文:青澤隆明
空が広くて、夕焼けがきれいだった。三月二日のゆったりした夕暮れだ。
六月は蛙が鳴いてた、と弾む声が返ってきた。おそらくそれは夜の記憶で、だからきっとバルトークのことでも思い出しているのだろう。そのとき、Kは14歳だったはずだ。
*
抽斗のなかにしまうように、自分のためだけにとっておく曲――というのは、きっといくつもあるのだろう。ふと思い立って、ときどき引き出してみては、そっと弾いてみる。そして、またどこか、心の奥のほうにしまう。
そうして、譜面はまたいっとき新しい光を浴びる。そのように、いつでも手の届くところにはある。町になぞらえれば、よく通る道から何本か裏に入ったところに。本棚の奥のほうにある本、と言ってもいいだろう。
なにがそのとき手がのびるきっかけとなるのかは予期できない。なんとなく、であればあるほど、それは自ずと必然に繋がってくることもあるだろう。思い出すのに、理由があることも、ないこともある。気配やきっかけのようなものさえあれば、それでいい。
ときどき私が気になるのは、演奏家がそうしてずっと傍らに置きながら、人前では決して披露することのなかった作品たちのことだ。抽斗の曲は、暗がりに親しいものだろうし、それだけに私的な趣を帯びている。もしかすると、それらは演奏会における十八番のレパートリーというふうにみられる曲たちよりも、ずっと密やかに、その音楽家の内面を物語るものかもしれない。
佐川文庫を訪ねるのは、一昨年の春以来だった。おなじ人のピアノ・リサイタルを聴きに、以前にもきたことがあった。「呉服屋」、「ショッピングセンター」などとごく簡明に名づけられたバス停をいくつも素通りして(というのは誰も乗降しなかったからだが)、いちばん近くの「ミトレン河和田前」と呼ばれる停留所でバスを降りた。そこまで窓の外を眺めて探してきたが、呉服屋もショッピングセンターもいっこうに見当たらない。過去の気配だけが名残としてあるだけなのかもしれないが、バスの車窓越しには、それすらもにおってこない。以前ここにきたときは、バスは貸し切りのようになったが、このたびは最後に残っていた数人はみな同じバス停で降りた。バスの料金は値上げになっていた。
よく晴れて、でもまだ風が冷たくて。遠足にきたような心持ちでのんびりと歩いていると、思いがけず、といった感じで佐川文庫の建物がみえてくる。音楽会の開演も近づいているが、どこからかみな思い思いに歩いてくるようで、いっこうに忙しい感じはしていない。それでも定刻にはすべての人が席に収まっている。その私設図書館の佇まいは、人の暮らす自然のなかにあって、それだけでは足りないなにかを知識や情緒として蓄えてきたことを静かに告示するように映えていた。ステージに置かれたピアノの向こうには、冬から春へと向かう午後が、移り気な日差しとともにあった。
「水車職人と小川」がひそやかに奏でられて、音楽会は始まった。最初のくだりがとても美しかったのは、それがどこまでも内密な心の情景であったからだ。
そして「街」……、それから「春の想い」……。シューベルトのリートをリストの手を通じて、無言で歌い継いでから、変ホ長調のソナタが響き出した。
瑞々しく、初々しい感動を、弾いている本人が感じ、それを慈しむようにして、シューベルトの音楽は紡がれていった。心の内と外とが、無理なく自然にひとつ繋がりであるような気持ちと表現のありようを、音楽家はこまやかに息づかせていた。
シューベルトのソナタは人前では弾かないし、今日のコンサートホールで聴かれるようなかたちの演奏は好きではない。――そんなふうに彼は以前から言っていたはずだった。そのようにすれば、なにかが失われてしまうからだ。きっとそうしたおそれがあるのだろう、作品を意に反して傷つけてしまうことへの。
でも、ここはべつだ。曲はたいせつに、作者の心も、奏者の心も、ていねいに温めるように弾かれた。ちょっと得難いシューベルトではないか、と私は思った。春がきたんだな、と感じていた。
シューベルトのソナタを聴いていると、このあとのリストの『巡礼の年 第1年「スイス」』といっしょに弾きたかった気持ちが、その演奏のうれしさとともにたちまち伝わってくる思いがした。『スイス』という曲集は、瑞々しい感動をともなう、リストの感情の純粋さを書き留めたかけがえのないアルバムだから。どれだけ純粋に感動して弾けるか、ということが、この曲に関してはなにより大切になってくる――、そう彼が昨年末にも語っていたことを、私は自ずと思い出していた。
シューベルトのソナタD.568は、こどもの頃からとくに親しんできた曲だったという。ここで、ひさしぶりに弾きたくなった、というふうに彼はプログラムにも記していた。
彼というのは、北村朋幹のことで、ここで、というのは、佐川文庫で、という意味だ。彼が14歳のときに初めてリサイタルを行った思い出の場所である。ここは、水戸市長をつとめた故佐川一信氏を記念して、彼の愛蔵書を主とする五万冊の書籍と、その半数ほどのクラシック音楽CDを収蔵してはじまったという。いまでは蔵書は倍の数に増えたそうで、建物も拡がっている。
近年コンサートの主会場となっている木城館という建物はまだなく、ライブラリーのなかで演奏会を行っていた頃の話だというが、その頃の佐川文庫も、北村朋幹のことも私は知らない。彼自身思いがけなくも、中村紘子さんのつよい薦めで、リサイタルの機会が突如もたらされたという話だった。最初はライブラリーで弾いていた、と以前にも懐かしそうに言っていた彼のことだから、響きのよい親密なホールでピアノを弾くのは大きな喜びだけれど、本に囲まれたなかで演奏するのもまた魅力的だった、というふうに感じているのだろう。
コンサートを主催される館長の佐川千鶴さんは、そのとき14歳の少年がコンサートのはじまりに誰に促されることもなくマイクをとって、「ぼくはこの一時間のリサイタルを弾きおえることができるかどうかわかりません」と言ったことが鮮やかに心に残っている、と懐かしそうに語った。すべての曲をおえて、アンコールに「献呈」を弾いたことも。プログラム本編では、リストのエチュードやラプソディーも演奏した。そうしたことを立ち話でおききしているうちに、休憩の時間はいつのまにか過ぎた。
もういちど席について、プログラムをひらくと、シューベルトのソナタのまえに演奏された「春の想い」に寄せるピアニストのノートには「この季節に心からの愛情と敬意をこめて」と綴られていた。季節への「敬意」というのは、その季節が生み出してきた多くのものへの畏敬の思いがあるからだろう。そのなかには人類の宝物のような芸術作品が無数にある。ロマン派にとっては、かけがえのない季節だ。そして、彼自身もまた春に生まれていた。
そして、リストがはじまった。ほどなくリリースされるアルバム『リスト 巡礼の年 全3年』のために録音も実らせた曲目でもある。『第1年「スイス」』は昨年の春に、年明けの『第3年』に続いてレコ―ディングした、と彼は言っていた。
『スイス』のはじまりは、「ウィリアム・テルの礼拝堂」。ラグビーでよく掲げられる言葉で言えば、「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」をモットーに旅立ちを告げる曲だ。喜びの凱歌のように、空高く鳴り響く鐘のように、私の耳には響いてきた。春がやってきたのだ、夢のなかで、まどろみのなかで、しかし生命の喜びに溢れた季節が……。
「ワレンシュタットの湖で」が美しい抒情を打ち震えている……「パストラール」の遠景がまた美しい……。「オーベルマンの谷」は純粋なほどに劇的に、しかし結びがやさしく響いたことが要諦だった……「郷愁」のあとも……。「ジュネーヴ」の鐘が夜になっても響いている……。音楽は夜の懐に結ばれるが、その響きが鎮まって、目を開ければ、まだそこは日中である。アンコールに応えてひそやかに弾かれたのは、グリーグの「春に寄す」だった。
そう言えば、リストの『巡礼の年』の、ほかならぬ「スイス」が若き日の『旅人のアルバム』から編まれたように、先ほど演奏されたシューベルトのソナタもまた後年になって、結果的には死の2年前に若書きをとり出し、調性を移してまとめた作品なのだった。
自身の演奏家としてのはじまりを告げた場所を、新しい春に訪れることを介して、音楽家は自らの初心を蘇らせるように、瑞々しい感情を湧き起こしながら、いま譜面から溢れ出す音楽に純粋な心の感動を寄せていった。春は生命を巡らせる季節だ。北村朋幹にとっては、思い入れ深いベルリンのブーレーズ・ザールのステージで、初めて演奏をする前夜でもある(私はそこに行くことができないかわり、いまこんなものを綴っている……)。ブーレーズ・ザールは楕円形のお皿のようなまあるいホールだ。こうした出来事もまた、時の巡りを感じさせつつ、新しいはじまりとなる。そして、本格的に春がくれば、かつて14歳だった少年も33歳を迎える……。
――こういうことを書くと彼は嫌がるかもしれないけれど、私はなんとなく書きたいから書いた。抽斗にしまっておくかどうかは、あとで考えればいいことだ。
そして、考えあぐねた私はその抽斗を、信頼する友人の手にあずけることにした。これが出ていれば、それは晴れて抽斗から外に出たということだ。春がきた、ということだ。
【CD information】
リスト 巡礼の年 全3年 /北村朋幹(ピアノ)
Disc 1
リスト: 巡礼の年 第1年「スイス」S.160
グリーグ: 抒情小曲集 より 4曲
Disc 2
ドビュッシー: 夜想曲
リスト: 巡礼の年 第2年「イタリア」S.161
Disc 3
ワーグナー/リスト: 「夕星の歌」(歌劇「タンホイザー」より)S.444
ノーノ: .....苦悩に満ちながらも晴朗な波...
リスト: 巡礼の年 第3年 S.163
収録:2023年1月4・5日、3月7-9日、8月28-30日
所沢市民文化センター ミューズ キューブホール
Fontec
FOCD9900/2 POS:4988065099008
¥6,600(税込)
【Profile】
青澤隆明 あおさわ・たかあきら
音楽評論家。1970年東京生まれ、鎌倉に育つ。東京外国語大学英米語学科卒。主な著書に『現代のピアニスト30—アリアと変奏』(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの『ピアニストは語る』(講談社現代新書)、『ピアニストを生きる—清水和音の思想』(音楽之友社)。