ウクライナ侵攻と芸術家の姿勢
文:池上輝彦
ロシアのウクライナ侵攻がクラシック音楽界を揺るがしている。プーチン大統領の支持者で長年親しい関係にあるロシアの巨匠ワレリー・ゲルギエフ氏は、欧米での主要公演を降板し、独ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の座も追われた。一方、反戦を訴えるロシア出身の音楽家も相次いでいる。「ロシア排斥」では割り切れない。多民族が複雑に入り組み、専制主義対民主主義の様相も呈する中で、音楽は常に市民の側に立つはずだ。それを見極める必要がある。
キエフのテレビ塔とショスタコーヴィチ
3月1日、ウクライナの首都キエフのテレビ塔から赤黒い巨大な噴煙が巻き上がった。ロシア軍のミサイル攻撃を受けたバビ・ヤールというその地区は、ショスタコーヴィチの音楽を愛する人たちにとって特別の意味を持つ。ナチスドイツ占領下のユダヤ人大虐殺を扱った彼の衝撃作「交響曲第13番『バビ・ヤール』」のゆかりの地であるからだ。テレビ塔近くのホロコースト追悼施設も被害を受けた。ウクライナのゼレンスキー大統領は「ホロコーストの犠牲者を2度殺した」とロシアを非難した。
プーチン氏はゼレンスキー政権に「非武装・中立化」と「非ナチ化」を要求している。うち「非ナチ化」はゼレンスキー氏に対しては的外れだろう。彼はユダヤ系であり、ナチスのユダヤ人は論理矛盾だ。祖父はソ連軍の歩兵部隊でナチスと戦い、ホロコーストの犠牲になった親戚もいる。
1941年9月、キエフを占領したナチスドイツ軍は、同市のユダヤ人をバビ・ヤール渓谷に連行し銃殺した。大虐殺を題材にして旧ソ連の詩人エフゲニー・エフトゥシェンコは1961年、「バビ・ヤール」を書いた。この詩を第1楽章の歌詞にしてショスタコーヴィチが62年に作曲したのが、男声合唱付きの「交響曲第13番」である。
ショスタコーヴィチはチャイコフスキーと並ぶロシア音楽史上屈指の大作曲家だ。ロシアを代表する指揮者ならばこの二大作曲家の交響曲全集をレコーディングするのは必須といえる。サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場の芸術総監督であるゲルギエフ氏も当然のようにショスタコーヴィチの「交響曲第1~15番」全曲を録音している。中でも彼の真骨頂は「戦争交響曲群」と呼ばれる「第4~9番」にある。
特に第二次世界大戦のレニングラード包囲戦を扱った「第7番」は再録もしており、思い入れが強いようだ。第1楽章での「戦争の主題」による異常な躁状態の行進曲と阿鼻叫喚のクライマックス、第4楽章の「人間の主題」による高らかな凱歌が圧倒的な熱量で表現され、心を揺さぶられる。こうした作品で感動的な演奏を残しているゲルギエフ氏が、罪のない市民を殺戮するウクライナ侵攻を見たとき、肯定することができるだろうか。
ゲルギエフ氏の平和活動とオセチア問題
旧ソ連時代、音楽は政治によって制御管理され、利用された。ショスタコーヴィチは粛清と戦争の嵐が吹き荒れるスターリン体制下、政治的圧力の中で体制に迎合しつつもぎりぎりの自己主張を込めて作品を書かざるをえなかった。それでも音楽の感動は社会主義体制を越えて世界に広がった。音楽は常に市民の側にあり、人々の心を揺さぶるからこそ為政者の関心事となる。
ゲルギエフ氏の場合は、旧ソ連時代とは異なる複雑な事情がある。彼はコーカサス地方の少数民族オセット人だ。人口約60万人のオセット人のほとんどはロシア側の北オセチアとジョージア領内の南オセチアにまたがって暮らしている。2004年には彼の故郷、北オセチアでチェチェン独立派が中学校を占拠するテロ事件を起こし、子供186人を含む380人以上が死亡した。この惨事を受けて、同氏は人道主義の立場から故郷をはじめ世界各地でチャリティーコンサートをしてきた。
08年8月にはロシアとジョージアとの間で南オセチア戦争が起きた。ロシアはジョージアに侵攻し、南オセチアとアブハジアの独立を一方的に承認した。この戦時中、ゲルギエフ氏は英BBCのインタビューで当時のプーチン首相とメドベージェフ大統領への支持を表明するとともに、「ジョージアとロシアのすべての人の平和を願っている」と発言している。
日本の中学校でゲルギエフ氏のアウトリーチ活動を見学する機会があった。14年10月、東京都渋谷区内の中学校で彼がマリインスキー歌劇場管弦楽団を指揮した際、生徒を前に「日本は平和で素晴らしい国。来日するたびに我が家に帰ってきた気持ちになる」と語った。
態度表明を迫られるロシア出身の音楽家
「ロシア出身の芸術家」と言っても、ゲルギエフ氏のように民族も立場も様々だ。しかし現実には「ロシア排斥」が相次いでいる。ロシアを代表するソプラノ、アンナ・ネトレプコ氏は、米ニューヨークのメトロポリタン・オペラ(MET)で今シーズンと来シーズンの公演を降板する見通しとなった。共通するのは、これまで平和主義の信条で活動してきたとしても、今回のウクライナ侵攻に際し、プーチン氏に対して公に反対の態度を表明しない点が「排斥」の理由になっていることだ。
こうした中でピアニストのエフゲニー・キーシン氏や指揮者のキリル・ペトレンコ氏ら、反戦の立場を表明するロシア出身の音楽家もいる。ロシアの文化・芸術専門ウェブサイトが軍事作戦の中止を求めるプーチン大統領宛て公開書簡を作成し、芸術家の署名が集まっているとの報道もある。ただ、ロシア政府は国内のメディア統制を強めており、反戦の世論が広がる保証はない。北オセチア出身のトゥガン・ソヒエフ氏は、ロシアのボリショイ劇場音楽監督兼首席指揮者と仏トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団音楽監督の両方の職を辞任するなど、国内外で板挟みに遭う音楽家もいる。
プーチン氏は国民の直接投票で大統領に選ばれ、国民からの支持で長期政権を維持してきた。国民が選んだ大統領によって始められた戦争だからこそ、その深刻な人道危機に対して意見を表明しなければ、人々を感動させる立場のロシアの音楽家たちは活動もままならない。
チャイコフスキーはウクライナの宝物
ロシアの作品を演目から外す動きも一部にある。ポーランド国立歌劇場は4月に予定していたムソルグスキーのオペラ《ボリス・ゴドゥノフ》の上演を中止する。チャイコフスキーの「大序曲1812年」の演奏を取りやめる日本のオーケストラも出てきている。
だがチャイコフスキーはウクライナ・コサックの家系で、妹の嫁ぎ先もウクライナのカーメンカであるなど、同国と縁が深い。「交響曲第2番」や「ピアノ協奏曲第1番」をはじめウクライナ民謡に基づく旋律を使った作品も多い。キエフ国立フィルハーモニー交響楽団と共演を重ねてきたヴァイオリニストの大谷康子氏は「チャイコフスキーは自分たちの誇り、宝物だとウクライナの人たちは盛んに言う」と話していた。
19世紀ロマン派以降のクラシック音楽はロシア抜きでは語れない。ロシア音楽には華麗な管弦楽法で壮大なロマンと感動を聴き手に与える作品が多い。チャイコフスキーの「大序曲1812年」もショスタコーヴィチの「交響曲第7番『レニングラード』」も、それぞれナポレオンとヒトラーの侵略戦争に市民が抗して勝利した音楽だからこそ感動を呼ぶ。ベートーヴェンの「苦悩を突き抜けて歓喜へ」の感動に比肩し、文学ではトルストイの『戦争と平和』の歴史観に通じる。2人の偉大な音楽は今、ロシアとウクライナのどちらにふさわしいだろうか。
(了)