
取材・文:林 昌英
撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
2005年以来、日本で上演機会のなかったR.シュトラウス《エレクトラ》。2023年、24年には演奏会形式での上演は叶ったが、オペラとしての舞台がついに新国立劇場で実現する。同劇場でも2004年以来22年ぶり、新制作の舞台に期待が集まる。
演出は新国立劇場初登場のヨハネス・エラート。欧州で活躍する演出家だが、もともとは演奏家を目指してウィーン・フィルのアカデミーで演奏活動をしていた経歴をもつ。今回の舞台でも、スコアの読み込みが深く、音楽を重視していることが伝わる。「感覚的に観て自由に楽しめる舞台を」という考え方とのことで、現代的で刺激的ではあるが、演出の要所は音楽の要所と一致し、入り込みやすい。



開演前から紗幕の奥にダークな空間が見え、ふと気づくと鼓動のパルスが重く会場に鳴り響いている。自らの心音と同期するかのような緊張感が増したのち、音楽の開始とともに、劇中に登場しない重要人物、父アガメムノンの姿が意表を突く形で現れる。その後、物語はエレクトラたち家族の居室で進行するが、奥にはさまざまな映像を映す大型スクリーンがある。妹クリソテミスのほか、食卓につく母クリテムネストラもいて、複数のブランコ、複数のクマの人形、古い型の電話機といったアイテム、そして道化たち。一見関係性の不明な物や人の数々が、劇の展開に結びついていくことになる。
母は病んだ状態で飲み薬に飛びつき、その後化粧をする様子がスクリーンに大写しされると、王妃の恰好で別人のようなオーラで再登場し、エレクトラと母の息詰まる場面に。その後のシーンでは、結婚の幸せを望み続ける妹がウェディングドレスを握り続け、内面の可憐さと幼児性を表現する。やはり精神を病んでいる状態の父エギストもこの空間に登場。スクリーンには象徴的な映像が続き、黙役も多く現れるが、情報は多くとも邪魔にはならない。弟オレストの場からはむしろ舞台はシンプルになり、驚きの結末まで集中が途切れることはない。



この舞台を実在感をもって成立させるのは、エレクトラを演じるアイレ・アッソーニの演技と歌唱だ。近年同役で名門歌劇場を席巻するエストニア出身のドラマティックソプラノ。この演出では暗い復讐心に燃える一面に限らず、表情の演技が豊かで的確、妹への笑みと母への笑みの違いなど、見るほどに引き込まれていく。そして歌唱の安定した力強さと表現力。通し稽古があったのは初日2日前のため、おそらく全力からわずかに落として歌っているはずだが、それでも突き抜けてくる芯の強さと練られた声音がすばらしい。
クリソテミスのヘドヴィグ・ハウゲルドは、結婚と出産に憧れる女性の可憐さと同時に、リリックながら力強さが際立つ声で、要所で存在感を示す。来年度の同劇場《サロメ》タイトルロールに出演予定とのこと、こちらも楽しみだ。
クリテムネストラを歌う藤村実穂子はもはや説明不要だろう。毒親の憎々しさにとどまらず、その奥にある悲哀や虚栄心、娘への複雑な思いなどを余す所なく表現。エレクトラとの二重唱は屈指の聴きもの、見ものとなる。
オレストはエギルス・シリンス。出番は短いが物語を一気に転換させる重要な存在感を万全に表現。エギストの工藤和真も個性的な歌唱に、病んだ演技が印象的。監視の女や下女たちも主役級の名歌手がそろい隙がない。



《エレクトラ》の特徴といえば、大編成の管弦楽によるショッキングな音楽である。1909年の初演から120年近く経った現在でも、そのインパクトは大きい。演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は新国立劇場オペラ芸術監督の大野和士。大野はフランクフルト歌劇場でエラートと共同作業の経験もあり、音楽と演出の相互作用という点でも注目の組み合わせだ。
本作の弦楽器はヴァイオリン3パート、ヴィオラ3パート、チェロ2パートに分かれ、第1ヴィオラは後半にヴァイオリンと持ち替えて第4ヴァイオリンになる場面も。ヴァイオリン持ち替えの主な場面は、オレスト登場後にエレクトラが気づいたときと、復讐が成就してエレクトラが歓喜する幕切れ。全体は中低弦が強いバランスでダークなムードを醸成するが、喜びの場面は通常のバランスになり陶酔感のある響きが広がるのである。今回はピットの空間で弦の人数は少なめになり(ヴァイオリン各6人ずつ)、弦を主体とする大きいうねりは作りにくくなる。しかし大野はむしろよりシャープに《エレクトラ》サウンドを作り上げて、弱音の繊細な音色やニュアンス、逆に筋肉質な力感などをもって、シュトラウスのスコアを丹念に再現するのである。



最後に改めてエラートの演出について。シリアスでシンボリックでもあるが、良い意味でのエンターテインメントであることを保ち、観るものそれぞれが直感的に楽しむことを求めている。
同時にメッセージもいいバランスで入れ込んでいる。20世紀某所と思わせる舞台で、歌手と黙役の細かい動きや置かれたアイテムが示すのは、一族の「呪われた宿命」かもしれない。クリテムネストラとエギストは殺害と復讐の連鎖が続く血筋の宿命から逃れられず、精神を病んだと見ることもできる。すると復讐を果たしたエレクトラとそのきょうだい(クリソテミス、オレスト)は……。
音楽は復讐の喜びを最高のオーケストレーションで盛り上げるが、この舞台は最後に「赦し」について考えさせられる瞬間もあり、復讐や暴力の連鎖が途切れぬ現在(いま)という時代にも自ずと思いが広がるのである。



新国立劇場オペラ 2025/26シーズン
リヒャルト・シュトラウス《エレクトラ》新制作
全1幕(ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付)
2026.6/29(月)19:00
7/2(木)、7/5(日)、7/8(水)、 7/12(日)各日14:00
新国立劇場 オペラパレス
指揮:大野和士
演出:ヨハネス・エラート
美術:ハイケ・シェーレ
衣裳:ノエル・ブランパン
照明:オラフ・フレーゼ
映像:ビビ・アベル
クリテムネストラ:藤村実穂子
エレクトラ:アイレ・アッソーニ
クリソテミス:ヘドヴィグ・ハウゲルド
エギスト:工藤和真
オレスト:エギルス・シリンス
オレストの養育者:斉木健詞
クリテムネストラの腹心の侍女:中村真紀
クリテムネストラの裳裾持ちの女:杉山由紀
若い下僕:糸賀修平
年老いた下僕:河野鉄平
監視の女:森谷真理
第1の下女:金子美香
第2の下女:谷口睦美
第3の下女:清水華澄
第4の下女:髙橋絵理
第5の下女:田崎尚美
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
問:新国立劇場ボックスオフィス03-5352-9999
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/
https://www.nntt.jac.go.jp/opera/elektra/




