自在な即興が聴き手のプリミティヴな感性を呼び覚ます 〜ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXI の来日公演をふりかえって

10月末、スペイン古楽界の巨匠ジョルディ・サヴァール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)が約5年ぶりとなる来日を果たし、横浜・京都・東京で3公演を行った。すでに80歳を超え、もう日本で聴ける機会はないかも…と半ば諦めかけていたファンも多かったはずだが、今回、アンドルー・ローレンス=キング(ヒストリカル・ハープ)らエスペリオンXXIのメンバーとともに、日本の聴衆の前にふたたび姿を見せてくれるということで、全公演が完売。期待の高さを窺わせた。プログラムは、ルネサンス&バロック期の舞曲や変奏曲等を中心とした、実にマニアックなもの。心のおもむくままに自由に即興を繰り広げる4人の演奏に、満席の聴衆は酔いしれた。初日となった10月28日、神奈川県立音楽堂でのステージの模様を、音楽ジャーナリストの林田直樹さんがレポートする。

Jordi Savall & HESPÈRION XXI
Andrew Lawrence-King, Jordi Savall, Xavier Díaz-Latorre, David Mayoral
京都公演より © 青山音楽記念館バロックザール

text:林田直樹

 開演前から会場は異様な熱気に包まれていた。
 もはや来日は実現不可能と思われていた古楽界のレジェンド、ジョルディ・サヴァール(1941年生まれ、82歳)が再びやってくるとあれば、ファンが熱狂するのは無理もない。

 「ありがたい、ありがたい」と口々に話していた顔見知りの古楽オタクだけではない。この日に県立音楽堂に来ていたのは、もっと雑多な老若男女だった。噂が噂を呼んだのだろう。「King Crimson」のロゴの入った黒いTシャツを着た若者の姿も見かけた。そう、古楽とは本来、クラシック音楽とポピュラー音楽が分化する前の混沌たるエネルギーに満ちた、どちらかというとワールドミュージックに近い世界なのだ。
 今回のコンサートのテーマ「ルネサンス&バロックのダンスと変奏~旧大陸、そして新大陸から」は、数百年、あるいは千年もの昔に遡り、地球規模の壮大な音楽の航海を続けてきたサヴァールの演奏活動が凝縮されたものでもあった。

京都公演より © 青山音楽記念館バロックザール

 演奏が始まったとたん、サヴァールの弓使いと指の動きには目が釘付けになった。幽かな音から恰幅のいい広がりのある音まで、何と味わい深い響きだろう。膝の上に立てる高音域用ヴィオールと、チェロのように構えるバス・ヴィオール。2種類のいわゆるガンバから繰り出される音を久しぶりに実演で聴いて思ったのは、たとえばヒュームの無伴奏作品で、まずたっぷりと低音を響かせてから、その余韻を保ちながら高音域でスルスルッと旋律を奏でていくときの何とも言えない風格である。舞曲中心のプログラムとあって全体的にはノリのいい音楽が多く、激しく弓を動かすときのスリリングさはさすが巨匠の芸だったが、どんなにエンターテインメント的で親しみやすい曲でも格調高いのがサヴァールたるゆえんだろう。

 サヴァールを中心に4人の達人たちのアンサンブルを楽しむなかで、後半でソロを披露したアンドルー・ローレンス=キングのバロック・ハープも見事だった。音色の変化、リズム感の良さ、とりわけ即興風の楽句に添えられていく和声の面白さには、思わず身を乗り出したほどだった。イタリア、スペイン、ウェールズ、アイルランドとバロック・ハープの再発見に貢献し、ジャンルを超えた影響力を持ったローレンス=キングがこのアンサンブルに加わっていたのは大きい。シャビエル・ディアス=ラトレ(ビウエラ&ギター)のシャキッと引き締まった生きのいい演奏、ダビド・マヨラル(打楽器)の絶妙な間合いのリズムと多彩な音色も、至芸の域に達していた。

神奈川県立音楽堂でのリハーサルより ©深畑一德 
写真提供:オフィス山根

 この日いちばんの拍手を受けたのが、アンコール1曲目の作者不詳「カナリオスによる即興演奏」。
 それは、彼方から響いてくるような、息をひそめて耳を鋭敏に澄ませなければ聴こえないくらいに微かな音から始まった。すばしこく、生命力に満ちた、超高音域の鳥の声の模倣——というよりは模倣以上の神秘的な何か——あんなに幸福感にあふれた不思議な音は生まれてこの方聴いたことがない。

 それはだんだん近づいてきて、旋律へと姿をはっきりさせていき、ついにはアンサンブルによる変奏へと発展した。やがてアンサンブルは徐々に潮が引くように消えていき、再び微かな鳥のさえずりへと戻っていく。
 それは、あたかもサヴァールが「本当の音楽の始まりとは、自然の中にあるんだよ」と教えてくれているような、驚異に満ちた、魔法のような時間であった。

京都公演より © 青山音楽記念館バロックザール

 後日YouTubeでサヴァールが同じ曲を演奏しているものを見つけて視聴してみたが、県立音楽堂での即興の方がはるかに長く遊び心に満ちて、圧倒的にすぐれた演奏であった。聴衆の熱気がサヴァールの即興を燃え立たせたに違いない。

 ひとつ付け加えるなら、今回のプログラムのテーマが「舞踊」にも関わっていたことに留意しておきたい。ルネサンス・バロックの時代にこれらの音楽は、踊りとともに存在したはずなのだ。それを夢想してみることをサヴァールたちはきっと促してくれている。

協力:オフィス山根

ジョルディ・サヴァール&エスペリオンXXI
ルネサンス & バロックのダンスと変奏~旧大陸、そして新大陸から~

2023.10/28(土)14:00 神奈川県立音楽堂


ジョルディ・サヴァール(ヴィオラ・ダ・ガンバ&ディレクション)
シャビエル・ディアス=ラトレ(ビウエラ&バロックギター)
アンドルー・ローレンス=キング(スペイン式バロックハープ)
ダビド・マヨラル(打楽器)

ルイス・デ・ミラン
 ファンタジア第8番、第38番、
 パバーヌ第1番、ガイヤルド第4番
トバイアス・ヒューム
 ヒューム大尉のパヴァーヌ~ガイヤルド、
 たったひとりで行軍する兵士(無伴奏バス・ガンバ)
カタルーニャ民謡(サヴァール編)
 アメリアの遺言、糸を紡ぐ女
フランセスク・ゲラウ
 エスパニョレータとフォリア(バロックギター)
ジョン・ダウランド
 いにしえの涙
アントニー・ホルボーン
 ムーサたちの涙、妖精の円舞
ウィリアム・ブレイド
 サテュロスの踊り

—- 休憩 —-

ジュアン・カバニリェス
 序曲~イタリアのコレンテ
作者不詳
 ハカラス
マラン・マレ
 フォリアによる変奏
ルイス・ベネガス・デエネストローサ
 カベソンのファンタジア、スペインの調べ
アンリ・ル・バイイ
 パッサカリア「わたしは狂気」(スペイン式バロックハープ)
作者不詳
 摂政殿のラント~モイラの君主~ホーンパイプ(リラ・ヴァイオル式に弾くヴィオラ・ダ・ガンバ)
サンティアーゴ・デ・ムルシア
 サルディバル写本より ガリシアのフォリア~イタリアのフォリア~
作者不詳
 舞踏曲「狂気の蜜」

アンコール
作者不詳
:「カナリオス」に基づく即興演奏
作者不詳:「狂気の蜜」に基づく即興演奏(フォリア&ガイヤルド)

ジョルディ・サヴァール&エスペリオン XXI 日本ツアー
2023.10/28(土)14:00 横浜/神奈川県立音楽堂
2023.10/29(日)15:00 京都/青山音楽記念館バロックザール
2023.10/31(火)19:00 東京/三鷹市芸術文化センター 風のホール