高坂はる香のワルシャワ現地レポート♪21♪
審査員INTERVIEW クシシュトフ・ヤブウォンスキ

Krzysztof Jabłoński

取材・文:高坂はる香
(コンクール終了直後にワルシャワで行なったインタビューです)

 ショパンに人生をかけて向き合ってきたヤブウォンスキさんが、今回のコンクールを終えてお感じになったことを話してくださっています。結果についての厳しい見解も多いですが、これからのことを考えて語ってくださった一つのご意見として、どうぞお読みください。

── 長い審査、おつかれさまでした。最終結果は夜中までというか、朝まで?かかりましたね。

 午前2時は、私もほとんど朝だと思います、ははは…。難しい決断でした。
 コンクール中、それぞれの審査員が膨大なノートをとっていたと思います。最後の審査を下す段階では、すべてのことが考慮されなくてはいけません。コンチェルトがすばらしかったから優勝とはいかず、1次からここまでに起きたすべてを考慮しなくてはなりません。点数を見返し、計算する必要もある。一部の審査員はその作業が早く、ある人は遅い。私は遅いほうで、ほとんど最後の一人でした。ある審査員に「マルタ・アルゲリッチになるなよ!」と言われたくらいですよ。でも私は、すべてを考慮したと確信を持ってから採点表を提出したかった。

 最後の演奏から提出まで、考える時間が充分にありませんでしたから、本当に難しかったです。本当なら、ちょっと部屋に帰って昼寝をして考える時間があったほうがいいくらいなのに。
 いずれにしても、最終的には普通に集計しただけでは結果が出なかったので、緊急の方法がとられました。結果について、審査員の間にコンセンサスがまったくなかったのです。

── コンセンサスがなかったというのは…入賞者の選択についてという意味ですか? それとも、優れたショパン演奏についてですか?

 すべてですね。審査員は年代も違いますから。そもそも、芸術についてのことだから難しいのですけれど。なんだか私は自分が恐竜のような気がしてしまいました。いま、音楽は漂流している状態なのだと思います。

 私自身は、ツィメルマンが優勝する姿を見た10歳の時、この、音楽に情熱を傾けるという考えに“毒され”た瞬間から、半世紀鍵盤とともに生きてきました。ポーランドのすばらしい先生方のもと学び、ショパンが書いた通りに演奏するという伝統…それは、ポーランドだけでなく世界中で共有されているはずのことですが、その感性を保ち、つないでいるつもりでした。

 いま私が感じている問題は、今回の結果が、オリジナリティを求めるということに影響されすぎていたのではないか、ということです。目立ったり、説得力をもって聴衆とコミュニケーションとろうとするあまり、楽譜に書かれていることに反した演奏をするのは、良い決断といえません。ショパンの音楽を演奏するにあたっては、ショパンが言っていることを聞かなくてはいけないのです。
 いろいろなマスタークラスを受けすぎて、アドバイスに混乱することもあるかもしれない。そして、人の意見を聞きすぎて、自分で楽譜をチェックすることを怠る。こんなことは、私から言わせればクリエイティヴでもなんでもありません。誰も見つけられなかったものを見つけたことにもなりません。ただの楽譜違反で、最も重要な人物であるショパンを無視するということです。

 コンクール全体を通して私が感じたのは、悲しいということです。聴衆がどんな反応をしようが、人々がブリリアントな個性を好こうが、何かが失われている、というのが現実だと思います。
 私はこの後の5年、10年でコンクールがどうなっていくのか、見当もつきません。よりいっそう混乱してしまうかもしれない。喝采を求めるあまり、大事なものを見失っているとしか思えません。

── そうすると、あなたが今回のコンクールで良いと思ったピアニストはいたのでしょうか。

 ……だいたいの方は大丈夫、見失っていなかったと思いますよ。ただ、これはこのコンクールに限ったことではありませんが、良い人が1次予選で消えてしまうこともありました。それが誰かということは、まぁ、今は気持ちが落ち着いていないので、いずれお話ししましょう。審査員は17人もいるので、仕方ないことですけれど。

 私が思うのは、審査員はポテンシャルを評価するのではなく、今の演奏を評価すべきだということです。4年後にすばらしくなりそうな人を選ぶのは、違うと思います。コンクールを通して美しく演奏した人も2、3人はいたと思いますが、やっぱりそれぞれに波がありました。

 各ステージで審査員が審査結果を提出するということは、自分がそのショパンに賛同するか否かを示す宣言のようなものです。でも審査員によっては、それほどシビアな感覚ではなく、次も聴いてみたいかどうかで評価を下しているのではないかと思います。そのやり方に反対するつもりはありませんけれど。
 私の基準からすると、セミファイナルから10人のファイナリストすら選び出せませんでした。最高で7人は選べたかな。でも審査員全体の判断としては、より多くの人にチャンスを与えようということで、規定以上の12人がファイナリストになりました。

 いずれにしても、こんなにも審査員が分断されていたコンクールは他に記憶がありません。2グループどころか3グループに分かれていて、そうなると、マジョリティがどの意見かの判断がつかなくなるのです。あらゆる物事の決定に再投票が必要でした。みなさんがお待ちだとわかっていても、どうしても時間がかかりました。

── 優勝したブルースさんの演奏についてはどうお感じですか。

 この結果については、議論はありませんでした。そのほかの賞を誰に与えるかのほうに問題がありましたね。
 彼については、これから学ぶ必要がある人だと思います。すばらしいポテンシャルを持っていますが、私の観点では、彼が再び勉強する地点に戻らなければ、一部の過去の優勝者のように道に迷ってしまうのではないかと思います。
 ショパン・コンクールに優勝することは大きなチャンスですから、なんとかうまくやってほしい。何か特別なものを持っていて、聴衆を熱狂させる演奏ができることは確かですから。彼にはたくさんの課題があると思います。

── ヤブウォンスキさんにはコンクール前に、ショパン・コンクールが求めるのは単に良いピアニストでなく優れたショパニストであり、そのショパンらしい演奏とは何かということについてお話を伺いました。他の審査員の先生方からもお話をお聞きして、私もなんとなくイメージをつかんでいた気がしていたのですが、実はコンクールが終わって、それが違ったのかもしれないと思っているというか、見失ってしまったところがあるのですが…。

 見失っているのはあなただけではありません。私も見失っています。ここまで自分がショパンを理解しようとしてきたこと、とくに偉大な先達たちから学んできたことは何だったのだろうという気持ちになっていますね。
 ほとんどの人が、速すぎるし、音が大きすぎるし、アグレッシブすぎた。今、このコンクールは危ない地点にいると思います。若いピアニストたちが、ショパン・コンクールに優勝するためにはこういう演奏をすることが必要なのだと思ってしまったら、どんどんそういう方向に進んでしまうでしょう。

 いずれにしても、私は今回はファイナリストの選択に関わることができませんでしたので、なんとも言えません。(注:ボレイコと共演するコンサートのため、セミファイナルの審査を1日欠席、コンクール事務局と相談し、オンラインで聴いて対応しようとしたけれど、最終的に審査には加わることができなかったそうです)

── ショパンの作品を正しく解釈して演奏するにはどうしたらいいのでしょうか。

 まず、どこかで聴いた演奏に基づいて何かを解釈しようとするのは間違いです。楽譜に書いてある通りに弾けばいい。解釈はその先にあるものです。
 音楽をおもしろくするために、見せつけたり自分のエゴを示したり、人々を熱狂させるため、そしてもしかしたら審査員が1位をくれるかもしれないからと、どれだけの歪曲が行われていたことでしょう。その意味で私は、ショパンが殺されている場面をたくさん見てしまったように思います。大きな問題だと思いました。

 音についてもそうです。実は、今回コンクールで使われていたスタインウェイの479は、以前私が選んだ楽器でした。言ってみれば、私の愛するベイビーですよ。だから、誰かがこの楽器をひどく叩くところを見ると本当に辛くて、ステージに飛んでいって、ピアノの前からどかしたかったくらいです。本当にすばらしい楽器なんです。優れた調律師のヤレクのおかげで、とてもいい状態になっていました。
 ただ触れるだけでもすばらしい音がするはずなのに、鍵盤を叩いたり、ペダルを蹴るように踏んだりすると、台無しになってしまいます。嵐のような音が鳴るたびに、私は泣きそうになりました。クレイジーな動きなんて必要なく、きちんと静かに弾いてくれればいいのですけれど、今はそれだとつまらないと思われてしまうのです。

 このままでは人間は鈍感になり、よほど激しい刺激でなければ感情が動かなくなってしまうのではないでしょうか。

── では、きちんとしたすばらしい演奏を聴かせてくれた方はいましたか?

 いましたけれど、ファイナルには残りませんでした。例えばAvery Gagliano。個性や華やかさはそれほどでないかもしれませんが、楽譜に反していることは何もありませんでした。

 禁則をおかしながらも、アグレッシヴで見せつけるような演奏が評価され続ければ、ショパンの音楽が意味するものを保ち、受け継いでゆくことはできません。
 審査員になるということは、興奮を求めることではありません。私は昨日は、結果のことを考えていたら眠れませんでした。

高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/