得られるほどなのだ。

 新国立劇場が誇る自慢の合唱団はあいも変わらず見事なもの。“大衆”こそが真の主役であると語られることの多い《ボリス・ゴドゥノフ》だが、今回の演出では前述した消防士に加え、軍人、ホワイトカラー(≒貴族)、修道僧などと場面場面で姿を変えながら演じ分けてられていくのも見ものである。

 外国からの招聘歌手はウクライナ侵攻の影響で止む無く変更となっていたが、三者三様の魅力を舞台上で発揮。高僧ピーメンを演じるゴデルジ・ジャネリーゼは、大野がYouTubeで見つけたという逸材で、まだ30代前半の若手とは思えないほどの貫禄で驚かされたし、日和見的に不安定な政情をわたり歩くシュイスキー公を演じるアーノルド・ベズイエンは、《ニーベルングの指環》ミーメ役でバイロイトの常連なだけあり、腹に一物を抱えた絶妙な胡散臭さを醸し出す。

右:アーノルド・ベズイエン(ヴァシリー・シュイスキー公)
後列中央:工藤和真(偽ドミトリー)

 だが何といっても称賛すべきはボリスを演じたギド・イェンティンスだ。新国立劇場では大野が指揮するプロダクションに2度出演していることからも信頼の厚さがうかがわれるが、今度もこの難しい役どころを巧みに演じてみせた。とりわけ第4幕後半でボリスが追い込まれていき、言動と行動が乖離していくことで表現される狂気は必見だ。日本人キャストも引けをとっていないが、今回が新国立劇場デビューとなる偽ドミトリーを演じた工藤和真は今後の成長への期待も含めて、今から注目しておきたい。なおカーテンコールでひときわ大きな拍手を集めていたのは、黙役ながら身体障がいを限りなく自然な演技でみせたフョードル役のユスティナ・ヴァシレフスカだった。

 大野和士が新国立劇場オペラ部門の芸術監督となって5年目で、まだ任期は続く。だが後世から振り返った時に、きっとこの《ボリス・ゴドゥノフ》は大野時代を象徴する新制作のプロダクションとして記憶されるに違いない。オペラファンならずとも日本のクラシック音楽シーンの潮流をおさえるためには、必ず観ておくべきプロダクションである。

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Information

新国立劇場 開場25周年記念公演
モデスト・ムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》(新制作)
プロローグ付き全4幕(ロシア語上演/日本語及び英語字幕付)

2022.11/15(火)14:00、11/17(木)19:00、11/20(日)14:00、11/23(水・祝)14:00、11/26(土)14:00
新国立劇場 オペラパレス

指揮:大野和士
管弦楽:東京都交響楽団

演出:マリウシュ・トレリンスキ
美術:ボリス・クドルチカ
衣裳:ヴォイチェフ・ジエジッツ
照明:マルク・ハインツ
映像:バルテック・マシス

ボリス・ゴドゥノフ:ギド・イェンティンス
フョードル:小泉詠子
クセニア:九嶋香奈枝
乳母:金子美香
ヴァシリー・シュイスキー公:アーノルド・ベズイエン
アンドレイ・シチェルカーロフ:秋谷直之
ピーメン:ゴデルジ・ジャネリーゼ
グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー):工藤和真
ヴァルラーム:河野鉄平
ミサイール:青地英幸
女主人:清水華澄
聖愚者の声:清水徹太郎
ニキーティチ/役人:駒田敏章
ミチューハ:大塚博章
侍従:濱松孝行
フョードル-聖愚者(黙役):ユスティナ・ヴァシレフスカ

合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団

共同制作:ポーランド国立歌劇場

問:新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/borisgodunov/