「ぶつかる」ことで生まれるその瞬間の声、表情を見せたい
10年前、日生劇場開場50周年記念公演としてライマン《リア》を演出した栗山民也が、60周年の機会に再びオペラを演出する。今回はギリシア悲劇を原作とするケルビーニ《メデア》(日本初演)だ。
「オペラを演出するときまず考えるのは、その『音楽』との出会いの衝撃を皮膚感覚で訴える手だてです。《リア》初聴きの時には、『嵐の場面』の音楽がまさに僕が考えていたリアのイメージに近かった。この衝撃をどう伝えるか。今回《メデア》でも、メデアの歌を通して、人間の『業』というか、理性では解決できない何かが彼女を動かしていく所にオペラならではの魅力を感じました」
本作でメデアの置かれた立場は厳しい。不実な夫ジャゾーネは公的には「英雄」としてもてはやされ、コリントスの王クレオンテは男性社会のトップで圧倒的な権力の象徴。メデアは未開の地コルキスからコリントスまで連れて来られた異邦人、そして女性として二重に弱い立場にある。この権力者たちにより追い詰められたメデアは、最終的に自分の子を殺してしまう。それはなぜか。
「人間の幸福とは、社会や人など、『何かと繋がっている』感覚にあるんだと思うんです。不幸・絶望とはそうした繋がりを断ち切られていくこと。これは現代でも同じですよね。家族や社会からどんどん繋がりを断ち切られて、さらに性差別も重なる中、最終的に孤立した彼女の魂は、繋がれたものへの執着が強ければ強いほど、意識的にそれを断ち切っていくことになる。僕はそれが『子殺し』だと思うんです。彼女はジャゾーネの全てを壊すために、彼を生かしたまま、愛する者たちとの『繋がり』を断ち切っていくことを選ぶ。人間ってここまでのものであり得るんだって、こんな究極の悲劇を紀元前5世紀にエウリピデスは書いたんです」
ぶつかりあう感情を抱えた「人間」を
メデアの行動は普通に考えれば「不可解」なものだ。だが今の日本のテレビ番組や芝居で、わかりやすい存在ばかりが良しとされ、矛盾に向き合うことや異論を衝突させることが避けられがちなことに栗山は異議を唱え、だからこそ《メデア》のような作品を観てもらうことが必要だと語る。
「人間ってそもそももっと不可解なもので、だからこそ魅力的なわけです。チェーホフの芝居でよく見るように、人間には口で『大嫌い』と言っていても実は『大好き』ということもある。
メデアは最後に子殺しに至るまで、自分の精神の内のさまざまな感情とぶつかりあう。僕はこの『ぶつかる』ってことが演劇だと思うんです。そこに何かが生まれる。『これが正しい』と言いながら30秒後にはまた違うと思う、それが人間なのであり、そこで生まれたその瞬間の声、表情を見せたい。『ぶつかる』ことを皆が避ける時代にこういう作品に取り組もうという日生劇場はさすがです」
普段の芝居の稽古でも栗山は「稽古とはその人物がどんな声の持ち主なのかを探す旅だ」と言っているのだそうで、今回はオペラだから「自分が今まで出したことのない『その人の声』に出会う」ことが、そもそも楽譜によって求められているのではないかと語る。オーディションでもたくさんの声を聴いて、メデア役には「変化の中でメデアの存在そのものがぎりぎりに繋がれたものから引き裂かれていく瞬間を体現できる、スケールの大きな二人」として岡田昌子と中村真紀を選んだという。彼女たちは稽古の中でどんな声を見つけ聞かせてくれるだろうか。
劇場は真実を守る場所
ウクライナでは戦争が続いていて、日本でも非人間的な事件が毎日報道されている。栗山はこういう時代だからこそ「劇場」には大事な役割があるという意識を多くの観客と共有したいと訴える。
「旧東独を生きた演劇人から、以前こんな言葉を聞きました。『そんな時代でも夜になったら私たちは劇場に向かった。劇場には真実があったから』。欧州では劇場とは歴史の中で真実を守り、社会を監視する場です。観客が作品を『観る場所』であると同時に、人や社会について『考えて成長する場所』なんです」
古典を現代の劇場で上演するということについて栗山がもうひとつ思い出すのが、パリのコンセルヴァトワールのある演劇教師から聞いた「演劇は歴史の記憶装置である」というフレーズだ。
「つまり歴史の中で書かれたある言葉・音楽に、現代の舞台人が自分たちと共通の何かを見つけ、われわれの時代の言語や演奏によって更新する、そのとき初めて現代化って成立すると思うんです。紀元前5世紀に描かれたメデアというひとりの女性の苦悩が、いまの人間の物語として蘇る。『現代化』というのはスーツを着せて演じさせることではないんです。最終的に歩んでいく道は全然違うけれど、我々と全く同じように迷い、悲しみ、嘆く人がそこにいると感じさせられる、『僕』のお母さん、『私』自身の存在を体験できるのが、舞台芸術の力でね。奇跡だと」
劇場が作品を発表していまの時代に生きる観客に「ぶつけ」て、それを受け止めて自分なりに考え、そこから生まれた、人それぞれの「なにか」を持ち帰ってもらうこと、前述のように、これが劇場の役割だと栗山は考えている。彼がこのことを学んだ場所はドイツであり、特にベルリンには「後頭部をガーンと叩かれる」経験を求めて、まだ壁のあった時代から30回以上通っているという。
日本での演劇や劇場のあり方に行き詰まりを感じ、この仕事を続けるかまで悩んでいた時、栗山を救ったのもベルリンでのチェーホフ作品だった。尊敬する演出家ペーター・シュタインがシャウビューネ劇場芸術監督退任時に上演した『三人姉妹』だ。三日間並んで奇跡的にチケットを入手し、すべての観客が集中する中でその見事な『三人姉妹』を観たことで、「演出家を辞めるのはやめよう」と心から思えたのだという。
「その時、素晴らしい作品っていうのは迷えるひとりの人間の人生を変えるんだってことを、僕は実際に体験したわけです。だから、僕が創った作品でもその日の客席の中のひとりの運命は変えられるかなと思って今でもやってるんですね。芸術の仕事、舞台芸術ってのは、個人と握手するような、何かそういう、具体的な仕事のような気がするな」
観客とアーティストがぶつかり合い、その先に手を繋ぐ場としての「劇場」創生を目指して、栗山の挑戦は続く。
取材・文:森岡実穂 写真:吉田タカユキ
(ぶらあぼ2023年5月号の内容を拡大して掲載)
【Profile】
栗山民也(Tamiya Kuriyama)
東京都出身。早稲田大学文学部卒業。2000年から2007年まで新国立劇場演劇部門芸術監督、また2005年から15年まで新国立劇場演劇研修所長を務める。紀伊國屋演劇賞、読売演劇大賞の大賞及び最優秀演出家賞、芸術選奨文部科学大臣賞、毎日芸術賞千田是也賞、朝日舞台芸術賞、朝日舞台芸術賞グランプリ、菊田一夫演劇賞、紫綬褒章など受賞多数。著書に『演出家の仕事』(岩波書店)がある。
【Information】
日生劇場開場60周年記念公演 NISSAY OPERA 2023
ケルビーニ:《メデア》日本初演・新制作(全3幕/イタリア語上演・日本語字幕付)
2023.5/27(土)、5/28 (日)各日14:00 日生劇場
指揮:園田隆一郎
演出:栗山民也
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
合唱:C.ヴィレッジシンガーズ
出演
メデア:岡田昌子(5/27) 中村真紀(5/28)
ジャゾーネ:清水徹太郎(5/27) 城 宏憲(5/28)
グラウチェ:小川栞奈(5/27) 横前奈緒(5/28)
ネリス:中島郁子(5/27) 山下牧子(5/28)
クレオンテ:伊藤貴之(5/27) デニス・ビシュニャ(5/28)
第一の侍女:相原里美(両日)
第二の侍女:金澤桃子(両日)
衛兵隊長:山田大智(両日)
問:日生劇場03-3503-3111
https://opera.nissaytheatre.or.jp/info/2023_info/medea/
他公演
9/1(金) 岡山芸術創造劇場 ハレノワ 大劇場(086-201-2200)