美少年と貴婦人、その甘く苦い関係 | 萌えオペラ 第4回 リヒャルト・シュトラウス《ばらの騎士》

text:室田尚子
illustration:桃雪琴梨

前回ご紹介したズボン役の代表であるモーツァルト《フィガロの結婚》のケルビーノ。彼が誕生してから100年以上を経て、オペラ史に名を残すもうひとりのズボン役が登場します。その名はロフラーノ伯爵オクタヴィアン。18世紀マリア・テレジア治世下のウィーンを舞台にしたリヒャルト・シュトラウスの《ばらの騎士》のタイトルロールです。年齢は17歳。若くして爵位を継いでいる彼を「美少年」というべきか「美青年」というべきか、微妙なところではありますが、一応未成年なので「美少年」としておきます。

さて、「恋とはどんなものかわからない」とうるんだ瞳で女性たちに訴えていたケルビーノと違い、オクタヴィアンには彼のことを「カンカン」と愛称で呼ぶ恋人がいます。オーストリア陸軍元帥ヴェルテンベルク侯爵夫人マリー・テレーズ、マルシャリン31歳(推定)。仕事や趣味の狩で家をあけがちな年の離れた夫との結婚生活に絶望している、一回り以上年上の人妻。オペラの前奏曲は、ふたりの夜の様子がオーケストラによって克明に描写されていく、クラシック音楽史上もっともエロい曲、といわれています。そして、幕が開くとそこは「後朝(きぬぎぬ)」の情景。ベッドには、昨夜の情事の余韻に浸るふたりの姿が・・・。

古来、「若いイケメンと年上の人妻の恋愛」というのは、オペラに限らず文学や映画や様々なジャンルで山ほど紡がれてきたわけで、ある意味ではありふれた筋立てともいえますが、この第1幕冒頭が最高に萌えるのは、元帥夫人もオクタヴィアンも演じるのが共に女性だ、というところです。なぜ、女性同士のラブシーンにこれほど胸をときめかせてしまうのか、というあたりを突き詰めていくと自分の性癖のあれやこれやを暴露せざるを得なくなりそうなのでやめておきますが、「18世紀ウィーンの貴族の寝室」というため息が出るほどゴージャスで美しい舞台装置に負けず劣らずゴージャスで美しい音楽が、この「萌え」を強力に後押ししていることも忘れてはいけないポイントでしょう。リヒャルト・シュトラウスさん、ありがとう。

ところで、21世紀ニッポンのネット社会で、「未成年男子と人妻の恋愛」を称賛しようものなら、「不倫!」「淫行!」「ビッチ!」などという罵倒が飛んできて炎上は避けられません。しかし、ここはいったん深呼吸をして、私の話を聞いていただきたい。

30代前半(リヒャルト・シュトラウスによると「32歳未満」)という元帥夫人の年齢は、現代に直せばアラフォーぐらいじゃないかと思うんですが、いずれにせよここで明示されているのは、彼女が「まだ若い」と「もう若くない」のちょうどはざまにいるということ。忍び寄る「老い」の予感に怯え、鏡を見るたびに白髪が目について不安にかられるのは、ある程度歳を重ねた人であれば身に覚えのある感覚。「老いる」ということは、人生の可能性をひとつずつ失っていくことです。第1幕で彼女はオクタヴィアンにこういいます。

「ああ、カンカン!私には時々、とめどなく流れる時の音が聞こえるの…そして時々、夜中に起きてすべての時計の針を止めて回るの」

わかる…わかりすぎる・・・!!!(嗚咽)

しかも彼女の結婚は、修道院を出てすぐに親に命令されてしたもの。少女の頃に夢見たであろう結婚生活とは程遠いその生活の中で、誰とも共有できないまま「老い」の予感に苛まれながら生きていかなければならない。男女問わずその虚しさ、苦しさは理解できるのではないでしょうか。そこに現れたのが、自分を一途に慕う年下の美少年。元帥夫人がオクタヴィアンとの恋に、なにがしかの「救い」のようなものを求める心情は察するに余りあります。

そして、ここが重要なポイントなのですが、元帥夫人はこの恋がかりそめのものだということを痛いほどわかっている。実際オクタヴィアンに「今日か明日か、あなたは私の元を去って、もっと若い人を求めるわ」と告げる。もちろん、17歳のオクタヴィアンにはなぜ彼女がそんなことを言うのか、わからない。わからないから興奮して「あなたを愛してるんだ」と叫ぶばかり。このすれ違い・・・ここにも、ふたりの年齢差=「時」というものの残酷さが表れています。その後第2幕でオクタヴィアンは、婚約の使いで銀の薔薇を届けに訪れた(だから「ばらの騎士」)若く美しい娘ゾフィーに一目で恋をしてしまうのですから、結局、元帥夫人の言葉通りになってしまうのです。

終幕の元帥夫人とオクタヴィアンとゾフィーの三重唱(つまりこれも女声のみ!)で、自ら身を引く決意をした元帥夫人はこうつぶやきます。

「私は、彼を正しいやり方で愛すると誓った、他の女性への彼の思いさえも愛すると・・・!でも、それがこんなに早く訪れるとは思わなかった」

オクタヴィアンとの恋が自分の人生において救いであったからこそ、取り乱したりせずその恋を自ら捨て去る元帥夫人。その一種の「潔さ」に共感するのはふしだらでしょうか。初めから不倫の恋などしなければよかった? そうですね、そうすれば何も辛いことは起きなかったでしょう。けれどもその代わり、虚無の中で彼女の心は死んでしまったかもしれない。間違ったことを避けて生きる生き方こそ賞賛されるべきものだ、という意見に異を唱えるつもりはありませんが、人は弱く、時にささいなことで壊れてしまうほど脆い。生きるために支えになる「何か」を求める心情に、とっくに「老い」が訪れている私は深い共感を覚えずにはいられません。萌え、のち涙・・・大人にとっての《ばらの騎士》はそんなオペラなのです。


profile
室田尚子(Naoko Murota)

東京藝術大学大学院修士課程(音楽学)修了。東京医科歯科大学非常勤講師。NHK-FM『オペラ・ファンタスティカ』のレギュラー・パーソナリティ。オペラを中心に雑誌やWEB、書籍などで文筆活動を展開するほか、社会人講座やカルチャーセンターの講師なども務める。クラシック音楽の他にもロック、少女漫画など守備範囲は広い。著書に『オペラの館がお待ちかね』(イラスト:桃雪琴梨/清流出版)、『チャット恋愛学 ネットは人格を変える?』(PHP新書)、共著に『日本でロックが熱かったころ』(青弓社)など。
Facebook https://www.facebook.com/naoko.murota.1
Twitter @naokobuhne
写真家・伊藤竜太とのコラボ・ブログ「音楽家の素顔(ポートレイト)」
http://classicportrait.hatenablog.com/

桃雪琴梨(Kotori Momoyuki)
クラシック音楽が好きな漫画家兼イラストレーター。室田尚子著『オペラの館がお待ちかね』のイラストを担当。漫画の代表作はショパンとリストの友情を描いた『僕のショパン』。後世で忘れられつつある史実のエピソードを再発見し、その魅力と驚きを創作者としての経験を活かして綴り、音楽家キャラ化ブームの先駆け的作品となる。ほかに書籍やゲームのイラストレーターとして活躍。趣味はピアノで講師資格取得。MENSA会員。