In memoriam エディタ・グルベローヴァ

Edita Gruberová 1946–2021

(c) Lukas Beck

 世界的ソプラノ歌手のエディタ・グルベローヴァさんが10月18日、チューリヒで死去した。74歳だった。スロバキアのブラティスラヴァ出身。国内の音楽学校で声楽を学び、その後現地の歌劇場で歌手デビューを果たす(《セビリアの理髪師》とされている)。1970年にウィーン国立歌劇場と契約を交わし、同年2月《魔笛》夜の女王でウィーン・デビュー。73年にはザルツブルク音楽祭(ジャン・ピエール・ポネル演出)にも同じ役で出演し、その驚異的なコロラトゥーラの技巧によりセンセーションを巻き起こした。グラインドボーン音楽祭やニューヨーク・メトロポリタン歌劇場でもこの役を演じ、夜の女王は彼女の代名詞となった。

 その後も《後宮からの誘拐》コンスタンツェ、《ナクソス島のアリアドネ》ツェルビネッタから、イタリアオペラにもレパートリーを広げ、1984年には英国ロイヤルオペラ《カプレーティとモンテッキ》ジュリエッタ、《リゴレット》ジルダ、《ランメルモールのルチア》題名役で大成功をおさめた。さらに《アンナ・ボレーナ》《ロベルト・デヴェリュー》《マリア・ストゥアルダ》のドニゼッティ「女王三部作」に出演し、ベルカント歌手としての名声を不動のものとする。

 ヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、ゲオルク・ショルティ、リッカルド・ムーティ、ジェイムズ・レヴァイン、ニコラウス・アーノンクールなど巨匠クラスの指揮者たちが彼女との共演と録音を熱望し、またライブ映像が残されている。歌手生活の最後まで長きにわたり“コロラトゥーラの女王”として君臨し世界中から賞賛された。広い音域と喉を酷使するため、同郷のルチア・ポップやかのマリア・カラスと異なり、コロラトゥーラ歌手の活動期間は短いという通説をくつがえしたことも特筆される。持ち役の多さでも他の追随を許さぬものがある。

 日本には1980年のウィーン国立歌劇場の引越し公演で初めて訪れ、ツェルビネッタでの超絶技巧でオペラファンを魅了した。2003年に初めて東京で《ノルマ》の舞台に立ったことも印象深い。その後もフィレンツェ歌劇場やソロでもたびたび訪れ、日本のオペラシーンを賑わせた。