スペシャリストの薫陶を受けた気鋭が挑む“オール・ラヴェル”
来る2025年はモーリス・ラヴェルの生誕150年である。アニバーサリー・イヤーを前に、ラヴェルのピアノ作品を深く愛する酒井有彩が、一夜で彼の2つのピアノ協奏曲をプログラミングしたコンサートを行う。
「ラヴェルの音楽には多彩なハーモニーや複雑なリズム、機知に富んだアーティキュレーションなど、さまざまな音楽的要素が混在しています。一つの作品の中に、陽気なスケルツォから、ジャズのイディオム、行進曲風のキャラクターまで登場させます。それらを緻密に、かつエレガントにまとめ上げてしまうところが、完璧主義者ラヴェルの天才性だと思います」
十代でピアノ小品「水の戯れ」に出会い、その繊細で斬新な響きに衝撃を受けて以来、ラヴェル作品への憧れを抱き続けた酒井。パリとベルリンに留学し、恩師ジャック・ルヴィエのもとで学びながら、この作曲家の芳しい音楽的テクスチュアを身体に染み込ませた。今回が初共演となる渡邊一正指揮、東京フィルハーモニー交響楽団との公演では、いつか実現したいと願っていた、協奏曲2作の演奏が叶う。
「ラヴェルが残した2つのピアノ協奏曲は、晩年に続けて作曲されたものです。一つは第一次世界大戦で右手を失ったピアニストのために書かれた、『左手のための』作品です。左手だけで演奏しているとは思えないほど充実した音楽で、低音域から生み出される倍音の響きがとても豊かです。この作品は、彼の名曲『ラ・ヴァルス』のように、美しいものが崩壊していくことへの恐れのような感情を漂わせます。一方、協奏曲ト長調は、陽気で洗練された世界観を提示します。まったく性質の違う2つの協奏曲を、1つのコンサートで聴き比べていただくことで、ラヴェルの多面性を楽しんでいただけると思います。特に『左手のための』はコンサートで取り上げられる機会は少なく、私自身も初めて演奏いたしますので、ご注目いただきたいです」
公演のタイトルに掲げられているとおり、「音の魔術師」と呼ばれたラヴェル。その管弦楽法は驚くほどカラフルだ。
「ピアノ協奏曲ではありますが、オーケストラのさまざまな楽器が活躍します。とくに管楽器とピアノが対話する場面は、寄り添って語り合うような響きが生まれます。室内楽のように親密な感覚で演奏したいですね」
それぞれの協奏曲の前にはソロも披露する。ト長調の協奏曲は、「モーツァルトの美意識」もエッセンスとした作品であることから、古典への敬意が込められた「ソナチネ」を選曲。後半の左手の協奏曲の前には「水の戯れ」を弾く。
「以前、ラヴェルの生家を訪れたことがありました。スペインとの国境に程近いバスク地方にあり、その家からは海に浮かぶ白いヨット、太陽に煌めく水の乱反射が見えました。こうした景色の見えるところで生まれた彼が、のちに『水の戯れ』のような作品を生んだのかと、心に残る光景でした」
コンサートの冒頭と締めくくりは、ラヴェルの有名なオーケストラ作品である。
「美しい『亡き王女のためのパヴァーヌ』で幕を開け、締めくくりは代表作の『ボレロ』です。ラヴェルは精緻な作風により“時計職人”と評されたほどですが、『ボレロ』にはその一面がよく表れています。始まりから終わりまでずっと緊張感を保ち続ける力があり、何度聴いても感動する作品です」
ピアノ・ソロ作品全曲演奏会も現在構想中とのこと。それに先立ち、オーケストラ・サウンドと共に描くラヴェルの多面的な魅力を、たっぷりと堪能したい。
取材・文:飯田有抄
(ぶらあぼ2024年9月号より)
酒井有彩&東京フィル ~音の魔術師 モーリス・ラヴェル~
2024.10/16(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
問:MIYAZAWA & Co. info@miy-com.co.jp
https://miy-com.co.jp