東京・春・音楽祭 「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」vol.4《アッティラ》
クラシック音楽界でその名を知らぬものはいない大指揮者、リッカルド・ムーティ。とりわけ母国・イタリアのオペラ作品は、その歩みの中で一貫して取り組み続け、過去の偉大な演奏者たちからもさまざまな教えを受けている。イタリア・オペラを知り尽くしたマエストロが、才能ある若手音楽家に上演までの全過程において指導を行い、その真髄を伝えるのが「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」だ。 2019年、東京春祭15周年の節目を機に始動した本プロジェクトは、これまで3回開催され、沖澤のどか(19年)やアンドレアス・オッテンザマー(23年)ら、現在世界的に活躍する指揮者も受講してきた。その第4回目が9月3日に開幕。ムーティ本人による選考をくぐり抜けた4名の指揮受講生(ミシェル・ブシュコヴァ、シャオボー・フー、岡本陸、ウィリアム・ガーフィールド・ウォーカー)が、計6日間のリハーサルとゲネプロでヴェルディの秘作《アッティラ》に取り組み、9月12日にその成果を演奏会で披露。本レポートでは、「アカデミー」の前半戦(9/3~9/6)を取材した様子をお届けする。
DAY0 ムーティによる作品解説――“ほんもの”の伝統を守る闘い
リハーサルに先立ち、ムーティによる《アッティラ》作品解説で「アカデミー」は開幕した。舞台には「東京春祭オーケストラ」、さらに客席の最前列には指揮受講生と12日の公演に出演する日本人キャストがスタンバイする中、満員の観客からの拍手に迎えられ登場したマエストロ。
まず語られたのは《アッティラ》という作品のエッセンスについて――イタリア人の愛国心を沸き上がらせる“燃えた”オペラであること。そして、自身の歩みについて――創造主たる作曲者を踏みにじり、エフェクトだけを追求する“にせもの”の「ヴェルディの表現」と闘い続けた60年であったこと。
その後、冒頭部分を題材に、時に待機していた歌い手を舞台に上がらせながら、その言葉を演奏で体現した。ヴェルディが劇中で狙った意図を汲み取りながら、楽譜に忠実に……その実践で音楽が一変するさまは、圧巻の一言。このわざが、果たしてどのように伝授されていくのだろうか――。
DAY1 オーケストラ単独リハーサル――“シンプル”に
指揮受講生のリハーサルはオーケストラ単独でスタート。ソリストや合唱が入る箇所では、ムーティ自らが歌い(客席まで通る深い美声!)、受講生たちが交代でタクトを振る。時折バトン・テクニック的な指導も入るが、しきりに伝えられたのは“シンプルであるべきだ”ということ。「今の動作は必要ありますか? ここではこの動きだけで十分で伝わるはずです」――その引き算で、実際にオーケストラから引き出される音ががらりと変わるからすごい。
リハーサル後、過去3回のアカデミーから引き続き「東京春祭オーケストラ」のコンサートマスターを務める長原幸太に話を聞いた。
「過去の受講生では、沖澤さんと澤村(杏太朗)くん(23年)が特に印象に残っていますね。マエストロはいつも、『ビートを刻むのではなく、音楽の中身を振りなさい』とおっしゃいます。この言葉を実践するために、人によっては今までの教育で染み付いたものを切り離す作業が必要になるかもしれない。ですが、このお二人は期間中、恐れずそれを行い、一からムーティの教えを取り込もうとしていました。
今回取り組む《アッティラ》は、僕自身これまで演奏したことがないし、もしかしたらこの後一生弾くこともないかもしれない(笑)、それぐらいレアな曲だと思います。ですが、あらゆる作品には背景があり、ことばがあり、そしてリンクする音がある。マエストロはその勉強の仕方を、長年をかけて研究し、自分の中に落とし込んだヴェルディのこのオペラを題材にして教えてくれるんです。
彼はこれからのリハーサルで、大切なことは繰り返し、何度でも伝えるはずです。そこで飽きずに、真摯に耳を傾け続けられるかが、音楽家としての今後の成長を分けると思います。貪欲に吸収する姿勢を大事にしつつ、失敗を怖がらず、僕らオーケストラを相手にいろいろチャレンジしていってほしいですね」
DAY2 ソリスト・ピアノリハーサル――正しい“ことば”で
夕方から行われた、ピアノ伴奏によるソリストのリハーサルを取材。日本人歌手に加え、14・16日のムーティ指揮公演でメインキャストを務める海外メンバーも一部参加した。ムーティは、長期間にわたる練習をこなすことになる歌い手たちにセーブするよう気を配りながらも、“ことば”に対しては常に厳格な姿勢を要求する。正しい発音で、詞の内容と結びついた音で――。それはこのリハーサルの中心となった、イタリア人歌手たちに対しても全く変わらない。結果、約2時間20分・休憩なし、白熱の長丁場となった。
この日はオーケストラとの合わせを含め、丸一日歌い続けたアッティラ役・北川辰彦。イタリア・オペラのレジェンドのもとで、ヴェルディのタイトルロールに取り組む――その心持ちを訊いた。
「20年以上前、新国立劇場の研修所に入ってすぐの頃、コレペティトゥアの先生に『君に合っていると思う』とすすめられ、この《アッティラ》のアリアを勉強しました。当時の自分にとっては難しく、すぐ歌うことはできなかったのですが、その後も少しずつ練習を重ねていて。ですので今回、アッティラ役のオーディションの機会をいただいた際には巡り合わせを感じました。
ムーティ先生は一見厳しいですが、それは『とにかくお前をうまく歌えるようにしてやる!』という優しさがあってこそのものだと思います。“ことば”に対する厳密さや、声色のアジャストなど、課題はたくさんありますが、先生の理想とするところに1ミリでも近づけていきたい。そしてそのアウトプットを、タクトをとる指揮受講生の皆さんが学んできたものと掛け合わせて、いい本番が作れたら、と思います」
DAY3 オーケストラ&ソリストリハーサル――ムーティはすべてを知っている
前半戦最終日は、オーケストラ・ソリストそろっての練習へ。初日に比べると細かく止める場面は少なく感じられ、より大きな音楽の流れに乗ってリハーサルは進行したが、その中でもムーティの目は厳しく光る。指揮受講生のアウフタクトの不明瞭さ、オケの音の見落とし、歌手のイタリア語の発音の甘さ……引っかかった箇所での妥協は一切ない。
そして、長原の語っていた“音楽の中身を振る”という言葉のエッセンスを垣間見ることもできた。「この音形には嵐の残り香が必要です。それを引き出すことができるのは、指揮者が振っている腕。腕は、あなたの意識の延長線上にあるものなのです!」――ムーティのもと、指揮者、オーケストラ、歌手が一丸となって、《アッティラ》の世界が少しずつ形になっていく。
この日のリハーサルのトップバッターを務めた指揮受講生、岡本陸のコメントを、本レポートの締めくくりとしたい。
「今まで雲の上の存在だったムーティ先生から教えを受けることができる、というのは本当に大きな喜びです。
先生の一つひとつの動きや、オーラを間近で触れる中で、『指揮者はすべてを理解していないといけないのだ』ということを実感させられました。また、ご自身が培ってきたものを若い世代が受け継いで、“ほんもの”を守るために闘い続けていってほしい、ということを強くおっしゃっていて、これからの人生で大きな宿題ができたな、と。
オーケストラには長原さんのようなスター・プレーヤーがいらっしゃる一方で、同級生や過去一緒に演奏した若い仲間もいます。皆さんのお力も借りながら、ムーティ先生に一歩でも近づけるよう、残りの期間でいい準備をしていきたいです」
後半戦は9月8日よりスタート、3日間のリハーサルと本番前日の通し稽古を経て、 12日に「若い音楽家による《アッティラ》」が上演される。ムーティの教えを全身全霊で受け止めた成果が花開く瞬間を、ぜひその目で確かめてほしい。そして、14日と16日にはレジェンド自らタクトを振るう公演が開催。この秘作を、海外からムーティのもとに集った一流キャストの歌唱で聴くことのできる(超!)貴重なチャンス。全3公演、ライブ・ストリーミング配信も実施されるので、お聴き逃しなく!
取材・文:編集部
Information
リッカルド・ムーティ イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 vol.4
《アッティラ》
2024.9/3(火)~9/16(月・祝)
リッカルド・ムーティ presents 若い音楽家による《アッティラ》(演奏会形式/字幕付)
9/12(木)19:00 東京音楽大学 100周年記念ホール(池袋キャンパス)
○出演
指揮:ミシェル・ブシュコヴァ、シャオボー・フー、岡本陸、ウィリアム・ガーフィールド・ウォーカー
アッティラ(バスバリトン):北川辰彦
エツィオ(バリトン):上江隼人
オダベッラ(ソプラノ):土屋優子
フォレスト(テノール):濱松孝行
ウルディーノ(テノール):大槻孝志
レオーネ(バスバリトン):水島正樹
管弦楽:東京春祭オーケストラ
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:仲田淳也
リッカルド・ムーティ指揮《アッティラ》(演奏会形式/字幕付)
9/14(土)19:00 東京音楽大学 100周年記念ホール(池袋キャンパス)
9/16(月・祝)15:00 Bunkamura オーチャードホール
○出演
指揮:リッカルド・ムーティ
アッティラ(バス):イルダール・アブドラザコフ
エツィオ(バリトン):フランチェスコ・ランドルフィ
オダベッラ(ソプラノ):アンナ・ピロッツィ
フォレスト(テノール):フランチェスコ・メーリ
ウルディーノ(テノール):大槻孝志
レオーネ(バスバリトン):水島正樹
管弦楽:東京春祭オーケストラ
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:仲田淳也
問:イタリア・オペラ・アカデミー in 東京 チケットデスク050-3498-1053
https://www.tokyo-harusai.com/academy_2024