「オペラが帰ってきた!」ことを実感できる絢爛たる舞台、声、ダンス
プッチーニの絶筆となったオペラ《トゥーランドット》。アリア〈誰も寝てはならぬ〉の存在と相まって知名度の高い人気作だが、なかなか複雑な作品である。女奴隷のリューが主人のカラフを守るために自害する場面までを作曲してプッチーニが急死してしまい、残りはアルファーノが補筆した、という事情だけではない。印象的なメロディがあふれているので誤解されがちだが、オーケストレーションはスケールが大きく前衛的で、合唱も大規模だ。だから、新型コロナウイルスの感染が収まらないうちは最も上演しにくいオペラのひとつに挙げられていたが、それがいよいよ上演に漕ぎつけた。
グランドオペラ共同制作のその舞台は、「オペラが帰ってきた!」と実感し、よろこびを感じられる仕上がりだった。取材したのは10月17日(神奈川県民ホール)、24日(Iichiko総合文化センター iichikoグランシアタ)で歌う田崎尚美、福井敬、木下美穂子組の最終総稽古(ゲネラル・プローベ)である。
(2020.10/15 神奈川県民ホール 取材・文:香原斗志 写真:寺司正彦)
舞台中央に暗く荘重なグレーの色が施されたトゥーランドットの城がそびえ、両脇を同じ色の城壁が囲む。それらが照明を受けて鈍い銀色に輝く。手の込んだ印象的な装置にまず目を見張る。管楽器が重苦しいリズムを刻むなか、城の前の空中には痛めつけられたような風体の女性が宙づりになっている。彼女が求婚者たちの首をはねる動機に連なるトラウマを表しているのだろうか。
このオープニングの視覚に、この日の舞台を読み解くヒントの多くが隠されていた。舞台両脇の城壁には数多くの窓が開かれており、合唱すなわち北京の群衆の多くはこの窓から歌う。視覚的な違和感を避け、むしろ幻想性をかもし出しながらソーシャルディスタンスを確保する絶妙の仕掛けである。むろん、合唱がすべてそこに収まるわけではないが、いわゆる「密」は避けられる。また、合唱もソリストたちも動きは最小限なのだが、そのぶんダンサーたちの動きによって――しかもしばしば宙づりになり、その動線が舞台を縦横にめぐる――、場面の状況や人物たちの心情が表現される。すなわち、飛沫と無縁のダンサーたちの動きによって、舞台にダイナミズムと空間的広がりがもたらされるのだ。
言うまでもないが、合唱の力強さも、子どもたちの合唱の美しさも、コロナ前とくらべて遜色がなかった。
演出および振付は、これまでにも二期会での《ファウストの劫罰》や《ダフネ》を手がけ斬新な世界観を表出し話題を呼んだ、ダンス界の鬼才でH・アール・カオスを率いる大島早紀子。「飛沫を飛ばさない、浴びない」「密を避ける」という課題が課せられるなか、上記の工夫は、ダンス界とコラボしてこそ得られた最良の解決法だったのではないだろうか。しかもダンサーたちの動きは、佐藤正浩が指揮する神奈川フィルハーモニー管弦楽団(ピットに入っての演奏)の、複雑なオーケストレーションをていねいに紡ぎつつ、イタリア・オペラらしいカンタービレを失わない音楽と、実に息が合っている。たとえば、第2幕の謎解きの場面では、3人の女性が宙にぶら下がりながら、音楽に合った絶妙な動きで、次々と謎を解かれていくトゥーランドットの心中をたくみに表した。
結果として、歌手たちも安心して力を発揮できていたようだ。カラフの福井敬は、質量のある押し出しの効いた声がむらなく響き、ここしばらくの福井の歌唱のなかでも最良のものだった。リューの木下美穂子は細部まで行き届いた隙のない歌唱が光った。そしてトゥーランドットの田崎尚美は、数あるソプラノの役のなかでもとりわけ強靭な声が求められるこの役で、豊かで美麗な声を圧倒的な声量で、しかもストレスなく響かせた。彼女の日本人離れした声のシャワーを浴びるだけでも価値がある。第2幕、トゥーランドットとカラフの掛け合いがハイCに達する場面は、二人の高音が重なって化学反応を起こしたかのように圧巻であった。
また、ソリストたちの衣裳にも奇をてらったところがなく、本来の日常感で享受するように絢爛で美しい。そのありがたみは、本来の日常生活が失われたあとの今この場で眺めると、ひとしおである。そうした満足感も含めて、たしかに実感できた。「オペラが帰ってきた!」と。本格的なグランドオペラの復活という意味でも今回の《トゥーランドット》上演の意義は大きい。
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●困難に立ち向かう王子カラフの勇気と愛を歌う
〜福井 敬(テノール)インタビュー(ぶらあぼ2020年10月号より)
【Information】
グランドオペラ共同制作 プッチーニ:オペラ《トゥーランドット》
(全3幕/イタリア語上演・日本語及び英語字幕付/新制作)
2020.10/17(土)、10/18(日)各日14:00 神奈川県民ホール
10/24(土)14:00 大分/iichiko総合文化センター iichikoグランシアタ
10/31(土)14:00 山形/やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)
指揮:佐藤正浩(神奈川・大分)、阪 哲朗(山形)
演出・振付:大島早紀子
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団、山形交響楽団(10/31のみ)
出演
トゥーランドット姫:田崎尚美(10/17,10/24) 岡田昌子(10/18,10/31)
皇帝アルトゥム:牧川修一(10/17,10/24) 大野徹也(10/18,10/31)
ティムール:ジョン ハオ(10/17, 10/24) デニス・ビシュニャ(10/18,10/31)
王子カラフ:福井 敬(10/17,10/24,10/31) 芹澤佳通(10/18)
リュー:木下美穂子(10/17,10/24) 砂川涼子(10/18,10/31)
大臣ピン:萩原 潤(10/17,10/24) 大川 博(10/18,10/31)
大臣パン:児玉和弘(10/17,10/24) 大川信之(10/18,10/31)
大臣ポン:菅野 敦(10/17,10/24) 糸賀修平(10/18,10/31)
役人:小林啓倫(10/17,10/24) 井上雅人(10/18,10/31)
合唱:二期会合唱団 他
ダンス:H・アール・カオス(メインダンサー:白河直子)
問:チケットかながわ0570-015-415 https://www.kanagawa-arts.or.jp/tc/
iichiko総合文化センター097-533-4004 http://www.emo.or.jp
やまぎん県民ホール チケットデスク023-664-2204 https://yamagata-bunka.jp
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