2024年のマイ・ベスト公演(オーケストラ編)/音楽ジャーナリスト・飯尾洋一

文:飯尾洋一

 2024年のオーケストラ公演で、もっとも感銘深かった公演を挙げるのは簡単だ。迷うことなく、サイモン・ラトル指揮バイエルン放送交響楽団と即答できる。ブルックナーの交響曲第9番他のプログラムで聴いた重厚でありながら解像度の高いサウンドは、オーケストラ芸術の最高峰にある。ラトルの一挙手一投足にオーケストラが鋭敏に反応する一体感も印象的。ラトルがやりたいことを思うがままにできているという開放感があった。このオーケストラのクオリティの高さは以前からよく知られるところではあるが、ラトルを首席指揮者に迎えて新たな時代が到来した感がある。「北のベルリン・フィル、南のバイエルン放送響」で南北両横綱という番付が一瞬頭に浮かんだが、横綱は東西か。

サイモン・ラトル指揮 バイエルン放送交響楽団
(c)Naoya Ikegami
(c)Naoya Ikegami

 一年を華やかに彩るハイライトは「ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン」。今年はアンドリス・ネルソンスウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに来日。マーラーの交響曲第5番では、ネルソンスが描く重く苦悩に満ちたマーラー像と、豊麗で輝かしいウィーン・フィルのサウンドが絶妙にバランスして、壮大なドラマを築き上げた。アイロニーとエレガンスが渾然一体となったショスタコーヴィチの交響曲第9番にも独特の味わい。

アンドリス・ネルソンス指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
撮影:池上直哉 提供:サントリーホール

パーヴォ・ヤルヴィ指揮
ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団
(c)Junichiro Matsuo

 くりかえし来日しているにもかかわらず、毎回新鮮な体験をもたらしてくれるのは、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団。今回、目を引いたのはモーツァルト、とくに満を持してとりあげた交響曲第41番「ジュピター」だ。これほど細部まで彫琢されており、アイディアが豊富で、ルーティーンの香りがしない「ジュピター」はめったに聴けるものではない。鋭く鮮烈な弦楽器に腕達者ぞろいの管楽器が加わって、生気にあふれた作品の姿を伝える。

ペトル・ポペルカ指揮 プラハ放送交響楽団
提供:AMATI
アントニオ・パッパーノ指揮 ロンドン交響楽団
Photo by Taichi Nishimaki

 ほかに来日オーケストラで強い印象を残したのは、スメタナの「わが祖国」で“お国もの”という以上の精彩に富んだ演奏をくりひろげたペトル・ポペルカ指揮プラハ放送交響楽団、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」で磨き上げられた高解像度のサウンドを披露したアントニオ・パッパーノ指揮ロンドン交響楽団、とてつもなく重く巨大なブルックナーの交響曲第8番を聴かせてくれたトゥガン・ソヒエフ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

トゥガン・ソヒエフ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
Photo by Co Merz

 国内のオーケストラに目を向けると、97歳のヘルベルト・ブロムシュテットが予定通りに来日して、3つのプログラムでNHK交響楽団を指揮したことが大きな話題となった。2023年は来日できなかったため2年ぶりの共演となったが、むしろ前回よりも壮健さを感じさせたことはうれしい驚き。オネゲルの交響曲第3番「典礼風」とブラームスの交響曲第4番で、このコンビならではの集中力の高い研ぎ澄まされたサウンドを聴かせてくれた。

ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
NHK交響楽団
(c)NHK交響楽団
ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
撮影:N.Ikegami 提供:ミューザ川崎シンフォニーホール

 東京交響楽団は2026年3月をもってジョナサン・ノットが音楽監督を退任することを発表した。近年、これほど大きな成果を生んだコンビはないだろう。毎回の共演がエキサイティングだったが、とくに記憶に残るのは「フェスタサマーミューザ KAWASAKI」でのチャイコフスキーの交響曲第2番「ウクライナ(小ロシア)」(1872年初稿版)と交響曲第6番「悲愴」。単に高水準な演奏を目指すだけではなく、作品や作曲家像を見つめ直して新たな光を当てるのがノットの魅力だ。

 セバスティアン・ヴァイグレ指揮 読売日本交響楽団は、角野隼斗フランチェスコ・トリスターノとの共演により、ブライス・デスナーの2台のピアノのための協奏曲を日本初演した。こういった形で現代作品のレパートリーが開拓されるのかという新鮮な驚きと興奮があった。アンドレア・バッティストーニ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団によるオルフの「カルミナ・ブラーナ」は期待通りの熱さ。あたかもバッティストーニのために書かれた作品であるかのように響く。

セバスティアン・ヴァイグレ指揮
読売日本交響楽団
(c)読売日本交響楽団 撮影:藤本崇
アンドレア・バッティストーニ指揮
東京フィルハーモニー交響楽団
撮影:上野隆文/提供:東京フィルハーモニー交響楽団

 ジョン・アダムズ指揮 東京都交響楽団の自作自演プログラムでは名作「ハルモニーレーレ」を聴けたのがうれしい。なにしろ作曲者自身の指揮なのだから特別な価値がある。カーチュン・ウォン指揮 日本フィルハーモニー交響楽団は、ブルックナーの交響曲第9番で荘厳な響きをオーケストラから引き出した。ブルックナー・イヤーの大きな収穫。鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパンによるブラームスの「ドイツ・レクイエム」の清澄さも忘れがたい。もう一度聴きたくなる。

ジョン・アダムズ指揮
東京都交響楽団
(c)Rikimaru Hotta/提供:東京都交響楽団
カーチュン・ウォン指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
(c)山口敦
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(c)大窪道治/提供:東京オペラシティ文化財団

 本来ならオペラの項で挙げるべきだが、コンサートホールでの上演ということで許してもらうと、24年末で指揮活動から引退する井上道義の指揮と(東京公演でオーケストラピットに入った)読売日本交響楽団による全国共同制作オペラ《ラ・ボエーム》は記念碑的な演奏会となった。オペラは歌の芸術ではあるが、プッチーニの色彩感豊かなオーケストレーションなくしてこの青春群像劇は成立しないことを実感させた。

井上道義指揮
全国共同制作オペラ《ラ・ボエーム》
(c)2/FaithCompany
沖澤のどか指揮
サイトウ・キネン・オーケストラ
(c)山田毅

 最後に挙げておきたいのは、沖澤のどか指揮サイトウ・キネン・オーケストラ。ネルソンスの代役で、急遽、沖澤のどかがブラームスの交響曲第1番と第2番を指揮。気迫のこもった第1番の序奏に故・小澤征爾の存在を感じた人も多かったのでは。そして、音楽祭の新たな幕開けを宣言する名演でもあったと思う。

【Profile】
飯尾洋一(いいお よういち)

音楽ジャーナリスト。著書に『クラシックBOOK この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!』新装版(三笠書房)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『マンガで教養 やさしいクラシック』監修(朝日新聞出版)他。音楽誌やプログラムノートに寄稿するほか、テレビ朝日「題名のない音楽会」音楽アドバイザーなど放送の分野でも活動。ANA機内プログラム「旅するクラシック」監修を務める。