
写真提供:東京藝術大学 大学史史料室(旧制東京音楽学校部門)
1.日本と「第九」のなれそめ
「第九」と日本の関係は案外と古い。1918年6月1日に徳島県の板東俘虜収容所でドイツ兵捕虜たちが全楽章を演奏したという記録が残っており、おそらくこれが日本国内における最初の「第九」と考えられる。ただ、当然のことながら女声のパートもすべて男声で歌われたことや、これが公開の演奏会ではなく日本人の聴衆がいなかったことを考えると、音楽界で使われる一般的な意味での「日本初演」とはイメージが異なる。言うならば「非公開初演」といったところだろうか。
公開の全曲初演は1924年11月29日と30日に、東京音楽学校(東京藝術大学の前身)の第48回定期演奏会でドイツ人指揮者グスタフ・クローンのもとで行われた。両日とも大盛況で、1週間後には追加公演が開かれるほどであった。すでに日本人は100年以上前からベートーヴェンの「第九」を聴いていることになる。たまたま11月下旬から12月にかけて演奏されたわけだが、この時点ではまだ「第九」と年末は結びついていない。
2.ラジオが作った“年末の第九”
12月に「第九」が演奏されるようになったきっかけは、1940年の大晦日に新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の演奏がNHKラジオで全国に生放送されたことにある。指揮はドイツのヨーゼフ・ローゼンストック。それ以前にも新交響楽団が12月に「第九」を演奏する機会はあったが、電波に乗ったことで年末の「第九」は一躍、多くの聴衆を獲得することになった。もちろん、テレビ放送はまだ始まっていない。ラジオは「娯楽の王様」と呼ばれるほど、人々の生活に密着していた。
ライプツィヒなどドイツの一部には大晦日に「第九」を演奏する伝統があり、ローゼンストックはこれにならって新交響楽団でも「第九」を演奏しようと考えたようだ。その意味では、年末の「第九」は日本が発祥とは言えない。しかし、12月になると全国のオーケストラがいっせいに「第九」を演奏するといった風習は日本ならでは。ヨーロッパと日本では「第九」の演奏頻度は大きく異なる。圧倒的に日本のオーケストラのほうが多いのだ。
新交響楽団の年末の「第九」は、1951年にNHK交響楽団に名称を変更してからも継続され、ラジオ放送も定着する。テレビ放送初年度の1953年には早くもテレビ中継が行われた。
年末つながりの余談だが、1927年に上野・寛永寺の「除夜の鐘」がラジオによって初めて中継され、これを機に明治時代にいったん忘れられていた「除夜の鐘」の風習が日本に広く定着したという話がある。メディアが人々の習慣を作り出すという点で、「第九」現象によく似ている。

1956年3月17日、日比谷公会堂にて ©NHKSO

1938年12月26日、歌舞伎座での特別公演にて ©NHKSO
3.「餅代稼ぎ」と呼ばれた時代—年末の興行として大流行
こうしたメディアの力もあって、年末の「第九」は他のオーケストラにもどんどんと広まってゆく。よく指摘されるように、そこには楽団の「餅代稼ぎ」といった性格もあった。なにしろ毎年「第九」は放送で中継されるのだから、みんなが知っている曲である。しかも合唱団はアマチュアが中心(コロナ禍以降はプロの出番が増えたが)。となれば、その家族や友人も足を運ぶ。ドル箱となった「第九」にオーケストラが飛びつかないはずがない。名指揮者でありエッセイの達人でもあった岩城宏之は「岩城宏之のからむこらむ part3」(「話の特集」1992年8月号)でこのように記している。
「戦後の日本のオーケストラが貧乏のどん底だったころ、正月の餅代稼ぎにやってみたら超満員になり、無事に年を越せたのが現在の『年末第九ブーム』になったのだ」
年末と「第九」のイメージは、かなり早い段階から結びついていたようだ。演劇評論家・戸板康二の『女優のいる食卓』(1966年/三月書房)にはこんな一節がある。
「ラジオは、クリスマスから大晦日までのあいだに、かならずベートーベンの第九を放送する。またどこかのホールで、かならず、この第九を演奏するのが楽界の習慣のようで、条件反射的に、第九のメロディを耳にすると、ジングル・ベル以上に行く年を感じるまでになっている」
すでにこの時点で、現在の「第九」のイメージが完全に定着していることがよくわかる。「第九」が季語に取り入れられるのも納得だろう。1966年というと昭和41年、東京文化会館が開館してまだ5年しか経っていない頃の話だ。
東京で初めての音楽専用ホールであるサントリーホールが開館したのは1986年。ここから次々と音楽専用ホールが誕生し、それに伴って、年末の「第九」の公演回数も飛躍的に増えてゆく。現在では毎年150公演程度の「第九」が12月に開催されている。12月のオーケストラ公演は「第九」一色だ。
4.年の瀬にはやっぱり「第九」!
しかしメディアの力や「餅代稼ぎ」が年末「第九」のブームを作ったのだとしても、楽曲そのものが私たち日本人の年末を迎える心情に寄り添うものでなければ、このような現象は生まれなかったはずだ。人々は年の瀬に来し方に思いを馳せ、新年に向けて気分を一新する。「第九」にもそんな要素があるのではないだろうか。第4楽章で、それまでの3つの楽章を回想したうえで「おお友よ、このような音ではない、もっと喜びに満ちた歌をうたおう」と語りかけて、「歓喜の歌」が始まる。まるで古い自分と決別して、未来に向かって歩もうとするかのようだ。一年の区切りにこれ以上ふさわしい名曲はあるまい。大晦日と正月が特別なものである限り、私たちはこれからも年末に「第九」を聴き続けることだろう。

今年は12/7に開催、その模様は12/20の特別番組で放送予定
©MBS/サントリー1万人の第九
文:飯尾洋一

飯尾洋一 Yoichi Iio
音楽ジャーナリスト。著書に『クラシックBOOK この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!』新装版(三笠書房)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『マンガで教養 やさしいクラシック』監修(朝日新聞出版)他。音楽誌やプログラムノートに寄稿するほか、テレビ朝日「題名のない音楽会」音楽アドバイザーなど、放送の分野でも活動する。ブログ発信中 http://www.classicajapan.com/wn/


