ニューイヤーをもっと楽しめる!「ワルツ王」ヨハン・シュトラウスⅡ世の“トリビア”集【生誕200年記念】

1939年、ウィーン・フィル ニューイヤーコンサートがスタート

 いまや世界中にTV中継されるウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが始まったのは1939年のこと。以後、戦時中も含めて一度も中断されることなく続いています(ただし初回は大晦日の開催だったので、本当に「ニューイヤー」になったのは2回目の1941年元日から)。

初回「ニューイヤーコンサート」を指揮した
クレメンス・クラウス(1893~1954)

 現代から振り返ると、このコンサートが始まったいきさつはあまり幸せなものではありませんでした。オーストリアはその前年の3月にナチス・ドイツに併合されており、このコンサート開催も当然ナチスの主導だったのです。9月のポーランド侵攻によって第二次世界大戦に突入したドイツ国内の士気を高めるため、そして併合後のウィーンが変わらず文化的で楽天的な都市であることを喧伝するため。ナチス得意のプロパガンダです。

 プログラムは、もちろんシュトラウス・ファミリーの作品。ところがナチスにとって都合の悪いことに、シュトラウス家はユダヤ人の家系でした。ヨハンの曽祖父(=父シュトラウスの祖父)が、結婚を機にユダヤ教からキリスト教に改宗した記録がウィーンのシュテファン教会に保管されていたのです。ナチスはこの婚姻記録を持ち去って、該当ページを破棄したうえで、そのコピーをウィーンに戻して隠蔽しました。

 ひどいやり口ですが、逆に考えれば、ユダヤ人の作品だからと排除するのでなく、出自を隠蔽してまでこのコンサートを開催する価値を、(目的はどうあれ)あの狂気のナチスでさえ認めていたという見方もできるかもしれません。そして、ナチス・ドイツが崩壊するや、今度は平和の象徴として途切れることなくコンサートを続けたことに、ウィーンの人たちのしたたかさを感じますし、そうさせたのがシュトラウス・ファミリーの音楽の明るく陽気なエネルギーだったはずです。

ウィーンにある黄金のヨハン・シュトラウスⅡ世記念像
©Rafa Esteve

目次

Page 1……トップページ
Page 2……実は“ウィーン生まれ”じゃない⁉ ウィンナ・ワルツ
Page 3……会議も踊った!ウィーンのダンス熱
Page 4……J.シュトラウスⅡ世ってどんな人?――大衆音楽を芸術に高めたカリスマ
Page 5……先代はろくでなし? 骨肉あいはむ父子勝負!
Page 6……わずか18歳、鮮烈なデビュー・コンサートで大成功!
Page 7……世界を魅了した「ワルツ王」――ロシアのヨハン・シュトラウス
 Page 8……1939年、ウィーン・フィル ニューイヤーコンサートがスタート

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