日本にルーツを持つ新世代指揮者ユージン・ツィガーンがパシフィックフィルに登場

ユージン・ツィガーン

フィンランドで名伯楽パヌラに薫陶を受ける

 フィンランドのクオピオ交響楽団首席指揮者(2023年~)のユージン・ツィガーンは、米国人を父、日本人を母として1981年に東京で生まれた。「4歳まで日本で育ちましたが、指揮者を志したのはアメリカに行ってからです」。カリフォルニア大学バークレー校からニューヨークのジュリアード音楽院に転じてジェームズ・デプリースト、さらにストックホルム音楽大学でヨルマ・パヌラに師事した。2007年にポーランド・カトヴィツェ市の第8回フィテルベルク国際指揮者コンクールで優勝して以降、キャリアを軌道に乗せた。12年に東京都交響楽団を指揮して正式デビューしたのを皮切りに、京都市交響楽団など各地のオーケストラに客演。26年は1月にパシフィックフィルハーモニア東京(PPT)の第179回定期演奏会を指揮する。

 初対面で最初の質問は日本語について。
 「東京で育った時期もインターナショナル・スクールに通っていたので、日本語の勉強は元々足りず、特に読み書きが苦手です」。都響や京響などとのリハーサルは「できるだけ日本語を使いますが、敬語が喋れないのを最初から許していただき、足りないところは英語かドイツ語で補います」。
 その上で日本のオーケストラ全般の特徴を次のように語る。
「社会学的な視点に立てば、先輩後輩の人間関係に基づく集団といえます。全員が完全を目指して一致団結、100人の声が1つになって大きなメッセージに結晶する点が素晴らしいです。もっとも、最近は“かすれ声”も容認し、完璧主義から脱皮する傾向も感じます。半分は日本人ですから、できるだけ多くの日本のオーケストラと共演、日本と西洋の真ん中に立ち、聴衆の皆様とも音楽づくりを共有していくのが理想です」

 最も得意とするのは19世紀のロマン派音楽、その時代のオペラも積極的に手がけたいという。
「ワーグナーの『新ドイツ主義』の考え方を踏襲してテンポやルバートを発想、主題のキャラクターを掘り下げ、メロス(旋律線)を動かしていきます。父はアイルランド系ながらフランスその他にもルーツがあり、若い頃は東欧の民族舞踊に傾倒、私も音楽とダンスが一体の子ども時代を過ごしたことで、音楽家を目指した気がします」
 2024年にはフランスのオーケストラ(イル・ド・フランス国立管弦楽団)でブルックナーの交響曲第7番を指揮した。
「オーケストラの音は軽めですが、歴史的奏法の説明も交えて弦の音を少しずつ変えていった結果、とても素敵なブルックナーが生まれたのです。とにかく良く歌うので、『フランスのベルカント』だと思いました」

 ストックホルムで指導を受けた指揮者教育のレジェンド、フィンランド人のパヌラからは「オーケストラの前で踊るな、しゃべるな、邪魔するな。ルバート1つでも、オケを邪魔するのはまかりならない」と、厳しく諭された。ツィガーンも「すべてにAI(人工知能)が活用される時代、バイオ・メカニズムと人間性に根ざしたクラシック音楽の存在は貴重です。とりわけドイツ・ロマン派の音楽の可変性は貴重で、感情の流れや歌わせ方は毎回の本番で一変します」といい、人間どうしの信頼関係を重視する。

十八番のロマン派プロでPPTを率いる

 PPTの定期でもドイツ・ロマン派後期の名作、R.シュトラウスの歌劇《ばらの騎士》組曲を中心に据えるが、前後には国民楽派のグリーグの劇音楽「ペールギュント」第1組曲、ムソルグスキー(ラヴェル編)の組曲「展覧会の絵」と、いずれも物語性の強い作品を配した。
「『ペールギュント』は一部の激しいナンバー以外、ドラマとドラマの間の雰囲気をつなぐ音楽として書かれ、美しさで際立ちます。《ばらの騎士》はロマンの極致であり、誰もがカルロス・クライバーの指揮に魅了されたはずです。ムソルグスキーの原作は亡き友人の画家ハルトマンの絵に基づくピアノ曲ですから、ラヴェルの素晴らしい編曲に敬意を払いつつも、1人のピアニストが組曲に立ち向かうように自在な表現を目指します」

 「自在な表現」の一言で何となく察しがつき「好きな指揮者」と尋ねると案の定、「オーケストラの魔術師」と呼ばれたレオポルド・ストコフスキーの名前が返ってきた。かつては“キワモノ”扱いされたが、山田和樹やアンドレア・バッティストーニら若い世代の指揮者の間では、ストコフスキー再評価が進んでいる。ツィガーンもPPTから作品それぞれの色を引き出し、鮮やかに描き分けるはずだ。

 最後に「夢」を尋ねた。
「世界で活躍する日本人奏者を集め、日本でピリオド楽器のアンサンブルを立ち上げてテクニック、エモーションの両面から21世紀の演奏スタイルを究め、できればオペラをはじめとする音楽劇の分野で“ぶっ飛んだ”パフォーマンスに挑みたいと考えています」

 今後、さらに多面的な活躍を期待できるマエストロだ。

取材・文:池田卓夫
写真:野口博

パシフィックフィルハーモニア東京
第179回 定期演奏会

2026.1/31(土)14:00 東京芸術劇場 コンサートホール


出演
ユージン・ツィガーン(指揮)

プログラム
グリーグ:「ペールギュント」組曲 第1番 op.46
R.シュトラウス:「ばらの騎士」組曲 op.59
ムソルグスキー(ラヴェル編):展覧会の絵

問:パシフィックフィルハーモニア東京チケットデスク03-6206-7356
https://ppt.or.jp


池田卓夫 Takuo Ikeda(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎)

1988年、日本経済新聞社フランクフルト支局長として、ベルリンの壁崩壊からドイツ統一までを現地より報道。1993年以降は文化部にて音楽担当の編集委員を長く務める。2018年に退職後、フリーランスの音楽ジャーナリストとして活動を開始。『音楽の友』『モーストリー・クラシック』等に記事や批評を執筆する他、演奏会プログラムやCD解説も手掛ける。コンサートやCDのプロデュース、司会・通訳、東京音楽コンクール、大阪国際音楽コンクールなどの審査員も務める。著書に『天国からの演奏家たち』(青林堂)がある。
https://www.iketakuhonpo.com