INTERVIEW 出口大地(指揮)

鮮烈デビューから1年 —— いま最も注目の若手指揮者のこれまでとこれから

取材・文:林昌英

 2021年、アルメニアのハチャトゥリアン国際コンクール優勝で、その名を一気に広げた指揮者・出口大地。その翌年、22年7月の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会への鮮烈なデビューは、大きな話題になった。その後は東京フィルをはじめ、各地の楽団からオファーが続き、急速に活躍の場を広げている。
 その一方で、大阪生まれの出口は、軽妙なトークと人懐こいキャラクターをもち、日本では数少ない左利きのマエストロとしても知られるなど、指揮者としての実力と共に様々な側面でも注目される存在だ。

Daichi Deguchi ©hiro.pberg berlin

—— 2021年のハチャトゥリアン国際コンクール優勝は、やはり強く印象に残っています。

出口 その時期は直前まで別のコンクールに全力をかけて臨んでいましたがセミファイナルで落ちてしまい、意気消沈したままアルメニアに飛んだのですが、逆に肩の力が抜けていたようで、それが幸いしたのかなと思います。コンクールの結果はもちろん嬉しいんですが、目標に向かって積み重ねている過程の途中をたまたま評価していただいたという感じで、実は自分の中では大きな変化はないんです。

—— その翌年の東京フィル定期ですが、21年の優勝直後、早くも22年の定期ラインナップに入ったのは驚きました。

出口 コンクールの1ヵ月後くらいに、東京フィルさんからご連絡をいただきました。具体的な公演内容は不明な状態でプログラム案をいくつかお渡しして、時間が空いて「お話は流れたのかな」と思い始めた頃に連絡が入り、「ハチャトゥリアンプロでお願いします。今回は定期公演のご相談です」と。これは震えましたね(笑) 。まさか定期とは思ってなくて。日本のプロの楽団はそれまで講習会の場で一度振ったことがあるだけで、仕事としての出演はこれが初めてでした。

—— 東京フィル定期に臨んでみて、いかがでした?

出口 それこそ一言では語れない、いろんな思いがあります。「日本のプロオケは怖いよ」っていろんな人から脅され続けて(笑)、初日の練習は本当に緊張したんですが、取り繕っても仕方がないので、「ハチャトゥリアンの素晴らしさをお客さんに届けられるように精一杯頑張りますので、至らない部分もたくさんあるとは思いますが、何かあればぜひご指導ください」と最初にお伝えしました。

東京フィル定期演奏会より ©Takafumi Ueno

 それでというわけでもないと思いますが、本当に東京フィルの皆さんが素晴らしくて、技術と能力の高さももちろんですが、若手指揮者の言うことでも全部きちんと音にしてあげようという協力的な姿勢や音楽的な良心、その上で僕がうまくいってないときには声をかけてくださる。あれだけ怖いって言われたプロオケはこんなにも優しかった。感謝の気持ちでいっぱいです。

 演奏会自体もポジティブなエネルギーに満ち溢れたものでした。3回の公演で、回が進むにつれてどんどん対話が深まっていって、3回目はすべてが一体になるような瞬間がいくつもあり、本当に衝撃的な体験になりました。

 出口が振り返る通り、実質上のプロ楽団デビューとなる東京フィル定期初出演は、掛け値なしの大成功だった。コンクールを受けてのオール・ハチャトゥリアン、しかも今世紀に東京で全曲実演のなかった交響曲第2番「鐘」。稀少な大曲と鮮烈デビューの俊英への期待が混じる中、出口は緊張感を漂わせつつも、左手ばかりか下半身から体全体を巧みに使った指揮ぶりでオーケストラと交歓。舞曲では興奮しすぎず譜面を尊重、かつアルメニア仕込みのテンポ感と音色も実現。3日目にはシンフォニーで恐るべき強靭さと壮大さをもつ響きも引き出し、終演後は大喝采、楽員も普段以上の笑顔。すべてにおいて唸らされた。

 その成功から各地に客演を重ね、今年5月に日本センチュリー響定期に出演。8月には東京フィルとフェスタサマーミューザ、10月には東京フィル、都響との共演などが予定されており、同世代の指揮者を代表する存在になりつつある。このうち東京フィル公演の話題の中で、出口の音楽観や人柄が伝わる話があった。

—— 8月のミューザ公演は、東京フィルとベルリオーズ「幻想交響曲」ですね。

出口 この公演の選曲は東京フィルさんからのご提案でしたが、「幻想交響曲」はこちらからやりたいと言って簡単にやらせてもらえる曲じゃないので、挑戦できるのは嬉しいです。自分の若手としての感性と、エキセントリックで、ある意味フレッシュな「幻想」との化学反応を期待していただいているのかなと。僕は“奇をてらった演奏”は好きではありませんが、この曲が持つ“奇をてらった部分”はきちんと楽しんでいただけるようなアプローチをしたいと思っています。

東京フィル定期演奏会より ©K.Miura

—— そのコメントには出口さんの音楽観が表れていますね。勝手に変なことはしないけど、曲のもつ“変なところ”はしっかり出したいという。

出口 まさにそうですね。その「宝探し」をするのがスコアリーディングです。そういうポイントを一つでも多く見つけたいし、それが他の人がアプローチしていないことだったらワクワクしますね。

—— 10月の市川公演は「協奏曲の夕べ」ですが、協奏曲を振るのはいかがですか。

出口 協奏曲は好きです! 人と音楽するのが好きで指揮をやっているので、ソリストの音楽を聴いて、それに反応してどうアプローチするのかという、いい意味での受動的な音楽体験を楽しめるのが醍醐味に感じています。

 市川公演のソリスト二人のうち、ヴァイオリンの岡本誠司くんはベルリンでの友人で、互いのコンクールを応援したり家で飲んだり、とても仲良くしています。もともとドイツで初めて共演する予定でしたがコロナで直前で流れてしまい、ついに今回初共演が叶います。ピアノの務川慧悟くんは5月の日本センチュリー響で共演しましたが、相性ピッタリで初対面から話が止まらず、演奏は何かが乗り移ったかのような素晴らしさ。共演がこの二人というのもたまたまですが、めちゃくちゃ楽しみです!

東京フィル定期演奏会より ©Takafumi Ueno

 出口は10代の頃はロックなどが大好きで、大学も音大ではなく法律を学んでいた。そのユニークな経歴からは、彼ならではの指揮者像が浮かび上がる。

—— 大学では法学部で、法律の勉強が好きだったそうですね。

出口 そうなんです。法律の中でも特に好きだったのは憲法とか、ちょっと哲学的な分野です。書いてある条文に対してこういうふうに解釈すると自分なりの筋道を立てて、それをもとに他の人とディスカッションする。そのプロセスが楽しかったんですが、これは指揮者が楽譜を読む作業と一緒だと思うんです。法律はわざと弾力性というか、解釈の余地を残してある。楽譜も書いてあることがすべてではなくて、ここの音をどうするかを解釈し、自分の中でロジックを組み立てて、それをいかに自然で説得力のある表現にするのか、というところが仕事になってきます。

—— 理想の指揮者像というのはいろいろあると思いますが、出口さんにとってはどんなイメージでしょうか。

出口 指揮者像に関しては十人十色だと思いますが、僕は特定の理想像はなく、その人それぞれのパーソナリティがにじみ出ているのがいい指揮者の条件だと考えています。自分自身は性格的に誰かを支配することはできないし、和気あいあいと物事を作っていくのが好きで指揮を始めたところもあるので、みんなと協力しながら演奏を作り上げつつ、同時に新たなインスピレーションを次々と刺激していく、というのが自分に合ったスタイルなのかなと。もちろんそのためには高い能力と準備が必要で、“みんなで音楽を楽しもう”というところに行けるように努力しています。

—— いまはベルリンにお住まいとのことですが、今後も拠点はベルリンが中心でしょうか。

出口 最近は幸運なことに日本で仕事をいただけるようになっていますが、自分としてはもう少しヨーロッパでしか感じられない空気とか、演奏会やリハーサル、自分の感覚をリフレッシュできる時間が必要だと感じています。

ベルリンでくつろぎ中(ご本人提供)

 ベルリンにいるときは、ヨーロッパ各地のオーケストラのオーディションやコンクールに挑戦しつつ、来年はアルメニア国立交響楽団との再演など音楽活動も多少はありますが、基本的にはプライベートの時間を大切にしています。ベルリンは都会ですが自然がとても豊かで、近くの林や湖を散歩したり、公園で友人とBBQをしたり、ゆったりとした時の中で過ごすことによって本来の自分を取り戻せるというか。ちなみに指揮者の沖澤のどかさんの家はご近所で、よく娘さんや猫ちゃんに癒されに行っています(笑)

 また、たくさんの演奏会があるのでなるべく足を運び、常に新鮮なアイデアをインプットできるよう心がけています。特にベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団は母校の向かいで練習しているので、よくリハーサルに潜り込んでいますね。

 まだしばらくは2拠点生活で、ベルリンで勉強や本番の機会を探りつつ、日本での活動を広げていきたいと思っています。

◎編集後記
 いつも、ぶらあぼのTwitterスペースで若手音楽家たちと楽しいトークを聞かせてくれる出口さん。実は熱狂的なヤクルト・スワローズのファンで、ベルリン在住ながらも常に野球の結果をチェックしているそうです。いつか神宮球場で始球式に出るのが夢だとか! 最近の活躍ぶりをみると、そう遠くない先に実現しそうな気もします。その時はきっと、ダイナミックな指揮姿にも似た投球フォームでストライクを投げ込んでくれることでしょう。(この記事がスワローズ球団関係者のみなさんの目に留まることを期待しつつ…)
(編集部)


出口大地(指揮) 
 第17回ハチャトゥリアン国際コンクール指揮部門にて日本人初の優勝。クーセヴィツキー国際指揮者コンクール最高位及びオーケストラ特別賞。2021年にはベルリン放送交響楽団の公演にてヴラディーミル・ユロフスキ氏のアシスタントを務める。
 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、アルメニア国立交響楽団等の指揮を経て、2022年7月、東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会にて日本デビューを飾る。その後京都市交響楽団、読売日本交響楽団と立て続けに共演を果たし、今後も続々と日本各地のオーケストラへのデビューが決定している。
 大阪府豊中市生まれ。 関西学院大学法学部卒業後、東京音楽大学作曲指揮専攻(指揮)卒業。2023年3月ハンスアイスラー音楽大学ベルリンオーケストラ指揮科修士課程修了予定。指揮を広上淳一、田代俊文、三河正典、下野竜也、クリスティアン・エーヴァルト、オペラ指揮をハンス・ディーター・バウムの各氏に師事。またネーメ、パーヴォ、クリスティアン・ヤルヴィ、ドナルド・ラニクルズ、ヨハネス・シュレーフリ、井上道義、沼尻竜典各氏らのマスタークラスにオーディションを経て招待され、薫陶を受ける。
公式ホームページ https://daichideguchi.wixsite.com/daichideguchi


出口大地の指揮者道中膝栗毛(ポッドキャスト番組)
Twitterスペースで、毎回楽しいゲストを迎え、不定期でお届け中。

海の向こうの音楽家 vol.2 出口大地(指揮)from エレバン(アルメニア)
(2021年のハチャトゥリアン国際コンクール時のエピソードを出口さんが自らレポート)


【Concert Information】
◎フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2023
東京フィルハーモニー交響楽団
俊英マエストロ&円熟のピアニスト ~ドラマティック名曲集~

2023.8/2(水)15:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:出口大地
ピアノ:清水和音
東京フィルハーモニー交響楽団 
♪ハチャトゥリアン:組曲『仮面舞踏会』から ワルツ
♪チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op. 23
♪ベルリオーズ:幻想交響曲 Op. 14
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/festa/calendar/detail.php?id=3390

神戸市室内管弦楽団 SelectionⅢ Kobe Live Session『大地×隆太朗』
2023.8/5(土)15:00 神戸/東灘区文化センター うはらホール
指揮:出口大地
コントラバス:幣隆太朗
管弦楽:神戸市室内管弦楽団
♪ミヨー:バレエ音楽「屋根の上の牡牛」Op.58
♪シベリウス:悲しきワルツ Op.44, No.1
♪ニーノ・ロータ:コントラバスと管弦楽のためのディヴェルティメント
https://www.kobe-ensou.jp/schedule/3149/

◎東京フィルハーモニー交響楽団 in Ichikawa
国際コンクール覇者が贈る協奏曲の夕べ

2023.10/1(日)15:00 市川市文化会館

指揮:出口大地
ヴァイオリン:岡本誠司
ピアノ:務川慧悟
東京フィルハーモニー交響楽団 
♪ハチャトゥリアン:仮面舞踏会よりワルツ
♪シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 Op.47
♪ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op.18
https://www.tekona.net/bunkakaikan/event_detail.php?id=1988