新国立劇場で初上演、大野和士指揮《ペレアスとメリザンド》がまもなく開幕

 2021/22シーズンの新国立劇場のオペラ部門は、世界に羽ばたく若手オペラ歌手の脇園彩がタイトルロールを演じた《チェネレントラ》、ザルツブルク・イースター音楽祭などとの共同制作で待望だった《ニュルンベルクのマイスタージンガー》、勅使川原三郎の演出が絶賛された《オルフェオとエウリディーチェ》と、話題を呼んだ新制作ばかりだったが、シーズン最後の演目で、とんでもない傑作プロダクションがお目見えしてしまった! それがドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》である。

 2008年に当時の芸術監督・若杉弘によってコンサート形式で取り上げられたことはあったものの、新国立劇場のおよそ25年の歴史において《ペレアスとメリザンド》が演出付きで上演されるのは初めてのこと。日本での上演史をさかのぼっても圧倒的にコンサート形式での演奏が多く、近年だと2018年にオーケストラ・アンサンブル金沢が石川県で本格的なプロダクションを制作していたが、東京公演はコンサート形式だった。兎にも角にも日本においては、演出付きのオペラとして観られる機会が貴重な作品であることを、まず念押ししておきたい。
(2022.6/28 新国立劇場 オペラパレス 取材・文:小室敬幸 写真:寺司正彦)

左:カレン・ヴルシュ(メリザンド) 右:ロラン・ナウリ(ゴロー)
左より:妻屋秀和(アルケル)、浜田理恵(ジュヌヴィエーヴ)、カレン・ヴルシュ(メリザンド)

 1902年にパリで初演された《ペレアスとメリザンド》は、ドビュッシーに名声をもたらし、オペラの歴史に革命を起こした作品のひとつであることは広く知られている通り。だが、熱心なオペラファンであっても本作の真価を体感したことがある・・・・・・という方は意外と少ないのではなかろうか。実際に観たことがあったとしても、美しさと革新性は頭で理解できるが、謎の多いストーリーはふわっとしていて、イタリアやドイツの劇的なオペラに比べて深く心に刺さらなかった・・・・・・そういう感想になったとしても、なんら不思議ではない。

 しかしながらエクサンプロヴァンス音楽祭(2016)、ポーランド国立歌劇場(2018)と共同制作されたこのプロダクションはひと味もふた味も違うと断言しよう。並々ならぬ情熱をもって本作に向き合う芸術監督・大野和士が中心となって、管弦楽、歌手、演出のすべてがハイレベルに絡み合い、数ある傑作オペラのなかで《ペレアスとメリザンド》が最も心を抉る作品のひとつであることを詳らかにしてくれる。

左より:妻屋秀和(アルケル)、浜田理恵(ジュヌヴィエーヴ)、ベルナール・リヒター(ペレアス、カレン・ヴルシュ(メリザンド)
左より:浜田理恵(ジュヌヴィエーヴ)、カレン・ヴルシュ(メリザンド)、安藤愛恵(メリザンドの分身)、ロラン・ナウリ(ゴロー)

 大野の指揮する東京フィルハーモニー交響楽団は決して出しゃばらず、変化し続ける多彩な音色をもちいて人物造形や情景描写を音楽で饒舌に語り続ける。そうすることで美術・衣裳・照明・振付と管弦楽が渾然一体となって、本作の核である「言葉と声」を引き立てる役割に徹している。それでいて音楽的に物足りなさを感じさせないのだから、見事なバランス感覚だと言わざるを得ない。

 キャスティングされた歌手陣も、物語のコアとなる三角関係を生み出すメリザンド、ゴロー、ペレアスの全員がはまり役といってよいだろう。とりわけゴロー役のロラン・ナウリは、「現代最高のゴロー歌い」と称されるのも納得の演技で、悪しき“男らしさ(男性性)”をゴローから生々しくリアルに表出させてゆく。(後述する演出からいっても)物語の進行とともに高められていくゴローへの憎悪がドラマツルギーの中核を担っているといっても過言ではないので、最大の聴きどころのひとつといえる。

下:九嶋香奈枝(イニョルド)

 ペレアス役のベルナール・リヒターが異父兄であるゴローとの対照性を体現してくれているお陰で、(ドビュッシーが作曲する上で意識していたであろう)《トリスタンとイゾルデ》のマルケ王とトリスタンの明確な上下関係と異なり、この異父兄弟の力関係が徐々に変わってゆく様が分かりやすく伝わってくる。

 メリザンド役のカレン・ヴルシュは現代音楽を得意とするだけあって声のコントロールが精密で、語りと歌を違和感なく巧みに両立。小声でぼそぼそと語られる台詞も早口言葉風にはならず、美しくしかも演劇的だ(第4幕でペレアスの愛の告白に対する応答をあのように聴かせるとは驚いた!)。歌のない場面でも出ずっぱりで常に細かな演技が求められる過酷な演出に見事に応え、ただ神秘的なだけではない新たなメリザンド像に説得力をもたせた。

 異父兄弟の母ジュブヴィエーヴを演じる浜田理恵を筆頭に、日本人キャストも引けをとっていない。ゴローの息子イニョルドはボーイソプラノが担うこともあるが、今回の演出ではメリザンドの少女時代という含みももっており、より難しい役柄に。それを九嶋香奈枝が絶妙に演じていたのも忘れがたい。

 ここまでは音楽面の充実ぶりに触れてきたが、実際にこのプロダクションを観てみれば誰の目にも明らかなように、最も強い印象を残すのは英国の演出家ケイティ・ミッチェルによる大胆な読み替えであろう。是非とも観劇前にはミッチェルのインタビュー(公演プログラムに掲載予定)を読んでおくことをお勧めしたい。そこで語られているように、今回はオペラの本編すべてが「メリザンドが見た夢の世界」として演出されている。

 オーケストラの演奏が始める前に幕があき、(人によってはウエディングドレスを連想するかもしれない)白いドレスを着たメリザンドが登場。幸せではなさそうなことがほのめかされたのち、彼女が眠りにつくと音楽が流れ出して夢の世界へ・・・・・・。壁から樹木が生えてきたり、メリザンドが2人いたりすることで、現実世界ではなく夢であることが示されていく。

 “夢”は当然、単一の論理で筋の通った解釈は出来ず、メーテルリンクの原作とミッチェルの演出が混ざり合いながら観客にとっては不可解な現象が起こり続ける。しかしながらフロイト以来たびたび語られてきたように、夢は荒唐無稽なだけでなく、時に真理・真実のあらわれとしか思えないことを描き出してくれるものでもある。

 メリザンドも夢を通して色んなことに気付いて――いや望まずとも気付かされてしまったのだと言うべきかもしれない。夫ゴローが自分を人形のように扱い、自分そのものではなく従順さを愛していること。一見、良心的な義祖父アルケルにも下心があること。この一家の大人全員がメリザンドという個人が見えていないこと。そのなかでペレアスだけがメリザンドの「声」に気付いて、変わろうとしたこと・・・・・・。

 ミッチェルの演出は、メリザンドがどのように周囲から見られているのかを残酷に突きつけていく。その帰結としてメリザンドは第5幕、夢と現実のそれぞれで重大な決断を下す。特に夢の終盤においてメリザンドが起こす“ある行動”はこの演出における最も大きな読み替えで、はっきり言って衝撃の極み。最も心抉られる瞬間だ。その上で夢から目覚めたメリザンドが一体どうなるのか? 是非とも劇場で実際にご覧いただきたい。

右:河野鉄平(医師)

【Information】
新国立劇場 2021/2022シーズン
ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》(新制作)

(全5幕、フランス語上演/日本語及び英語字幕付)

7/2(土)14:00、7/6(水)18:30、7/9(土)14:00、7/13(水)14:00、7/17(日)14:00
新国立劇場 オペラパレス


演出:ケイティ・ミッチェル
美術:リジー・クラッチャン
衣裳:クロエ・ランフォード
照明:ジェイムズ・ファーンコム
振付:ジョセフ・アルフォード

指揮:大野和士
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

ペレアス:ベルナール・リヒター
メリザンド:カレン・ヴルシュ
ゴロー:ロラン・ナウリ
アルケル:妻屋秀和
ジュヌヴィエーヴ:浜田理恵
イニョルド:九嶋香奈枝
医師:河野鉄平
合唱:新国立劇場合唱団

問:新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
https://www.nntt.jac.go.jp
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/pelleas-melisande/