INTERVIEW 山下裕賀、松﨑国生らが紐解く新作「いろはにほへと弦楽四重歌曲集」の世界

取材・文:林昌英

この国に古くから伝わる“うた”に光をあてる

 お盆の週末8月14日、銀座のヤマハホールで「いろはにほへと弦楽四重歌曲集」なる公演が開催される。主催HPでは6月末時点で、内容について「日本の伝承遊びや童歌による新曲」以外はほぼ明らかになっていない。一方、出演者はメゾソプラノ山下裕賀、ヴァイオリン石上真由子對馬佳祐、ヴィオラ安達真理、チェロ富岡廉太郎という超豪華というべき俊英たちの顔ぶれが並ぶ。ではその内容は何か。
 山下裕賀、松﨑国生(作曲)、泉志谷(みしや)忠和(プロデュース)の3人に話を聞いた。

 編成は「歌と弦楽四重奏」ではあるが、単純に民謡を編曲した公演ではないという。企画の中心となる泉志谷は「私たちの中に深く根差した伝承遊びや民謡を、西洋音楽と融和させて、作品にしてみたかった」と語り始めた。

泉志谷「西洋のクラシック音楽は現地の言葉や文化に深く根付いています。我々の土着的なものをそこに組み合わせていきたい。明治以来の日本の文学も、西洋の小説を消化して日本のものになりました。クラシックでも同じようなことを起こしてみたいのです」

いろはにほへと弦楽四重歌曲集
作曲:松﨑国生 詩:川宮史紀仁
序曲
第一曲 こども心とおとな心
第二曲 この世について
第三曲 生きるとは何か?
第四曲 死とは何か?
第五曲 わたしとは何か?

使用している伝承遊び・わらべ歌:
「鬼ごっこ」「かくれんぼ」「はないちもんめ」「あんたがたどこさ」「丸竹夷」 他

山下「西洋のものと日本のものの融合は、私自身のなかでもそういう感覚があります。西洋音楽を中心に勉強していますが、日本のわらべ歌はいつの間にか体の中に染みついているもので、本当に自分の中から出てくる音楽だと感じられます」

山下裕賀

松﨑「受け継がれてきた歌は存在が当たり前すぎるのか、アートとしてとらえることがあまりない。むしろ“日本っぽい”メロディこそ、クラシックから見て一番のアイデンティティだと思います。昔、作曲家のチェレプニンが日本に来て、ヨーロッパに行くより箱根の民謡を聴く方がいいと語ったそうです。日本独特の民謡などを手放す必要があるのかという、現在にも通じる指摘です。インターネットでカルチャーが平坦になりつつあるからこそ、やる意義があると思います」

 今回はアレンジ・メドレーとは違い、よく知る歌を題材としながらも、松﨑によってまったく新しい音楽が作られ、演奏会全体でひとつの世界観が提示される。出演者もそれぞれ泉志谷らとのつながりがあり、趣旨に賛同しての参加だという。

松﨑「音楽はリコンポーズドというか、素材で埋めるのではなく大きな庭の中で調和させるように作っています。平明になりすぎず、でもわかりやすさは外さないように。弦楽器を選んだのは自分の表現のツールとしてやりやすいのと、民謡の土のにおいのようなものを出せるのは弦の音色と考えたからです」

松﨑国生

 詩は気鋭の詩人、川宮史紀仁が担当。「はないちもんめ」「あんたがたどこさ」といったわらべ歌などの詩をモチーフにした新しい作品ができあがったという。

泉志谷「川宮さんの詩はストーリーがあり、わらべ歌の空気感をもたせながら、違う世界を作っていきます。もしかすると人間が自然をなくしてしまうかもしれない、でもこの状況を保存していきたい、それを伝承遊びというものに乗せながら共感の軸を残したい、と仰っていました」

松﨑「メロディ優先か詩優先かでいえば今回は詩。話すイントネーションから極力外れず、語りに近くなるようにしたい。クラシックの古典的なイメージで作っていて、深刻にならないということも心がけています」

山下「自然に歌えるのは嬉しいことです。日本語を語るうえで言葉は大切にしたい。言葉の持っている温度感など、素直に伝わることが多いので、自分の感じたものを大事にして歌いたいと思います」

失われつつある“伝承遊び”

 伝承遊びを掘り下げようと思った理由を「子どもたちがあまり伝承遊びをしなくなったこと」と泉志谷は語る。企画の土台には、日本人に根差した何気ない歌や声への愛着と、それが失われていくのではないかという危機感がある。
 そこから泉志谷は、生物学者リチャード・ドーキンスが提唱した「文化遺伝子」という概念を引き合いに、今回の企画で「文化遺伝子の生存可能性を高める」ことを強調する。クラシックは長く演奏され続けて、多くの人間が関わり、その多様さが「クラシックの文化遺伝子」を強固にしていった。「鬼ごっこ」や「丸竹夷」をはじめとした日本の伝承遊びやわらべ歌なども、あえてクラシックの遺伝子を加えて音にすることで、その文化遺伝子が強化され、おおもとの歌が生き残っていくことに繋がるという考え方のようだ。

泉志谷「西洋音楽は楽譜上で時間を分けましたが、日本古来のものはその感覚をもたない。分離するのではなく、自然の中に人間が行こうとする。風の音、木のささやきに無限の時間があって、身をゆだねているような感覚。それを西洋音楽のルールのなかでどこまでできるのかが今回の狙いです」

松﨑「民謡は明るい曲は少ないですが、まじめさが転じて明るさとか滑稽さも感じられます。そこを改めてとらえて落とし込みたい。朗らかな日本のクラシックみたいなものを作ろうとしたら、こういう再発見から始まるのかなと思います」

 彼らの危機感に思い当たることは多い。「じゃんけん」の掛け声は廃れないとしても、「かくれんぼ」はどの世代でもわかるのだろうか? 「かごめかごめ」はどの世代も歌ったことがあるのだろうか?

 今回はそんな問題意識と覚悟の詰まった公演となる――というのも少々仰々しいかもしれない。なにしろ彼らは明るかった。日々の語り合いから飲み会までコミュニケーションを楽しみ、話が盛り上がる。伝承の危機も前向きに解決していきたいという楽観性がある。そんな彼らによる公演であれば「~であるべき」といった枠は取っ払い、この場で生まれる音楽をシンプルに楽しんでみるのがよさそうだ。

石上真由子(ヴァイオリン)
對馬佳祐(ヴァイオリン)
安達真理(ヴィオラ)
富岡廉太郎(チェロ)

 もちろん、山下の歌声はいま体験しておくべきと強くお勧めしたいし、弦楽器4人についても一文では説明できないほどの名手かつ人気奏者ぞろいで、出演者目的でも満足できるはず。松﨑の音楽もだれでも楽しめるものになるに違いない。山下のコメントはその期待を増してくれる。

山下「弦楽四重奏と一緒に歌ったことはあまりなくて、ホールで自分の声と弦の音色がどうマッチしていくのか楽しみです。同世代の奏者が多いのも嬉しいし、新曲なので私たちの音楽をのびのびやりたいなと思います」

「いろはにほへと弦楽四重歌曲集」日本の伝承遊びより
2022.8/14(日)15:00 ヤマハホール

出演
山下裕賀(メゾソプラノ)
石上真由子 對馬佳祐(以上ヴァイオリン)
安達真理(ヴィオラ)
富岡廉太郎(チェロ)

問:IROHANIHOHETO Project 050-3131-9030
https://www.jccr.or.jp/iroha