ベルリン・フィル史上初の《スペードの女王》上演 in ベルリン 現地レポート

キリル・ペトレンコの真価が遺憾なく発揮された完成度の高いステージ

取材・文:後藤菜穂子

 年末年始にベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホール(DCH)でキリル・ペトレンコの指揮するチャイコフスキーの《マゼッパ》と《イオランタ》を視聴して強い感銘を受け、ぜひ4月に彼が振る《スペードの女王》を現地で体感してみたい、と決意した。幸い、春に入ってドイツのコロナ対策もだいぶ緩和され、4月にはホール入場の際のワクチン・パスも不要になり、FFP2マスクの着用だけでフィルハーモニーでの演奏会が聴けるようになった。

写真提供:Berliner Philharmoniker
All photos ©Monika Rittershaus/ 2022 Berlin Phil Media GmbH

 ベルリンでの公演は4月21日と24日の2回。周知のとおり、この《スペードの女王》はベルリン・フィルがレジデントを務めるバーデン゠バーデンの復活祭音楽祭で演出付きで上演(4公演)されたのち、ベルリンで演奏会形式として上演されたものである。バーデン゠バーデン公演は拝見していないので、舞台の評価については他に譲りたいが、同地でじっくりリハーサルを経て緻密に作り上げたドラマを、ベルリンでは衣裳やセットから解放され、オーケストラもピットを出てホームの舞台で、音楽面に集中できることの喜びが伝わってきた。プログラム冊子によれば、《スペードの女王》を演奏するのは、オーケストラの歴史において初めてだそうなので、多くの奏者がまったく先入観なく、真っ新な状態から作り上げた音楽であり、当然といえば当然だが、ふだんオペラ・ハウスでこの作品を観るのとは違う多くの発見に満ちていた。そしてベルリン・フィルの演奏が、細部まで力が漲っていてなんと輝かしいこと!

 ある意味、このロシア人作曲家によるオペラ(原作はプーシキン)── 指揮者、キャストにも多くのロシア出身者が起用されている ── がこの時期にふつうに上演されたことは、本来当然のこととはいえ、当然のことが当然でなくなる今の世の中では、喜ばしいことであった。オペラの舞台はペテルブルクとはいえ、《マゼッパ》などと違ってロシア史ではなく、賭博に溺れ狂気に陥っていく主人公ゲルマンの内面に焦点を当てた物語なので、大丈夫だったのかもしれない。

Elana Stikhina

 歌手陣は主役の二人、アルセン・ソホモニアン Arsen Soghomonyan (テノール)とエレーナ・スティヒナ Elana Stikhina(ソプラノ)はもちろん、脇役まで本当に粒ぞろいであった。リーザ役は、本来今注目の演技派ソプラノ、アスミック・グリゴリアン Asmik Grigorian が歌うはずでそれが目玉でもあったのだが(2月にゲルギエフの指揮のスカラ座の同オペラで成功を収めていた)、彼女が健康上の理由で降板したため(彼女はリトアニア人だが、父はマリインスキーほかロシアで活躍した歌手であり、今の情勢にいろいろ複雑な感情があると思われる)、当初若手のエレーナ・ベズゴドコヴァ Elena Bezgodkova が代役に起用された。ところが直前に彼女がコロナで降板、急遽今大活躍のスティヒナがジャンプイン、輝かしい歌唱を聴かせてくれた。グリゴリアンとはまったく違うタイプだが、声の安定度と滑らかさがすばらしく、豊かな音量と広がりのあるリリコ・スピント。たしかに、リーザの心理面での掘り下げの点では、グリゴリアンが歌っていたらまた違った側面が出ただろうとは思うが、演奏会形式で聴くには理想的な配役だと感じた。
 一方、ゲルマン役のソホモニアンも圧倒的な歌唱。彼はベルリン・フィルとは2019年にメータの指揮で《オテロ》のタイトルロールを歌っているが、賭博に取り憑かれていくゲルマンの狂気を緊迫感もって演じた。とりわけクライマックスの第3幕第2場の二重唱では、ペトレンコがオーケストラをかなり鳴らしていたが、その大音量にかき消されることなく、しかも声が乱れることもなく、圧巻の二重唱だった。

Arsen Soghomonyan

 この主役二人のシリアスなドラマの間に、軽妙な余興的な場面が挟まれるのがこのオペラの特色でもある。たしかに第2幕の幕間劇などは舞台があったほうが楽しいだろうが、でもスティヒナ(クロエ役も兼ねていた)とアイグル・アフメトシナ Aigul Akhmetshina(ポリーナ/ダフニス)の二重唱など、きわめて美しく混じり合っていて聴き惚れてしまうし、ふだんどちらかというと三枚目風な描かれ方をするトムスキーも、ヴラジスラフ・スリムスキー Vladislav Sulimsky(昨年の《マゼッパ》のタイトルロールを歌ったロシア人バリトン)が歌うとなんとも精悍なこと。第1幕の彼のバラードも大きな聴きどころとなっていたし、彼の仲間たちを歌った歌手たちも良い声が揃っていた。そして、このオペラきっての名アリアを歌うエレツキー公爵役(リーザの婚約者)のボリス・ピンハソヴィチ Boris Pinkhasovich は、ウィーン国立歌劇場所属のバリトンで(2月に配信された同歌劇場の《マノン・レスコー》ではレスコー役を歌っていた)、のびやかで甘いバリトン声でしっとり聴かせた。

左:Aigul Akhmetshina 右:Elana Stikhina

 そして、最初から最後まで尋常ではないテンションの高さを維持して、スコアに書き込まれたさまざまなディテールまで切れ味鋭く、鮮やかに浮かび上がらせたペトレンコとベルリン・フィルには本当に脱帽だった。こうした細部はピットでの演奏ではここまで明瞭には聞こえてこないし、ステージングに気を取られて気づかないということもあると思う。
 筆者は21日はDブロック、24日はAブロックで聴いたが、それぞれのエリアの響きの違いと良さが実感できた。Aブロックでは弦楽器を中心にオーケストラの響きが生々しく伝わってきたし、最後のほうでは、ホール自体が鳴っている!と感じる瞬間もあった。一方、Dブロック後方で聴くと、全体がとても柔らかく混じり合った響きとして届いてくるのに加え、木管楽器(フルート、クラリネットなど)のソロはこちらのほうが厚みのある弦に埋もれずにしっかり飛んできていたように感じた。またホルン・セクション(若手中心に見えた)、金管セクションも輝かしい響きを作り出していた。スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団 Slovak Philharmonic Choir も情緒たっぷりの歌唱でスラヴ的な雰囲気をしっかり醸し出し、またカントゥス・ユヴェヌム・カールスルーエ Cantus Juvenum Karlsruhe の児童合唱団もチャーミングだった。

左より:Vladislav Sulimsky, Boris Pinkhasovich, Arsen Soghomonyan, Jevgenij Akimov,
Anatoli Sivko, Mark Kurmanbayev, Christophe Poncet de Solages

 ペトレンコのチャイコフスキーは、一言でいうと切れ味鋭いモダン・テイストの演奏だと思う。骨太な筆致でドラマを描くのはなく、細部の積み重ねによって緻密に築き上げていく。テンポはかなり速めで(ベルリン・フィルでないとこのテンポでは弾けないのでは、と思う箇所も!)、タメは少なく、緊迫感に満ちている。とりわけ第3幕の伯爵夫人(往年のドイツ人メゾ、ドリス・ゾッフェル Doris Soffel が存在感を見せた)の亡霊がゲルマンの前に登場するシーンのオーケストラは、背筋がゾクゾクするほどの迫力だった。

左:Doris Soffel 右:Kirill Petrenko

 その一方で、ペトレンコの歌手への配慮もとても細やかで、自分の後方に立っている歌手たちのほうをたびたび振り返りながらキューを出し、歌手と呼吸を合わせ、またオーケストラとのバランスを柔軟に調整、その舵取りの巧さはやはり長年歌劇場で培ってきたものだろう。
 つまるところ、ここに演奏会形式のオペラのひとつの理想形があったと言っても過言ではない。それは歌劇場でのプロダクションとはまた違うオペラの作り方であり、もちろん優劣の問題ではないわけだが、きわめて完成度の高い、緊迫感に満ちた《スペードの女王》を二日間にわたって体験することができた。

*4月24日の公演の配信がDCHでアーカイブ配信されていますので、ご興味のある方はぜひご覧ください(そしてぜひ昨年の《マゼッパ》も!)

ベルリン・フィルハーモニー 大ホールとカンマームジークザール ©Heribert Schindler

Biography
後藤菜穂子 Nahoko Gotoh
桐朋学園大学音楽学部卒業、東京藝術大学大学院修士課程修了。音楽学専攻。英国ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ博士課程を経て、現在ロンドンを拠点に音楽ライター、翻訳家、通訳として活動。『音楽の友』、『モーストリー・クラシック』など専門誌に執筆。訳書に『〈第九〉誕生』(春秋社)、『クラシック音楽家のためのセルフマネジメントハンドブック』(アルテスパブリッシング)他。
Twitter @nahokomusic