なぜチャイコフスキーの音楽が心に響くのか|ヴィタリの心の歌

ロシアを代表する作曲家といえば?
どの国の人に聞いても、絶対「チャイコフスキー」という答えが返ってくるでしょう。5月生まれの彼は「ロシアの踊り」や「スラブ行進曲」を書き、カーネギー・ホールのオープニングで指揮もしたけれど、もっとロシア的な曲を作り、世界中で活動した音楽家もいました。それなのに、なぜ「チャイコフスキー」なのでしょうか。

© Masaaki Hiraga


チャイコフスキーは、難解なロシアの民謡・文化をベースにしながらも、その上で色々なテーマを万国共通に分かりやすく曲にできる人でした。愛の喜びと悲しみ、人間の運命との闘い、信教上の心の動きなど。

子供の頃から文学好きの愛国者で、ロシアの歴史や文化、民族音楽を深く理解していただけでなく、全世界にも強く興味を持ち、数ヵ国語を話すことができました。幅広くヨーロッパの文化を受けとり、自国だけではなく、世界中で芸術活動をし、それでいて本当にロシア人が理想とするロシア人のような人でした。「ロシア人は皆の兄弟」とドストエフスキーが語っているように。

あの時代、自分の感情を自由に表すことは社会的に無理でした。苦しいところ、気をつけないといけないところが沢山あったので、表には出さず、自分の心の動きを見つめていたのではないでしょうか。

特にチャイコフスキーの歌曲からそんな背景が見えてくると思いませんか?
例えば、「ただ憧れを知る者のみが」。少しずつ自分の苦しい気持ちを語り、我慢出来なくなって、ずっと抑えられていたパッションや絶望が噴火して、再び自分の内の世界に戻る。日本人にも文化的に通じるところがあるかもしれませんね。

私が音楽を聴いて感動して初めて涙したのはチャイコフスキーの曲でした。20回以上、観たオペラだけれど、目の見えないイオランタ(※1)が愛しくなった男を呼ぶ〈あ、騎士様、あなたはどこ?〉の言葉が出るときは、いつも涙を止められません。そこまで深く、気の毒な彼女を理解して人に伝えるからなのか、自分の心の苦しさをそこに入れたからなのか分かりませんが、人を泣かせるのがお上手!

そんな彼は、純粋な女性のイメージが大好きでした。イオランタ、タチヤーナ(※2)。自分自身の投影だったのでしょうか?法律学校に通っているときから自分の本質を分かっていて、本当の自分との長い月日の戦いがありました。世間体のための結婚をした後、弟へ「結婚して、自分ではないものになることは意味がないと分かってきた」と書いた手紙が残っています。

彼の死後、彼のイメージを守るために弟のモデストは大幅に日記を訂正しましたし、ソビエト連邦時代の政府は、国のイデオロギーに合わせてチャイコフスキーの天使のようなキャラクターを作りました。ですが、実際の彼は人間でした。だからこそ彼の音楽は人間の心に届くのです。

チャイコフスキーの写真は沢山残っていて、彼の顔はよく知られていますね。あの時代を考えると不思議なことですが、歌手の友達が歌遊びをしたときの録音にチャイコフスキーの声が残っています。ビックリするぐらい賑やかで高い声。彼にも幸せなときがあったのですね。

どんなに昔でも、ただの“白黒”ではない人生。
人生は‘色々’。

※1 歌劇《イオランタ》のタイトルロール
※2 歌劇《エフゲニー・オネーギン》の女性主人公