
今年の「東京オペラシティの同時代音楽企画『コンポージアム』」は、クラリネット奏者、作曲家、指揮者として世界的に活躍するイェルク・ヴィトマン(1973〜 )をフィーチャー。7月9日の公演では、日本初演となる《バビロン組曲》を含め、それぞれ作風の異なる3つの管弦楽作品がヴィトマン自身の指揮で披露されます。マルチな才能をもつヴィトマンとは何者なのか? 音楽学者の沼野雄司さんと音楽ライターの小室敬幸さんが語り合いました。後編では、今回取り上げられる3作品についてじっくりと繙きます。

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プラグマティックに超絶技巧を追求した《アド・アブスルダム(不条理)》
沼野 コンポージアムの個展のプログラムは、ちょっと意外なセレクトでした。
小室 グラスハーモニカがソリストを担う《アルモニカ》(2006)、ナカリャコフが超絶技巧を披露する実質的なトランペット協奏曲《アド・アブスルダム(不条理)》(2002)、同名のオペラを組曲に仕立て直した《バビロン組曲》(2014)という並びですが、作曲者自身が選んでいるんですよね?

東京オペラシティ(TOC)文化財団スタッフ 実は異なるアイディアもいくつか挙がっていたのですが、最終的にはこちらから「何か核になる曲目を決めてほしい」とご本人にリクエストしたところ、まだ日本初演されていなかった《バビロン組曲》がメインプログラムになりました。残りの2曲は《バビロン》と対比になる異なる傾向の作品として選ばれたようです。
沼野 ナカリャコフって、恥ずかしながら、まだティーンエイジャーだったデビュー当時の頃しか知らないんだけど、もう49歳なんですね。
小室 《アド・アブスルダム》は出版社の記録をみると2006年の初演から20年間、断続的に40回以上演奏され続けていて、そのほとんどでナカリャコフがソリストを務めています。
沼野 なるほど。この曲、ナカリャコフは問題ないとしても、オーケストラの奏者が本当に大変でしょうね。
小室 スコア上の指定はPrestissimo sempre(常に極めて速く)で四分音符=184 (!)と、エクスクラメーションマークまで書いてありますからね(笑)。しかもドイツ語で「常に四分音符で考え、二分音符では考えない。すべてはテンポに従う」とわざわざ注記書きしているほど……。
沼野 まあ、この曲をゆっくりやっても意味ないよね。そう考えると、さっき挙がった《1分間に180拍》の発展型ともいえるのでしょう。
小室 ナカリャコフが循環呼吸をしながらでもダブル・タンギング出来るという――通常は同時に実現できないので、ほぼ特殊能力といっていいと思うんですけど(笑)――、彼独自の能力を前提に書かれています。ほぼ全編にわたってダブル・タンギングで、しかも最後はトリプル・タンギングを求められるので、おいそれと他の奏者が吹けないわけです。出版社に掲載された演奏歴だと2007年にダヴィッド・ゲリエが演奏しているのが確認できますけど、それぐらい。
現代音楽に限らず、どれだけ超絶技巧が凄まじくとも聴いている途中で退屈になってきてしまう曲っていくらでもあるじゃないですか。そういうなかで、ヴィトマンの音楽におけるヴィルトゥオーゾ性ってどこが面白いんですかね?

沼野 すごく簡単にいうと、いわゆる現代音楽的な技巧の難しさって、音があっちこっちにいったりきたりして、結果的に演奏が困難になるわけだよね。でもヴィトマンは実現したい効果がはっきりしていて、そのために難しい技巧が必要という真っ当な順序で曲が書かれている。徹底的にプラグマティック(実用的・実利的)なんですよね。今回の曲で基調となっている同音連打ってシンプルだけど、突き詰めれば一番難しいわけで、むしろ音が動き出すと聴いているこっちが安心するぐらいじゃない。
そういえば、いろんなところで話していますが、コンポージアムの初年度(1997年)にトランペット奏者のホーカン・ハーデンベルガーが来た時、彼と東京オペラシティの上階で飲みながら話をしたんです。リゲティと一緒に《マカーブルの秘密》を(1989年に)録音したという話を彼がしてくれたんだけど、リゲティはずーっと「テンポを速くしろ」って言うんだって。もちろんハーデンベルガーだから、とっても速くできるんだけど、それでも「もっと速くしろ」と。ハーデンベルガーも最後には半ばちょっとキレながら「あと、どのくらい速くすればイイノデスカ?」って訊いたら、リゲティは真顔で「Ten times」(10倍)って言ったという……。
小室 うわあ……。笑えるけど、笑っちゃいけないようなエピソードでもありますね。

沼野 リゲティってどこか、奏者への憎しみみたいなものを感じることがあるよね。無茶振りして喜ぶみたいな・・・・・・。でもヴィトマンはその逆。しかも理想主義を掲げるのではなく、ナカリャコフが実現可能な範囲で一番ギリギリの、彼が一番かっこよく見えるテンポが184だったんでしょう。ヴィトマン自身が管楽器奏者だから、演奏者の心持ちもよく分かっている。
小室 リゲティはピアノ練習曲集の第14番〈無限柱〉でも最初のバージョンは指定した速度が実現できずに自動演奏ピアノ用になった……なんてエピソードもありますもんね。あと《アド・アブスルダム》ってオーケストラの編成が面白いんですよ。管楽器はフルート2本とファゴット2本のほかはバスクラリネット、コントラバスクラリネットという指定。弦の人数も少ないし、打楽器も実は1人だけ。あの限られた編成と、多彩な響きにギャップがあって面白いし、無駄がなくて合理的ともいえます。
モーツァルトとブーレーズに繋がる《アルモニカ》
小室 1曲目に演奏される《アルモニカ》についてはいかがでしょう?
沼野 《アド・アブスルダム》とは対極にある、なだらかな音楽という意味で、選ばれた理由はよくわかります。でもね、すごく率直に、僕がこの曲を初めて録音で聴いた時には、90年代ぐらいの日本の作曲家の管弦楽作品をちょっと思い出した。トーンクラスターを軸にして、やたらと繊細な響きなんだけど、何が言いたいのかはいま一つよく分からない……そんなタイプの音楽を連想してしまったんですよ。
この曲はやっぱりグラスハーモニカ(別名アルモニカ)という楽器に全部を寄せていっているわけですよね。あの独特なサウンドがど真ん中にあって、管弦楽が加わって皆で大きなグラスハーモニカを作っていく。楽譜をみてもそういう書かれ方をしているのは分かるんだけど、実際にでてくる色合いが意外と平凡にも感じられて……。
小室 言わんとすることは分かる気がします。スコアを読むとグラスハーモニカのサポート役として響きを拡張する役目をアコーディオンに担わせることが多いんですけど(配置でもそのような扱いをするよう、楽譜に指示されている)、アコーディオンがグラスハーモニカを食ってしまう瞬間が多々あったりと、肝心のグラスハーモニカが活きてこないんですよね。でも調べてみると、グラスハーモニカってレコーディング・エンジニア泣かせみたいなんですよ。マイクを近くにおいて音を拾いすぎるとノイズばかりが目立ってしまい、マイクを離しすぎると輪郭のぼやけた音になってしまう。なので実演で聴かないと魅力が伝わりづらい音楽なのかもしれません。
沼野 なるほど。去年(2025年)のコンポージアムでも、ゲオルク・フリードリヒ・ハースの《コンチェルト・グロッソ第1番》の4本のアルプホルンが、まさに生で体験すると全然別物で大感激したもんね。あれは本当に素晴らしかった。そう説明されると、逆に生で聴くのが楽しみになってきた。
一同 笑
小室 ヴィトマンにとってこの作品が大事なのは、ブーレーズが指揮するウィーン・フィルが初演したからなんでしょうね。自分が現代音楽に興味をもつきっかけとなった憧れのブーレーズとの思い出と分かち難く結びついているみたいなんです。
TOCスタッフ 確かザルツブルクのモーツァルト週間で初演されることが決まって書かれた作品でしたよね。それでモーツァルトへのオマージュとして、彼が使ったグラスハーモニカという楽器を使うことにしたのだと思います。

沼野 そうか、やっぱりモーツァルトなんだ! その文脈は素敵だね。現代音楽をさして頻繁に演奏しているわけではないウィーン・フィルでも演奏できるように書いているというのにも納得。やっぱりひとつの作品にもいろんな見方があるなあ。
オペラを再構築した40分近い大作《バビロン組曲》
小室 ちなみにヴィトマンは今年で53歳なのですが、トランペットがソリストの《アド・アブスルダム(不条理)》は29歳くらい、グラスハーモニカがソリストの《アルモニカ》は33歳くらい、そしてメインプログラムである《バビロン組曲》は41歳くらいで完成した作品です。
沼野 普通、作曲家自身が演奏会を構成すると、近作を並べる人が多いと思うんだけど、《バビロン組曲》でも12年前なんですね。ちょっと不思議でもある。
TOCスタッフ:新しい作品を取り上げていただくこと自体は大歓迎なんですけど、でも同時に創作活動全体を俯瞰できる場になってほしいという思いもあるので、そのバランスがいつも難しくて悩みます。
沼野 僕が勝手に心配しているのは、ヴィトマンは演奏家としてもこれだけ世界中で引っ張りだこだから、落ち着いて緻密に作曲をする時間があるのかということ。
小室 年代別の作品一覧を眺めると、2000年代の10年間に作品ごとの大小はあれど40曲を超える作品を完成させているんですけど、2010年代はその半分弱になっています。でも2020年代は今のところ、2010年代よりはハイペースで作品を発表しているんですよ。
沼野 そうなのか。今回、《バビロン組曲》が日本初演されますが、本当はオペラそのものを観たいですよね。オペラ以外にもヴィトマンにはオラトリオ《方舟》(2016)という大作がありますけど、2020年にケント・ナガノ指揮のN響で予定されていた日本初演は残念ながらコロナ禍で中止になってしまった。
小室 やっぱり作曲家として全力投球したであろう作品で、なおかつ録音だけじゃ判断できないものを取り上げてほしい……なんて、制作側としてはいろんな意味で難しいことを承知しつつ、願ってしまいます。
沼野 《バビロン》については、なぜか10年くらい前に考えてみたことがあって。台本を書いたのがペーター・スローターダイク(1947〜 )っていう哲学者なんですけど、『シニカル理性批判』っていう彼の著作が日本語に訳されている(ミネルヴァ書房,1996)ので、読んでみたんですね。ヴィトマンと共通しているなと思ったのは、その「シニシズム」。非常にシニカルなスタンスで、ものすごく色々なものを包み込むんです。単なる理想主義ではなくて、黒と白と両方を合わせて清濁併せ呑む。日本語で「冷笑系」などと言ってしまうというと、嫌な感じになってしまうけど、そういうことではなくてね。
つまり、ヴィトマンはクラリネット奏者としては熱血漢みたいな印象が強いんだけど、きっとシニカルな性格も同居しているように思うんです。だからこそ、作曲家として清濁併せ呑んで何でも取り入れられる。スローターダイクと共鳴したのはそういうところなんじゃないかなっていう気がした。ちょっと面白い哲学者なんですよ。
小室 まさにオペラ《バビロン》のテーマは「バビロニア的な多神教」と「ユダヤ教の一神教」の衝突なんですよね。どうすれば異文化が共存していけるのか? ユートピアを楽天的に夢想するのではなく、その困難さに誠実に向き合っています。高貴さと低俗さの共存を作品に反映させたかったとも語っていますから、多様なスタイルが共存するああいう音楽になったのでしょう。

そのスタンスは、ヴィトマンがメンデルスゾーンを高く評価する理由にもなっていますよね。「メンデルスゾーンの胸の中で、ユダヤ教とキリスト教という2つの心臓がどのように鼓動しているかに魅了されている」と語っていて、交響曲第5番《宗教改革》について「メンデルスゾーンがこれらのアイデンティティを互いに対立させるのではなく、すべての愛を持って両方を示していることを、最も美しい方法で見られます」というんです。
沼野 《箱舟》も旧約聖書の話だから、やっぱりユダヤ教絡みですよね。ヴィトマンの音楽は抽象的な不協和音ではじまっても、途中で思いっきり調性音楽になる部分がよく出てくる。けっこう俗っぽい音楽も登場したりするけれど、それらが対立しない。共存できるんだってことをすんなり納得させられちゃう。最初の言い方に戻れば、ポピュラー音楽も枠組みから現代音楽、そしてクラシックまで見ている人だから、そういうごちゃまぜにも違和感がない。多分彼にはジャンルの優劣はなくて、マーラーに近い懐の深さがある。
小室 マーラーも演奏家としての経験を活かし、プラグマティックな視点で作品を書いたり、改訂したりしていた作曲家ですもんね。
沼野 ポピュラー音楽では、プレイヤー(演奏家)と作曲家が分かれていないことが当たり前ですよね。自分で演奏できる曲を書くのが当然というか。だからヴィトマンの軸はどちらかと問われたら、クラリネット奏者なんじゃないかと。奏者が作曲もやるという。

小室 作曲をはじめたきっかけも、クラリネットの即興を書き留めるためだったそうですから、楽譜を書くより前に演奏が先なんですよね。
来年でコンポージアムは30年
TOCスタッフ 沼野さんには、白石美雪さんとともにコンポージアムの始まった当初から数年間「企画協力」として関わっていただいていましたね。先ほどハーデンベルガーとのエピソードもありましたけど、コンポージアムは途中お休みの年もありましたが、1997年から始まったので来年でもう30年近く続いていることになりますね。
沼野 毎回、一流の作曲家が審査員として来日して、オーケストラの個展をやるっていうのは、世界的にみても珍しいですし、日本の音楽史に残る素晴らしいシリーズだと思いますよ。たった1人が審査をするっていう武満徹さんの理念が今も続いているのが最もすごいところ。僕自身、この企画が始まったときには「やっと武満さんと一緒に仕事を出来る!」と喜んだのですが、コンポージアムの初回直前に武満さんが亡くなってしまったのが実に残念でしたね。でも、それでもいろんな経験をさせていただきました。
そういえばルチアーノ・ベリオの年(1999年)、彼が日本のパチンコ屋に行って、「意味のない音だから無になれる」と、あの音空間を気に入って何度も足を運んでいたのが衝撃だった(笑)。他にもアンリ・デュティユーが武満徹作曲賞の審査員だった1997年のコンポージアムでは、リサイタルホールでクリスチャン・リンドバーグがバイクを吹かすパフォーマンスをやったりしてね(笑)。あと、審査員ではないのだけどグロボカールがやってきて行った1998年のセミナーも最高だった。この30年で日本経済も大きく変わりましたが、それでもコンポージアムを守り続けている主催者には本当に感謝したいと思います。
沼野雄司 Yuji Numano
東京藝術大学大学院博士課程修了。現在、桐朋学園大学教授。主に20世紀音楽をテーマに幅広く活動中。近著『トーキョー・シンコペーション 音楽表現の現在』(音楽之友社)では、新しい音楽批評のかたちを模索。他の著書に『現代音楽史 闘争しつづける芸術のゆくえ』(中公新書、第34回ミュージック・ペンクラブ賞)、『孤独な射手の肖像 エドガー・ヴァレーズとその時代』(春秋社、第29回吉田秀和賞)、『音楽学への招待』(春秋社)など。
小室敬幸 Takayuki Komuro
東京音楽大学付属高校と同大学で作曲を学んだ後、同大学院では音楽学を専攻。現在はフリーランスの音楽ライターを営みながら、桐朋学園大学の非常勤講師も務めている。主にクラシック音楽、現代音楽、ジャズ、映画音楽に関する曲目解説やインタビュー記事などを執筆することが多い。単著に『マイルス・デイヴィス研究入門』(星海社)、共著に『聴かずぎらいのための吹奏楽入門』『ピアノへの旅』(アルテスパブリッシング)などがある。
東京オペラシティの同時代音楽企画 〈コンポージアム2026〉
イェルク・ヴィトマンを迎えて
イェルク・ヴィトマン トークセッション
2026.7/8(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
出演/イェルク・ヴィトマン、長木誠司(聞き手) ※ドイツ語通訳あり
イェルク・ヴィトマンの音楽
7/9(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
出演/イェルク・ヴィトマン(指揮)、クリスタ・シェーンフェルディンガー(グラスハーモニカ)*、大田智美(アコーディオン)*、セルゲイ・ナカリャコフ(トランペット)**、東京都交響楽団
曲目/アルモニカ(2006)*
アド・アブスルダム(不条理)〜トランペットと小オーケストラのためのコンツェルトシュテュック(2002)**
バビロン組曲(2014)[日本初演]
2026年度 武満徹作曲賞本選演奏会 審査員:イェルク・ヴィトマン
7/12(日)15:00 東京オペラシティ コンサートホール
出演/杉山洋一(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団
曲目/[ファイナリスト](演奏順)
松尾研志(日本):管弦楽のための変奏曲
ズーイー・タオ(アメリカ):If
ゾーホー・ツイ(中国):最後の賭け
ジェヒョク・チェ(韓国):超新星
問:東京オペラシティチケットセンター03-5353-9999
https://www.operacity.jp

