大胆なアプローチで17世紀リコーダー音楽の金字塔《笛の楽園》に挑む
interview & text:後藤菜穂子
古楽界屈指のリコーダー、コルネット奏者として知られる濱田芳通。長年アンサンブル「アントネッロ」を率いて、中世・ルネサンスや初期バロックの音楽の世界につねに新風を吹き込んできた。一昨年のダ・ヴィンチ音楽祭での《オルフェオ物語》蘇演も記憶に新しい。5月には、彼にとってライフワークのひとつだと語る17世紀のリコーダー曲集、ヤコブ・ファン・エイク《笛の楽園》の連続演奏会を開く。ジャズ・ピアニスト、ソプラノ歌手、そしてリコーダー仲間とのアンサンブルという3つの競演を通して、新たな形でこの曲集を現代に蘇らせようという試みだ。
♪盲目の音楽家による神業的な即興演奏の痕跡
—— 17世紀半ばにオランダで出版されたファン・エイク(Jacob van Eyck 1589/90-1657)の《笛の楽園 Der Fluyten Lust-hof》(1644)はリコーダー奏者のバイブルともいわれる曲集だそうですが、リコーダーのレパートリーにおいてどういった位置付けをもつのでしょうか。
濱田:リコーダーという楽器は単純な構造で、音を出すのも簡単ですので、昔からリコーダーの専門家というのは少なかったのです——横笛の持ち替えなども珍しくありませんでした。したがって、リコーダーのために書かれた作品というのもとても少ないのです。たしかに《笛の楽園》も、「他の楽器で演奏してもよい」とはありますが、もともとはリコーダーのために書かれたと思われ、その意味でたいへん貴重な曲集です。楽譜は旋律声部のみで、伴奏は当時も自由に付けていたのでしょう。全部で150曲収められていて、リコーダーの曲集として最大のもののひとつです。
自分にとってはライフワークとも言えるもので、折々に取り上げてきました。全部よく知っている曲です。
——ヤコブ・ファン・エイクは主にユトレヒトで活躍した盲目の音楽家で、カリヨンの奏者および調律師としても活躍したそうですね。
そうです。この曲集はファン・エイクが当時ユトレヒトの市民のために即興で演奏した曲を、おそらくは楽譜屋が書き取って、それを出版したものです。彼がどのように即興演奏していたのかがわかりますので、リコーダー奏者にはたいへん役に立ちます。
——ほとんどの曲が、当時流行っていた歌曲に基づいた変奏曲の形式を取っているわけですね。
はい。ファンタジアとかプレリュードとか、ファン・エイク自身が作曲したオリジナル曲は少数で、あとは全部歌曲の変奏曲です。それらの歌の多くはオランダで出版された『みんなのうた』のような曲集に基づいていて、当時の人は誰でも知っていたような旋律です。そうした歌をもとにこのように即興で変奏できたのはたいへんな神業だと思います。
♪ジャズ・プレイヤーとの共演やアンサンブルで《笛の楽園》を多角的に描く
——さて、5月には《笛の楽園》をテーマに連続演奏会を開催されますが、シリーズのコンセプトについてお聞かせ下さい。
3公演のシリーズなのですが、編成をおもしろくしたいと思い、それぞれの回で異なる共演者を選びました。第1回はピアニストの黒田京子さん。即興演奏を専門とする方です。《笛の楽園》を題材にしていますが、現代だったらこんな感じで即興されたのではないか、というコンセプトの演奏会です。即興演奏という点では昔と共通していると言えますが……。
——《笛の楽園》の歌の旋律を出発点に、黒田さんと濱田さんが現代風の即興演奏を繰り広げるという趣向ですね。
そうです。でも、ジャズの即興演奏でも、たとえばチャーリー・パーカーの有名なアドリブを暗記して吹いてしまうこともあるじゃないですか。そういう感じで、ファン・エイクのフレーズも演奏の中にすこし入ってくると思います。
——黒田さんとはどのように知り合われたのですか。
あるとき黒田さんが僕の演奏会にいらして、演奏を気に入って下さって、それで共演しましょうと誘われました。とても無理だと申し上げたのですが、熱心に誘ってくださって。これまでも何度か共演しています。
——もともと濱田さんご自身、ジャズはお好きなんですか。
僕にとって、楽譜に書いてある音楽でも「即興風に吹く、いま作ったように吹く」ということは演奏家として大切にしているコンセプトですので、ジャズは昔からよく聴いてきました。それを追求しすぎて、僕がふつうにファン・エイクを吹いていても、黒田さんは僕が即興で演奏していると思われるときがあるみたいです。
——これまでほかにもジャズの音楽家と共演したことはありますか。
黒田さん以外では、マンハッタン・ジャズ・オーケストラ、それからトランペット奏者の日野皓正さんと共演したことがあります。ヒノテルさんは本当にすばらしかったです!
——第2回の演奏会はどんなコラボレーションになりますか。
第2回はソプラノの中山美紀さんとオルガンの上羽剛史さんをお迎えします。ひとつには、ファン・エイクが使った元歌を聴いていただく、ということに意義があると思うんですよね。現代のみなさんは元歌になった曲を知らないわけですから。それと中山さんはアジリタ[細かい速いパッセージ]を得意とされる方ですので、笛で吹いているようなディミニューション[旋律の音型を細かく分割していく変奏法]を彼女にも歌ってもらい、二人でディミニューションを繰り広げようというのがもうひとつのコンセプトです。
——中山さんとはこれまでも共演されているのでしょうか。
はい。数年前にフォンテヴェルデ主催のモンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》でご一緒したのがきっかけで、一昨年アントネッロが企画したダ・ヴィンチ音楽祭でのオペラ《オルフェオ物語》にも出演していただきました。
——第3回の演奏会は、4人のリコーダー奏者が大集合ですね。
最終回はリコーダー4本でファン・エイクの元歌のハーモニーを吹き、交代でディミニューションをしていくといった趣向です。メンバーの古橋潤一さんと細岡ゆきさんはこれまでも一緒に演奏してきた仲間で、高橋明日香さんとは初共演になります。それぞれのリコーダー吹きのスタイルをくらべてもらったらおもしろいかな、と思っています。
——各回、どんな楽器を使用されるのでしょうか?
第1回、第2回ではルネサンス・タイプのリコーダーとコルネットを使います。リコーダーは曲によってソプラニーノからバスまで、いろんな楽器を使い分けます。また最後の回はリコーダーにくわえて、クルムホルン[主にルネサンス時代によく使われた、ダブルリードに歌口のキャップが取り付けられた管楽器]も使うかもしれません。
♪音楽と向き合う一年
——さて、コロナ禍の一年は演奏家にとってきびしい状況だったと思いますが、濱田さんはどのように過ごされていましたか。
僕は毎日ひたすら練習していましたね。おかげでたくさん練習ができましたが、もしコロナ禍がなかったら練習ができていなかったと思うと怖いぐらいです(笑)。
——演奏会がないことで焦ったり、落ち込んだりはしませんでしたか。
コンサートは僕だけじゃなくて、皆さんなかったわけですから(笑)。でも演奏会がないという状況は良くないと思いましたし、音楽と真摯に向き合う時間の大切さに改めて気づかされました。この一年で取り組んできたことも含め、今度の公演でみなさんに聴いていただければたいへん嬉しいです。
【Information】
濱田芳通 ヤコブ・ファン・エイク作品集「笛の楽園」リコーダー連続演奏会2021
●vol.1 リコーダー&ピアノによるインプロヴィゼーション2021.5/11(火)19:00 豊洲シビックセンターホール 日程・会場変更
2021.6/30(水)19:00 MUSICASA(ムジカーザ)
共演:黒田京子(ピアノ)
●vol.2 超絶技巧!リコーダーと声によるディミニューション
2021.5/18(火)19:00 豊洲シビックセンターホール
共演:中山美紀(ソプラノ) 上羽剛史(オルガン)
●vol.3 4人のリコーダー奏者による華麗なる競演!
2021.5/25(火)19:00 豊洲シビックセンターホール
共演:古橋潤一 高橋明日香 細岡ゆき(以上リコーダー) 高本一郎(リュート)
問:ソムニアーレムジカ090-9852-3323(大江)somniare.musica★gmail.com(★を@に置き換えてください)
チケット取り扱い:
*濱田芳通リコーダー連続演奏会特設サイト
*eplus
*東京古典楽器センター 03-3952-5515
♪今後の公演情報
アントネッロ第14回定期公演「El Siglo de Ore 〜スペイン黄金世紀の音楽~」
2021.9/11(土)14:00 Hakuju Hall【完売】
『笛の楽園』特設サイト
https://hamada.somniaremusica.com
古楽アンサンブル「アントネッロ」
https://www.anthonello.com
濱田芳通(リコーダー/コルネット)Yoshimichi Hamada, recorder & cornett
我が国初の私立音楽大学、東洋音楽大学(現東京音楽大学)の創立者を曾祖父に持ち、音楽一家の四代目として東京に生まれる。桐朋学園大学古楽器科卒業後、バーゼル・スコラ・カントールムに留学。CD録音多数、いずれも高い評価を受ける。コンチェルト・パラティーノ他のコンサート、録音に参加するなどヨーロッパ各地で活躍する。国内では映画「利休」及びアニメ「耳をすませば」の音楽に出演するなど知られざるバロック以前の音楽や楽器を広めるべく、幅広い活動を行っている。リコーダーとコルネットのヴィルトゥオーゾとして広く知られる他、モンテヴェルディの3大オペラの上演、ジューリオ・カッチーニの「エウリディーチェ」(世界最古のオペラ譜)本邦初演、レオナルド・ダ・ヴィンチが関わったとされる劇作品「オルフェオ物語」を蘇演するなど、オペラ指揮者としての活躍も目覚ましい。一方で、アントネッロ結成時より南蛮音楽の研究を続けており、その成果としてCD「天正遣欧少年使節の音楽」リリース、芝居付き演奏会「エソポのハブラス」等を各地にて上演している。