バンジャマン・アラール(チェンバロ)

フランスが生んだ古楽の名手がバッハと音楽人生について語る

 チェンバロやオルガンをはじめ、様々な歴史的鍵盤楽器を弾き分け、J.S.バッハの鍵盤作品全集の録音にも取り組み、その魅力的なプレイが話題のフランスの若き鬼才、バンジャマン・アラール。「クラヴィーア練習曲集2巻(フランス風序曲、イタリア協奏曲)」をメインに、フランス・イタリア様式の吸収・昇華に焦点を当てた、オール・バッハ・プログラムによるチェンバロ・リサイタルを、5月に東京で開く。

 「バッハと共に生きる時間を持つことが、アーティストとして、1人の人間として、非常に大きな意味を持っていると、実感しています。録音を進めていると、まるでバッハがすぐ横にいて、彼と共同生活をしている気分になるんですよ。探究心は絶えることなく、常に彼に質問を投げかけ、時に自問を続けることも、場合によっては『今は答えが出なくても、そのままでいいかも…』と考えることもありますね」

 全集録音は、2017年にスタート。1人の奏者が、オルガンとチェンバロを弾き分け、バッハの周辺を含めて、丹念に作曲家の成長を追うプロジェクトは画期的だ。聴き手も作曲家とともに成長していくような気分にさせてくれる企画といえるだろう。現在は、バッハのヴァイマール時代の作品を取り上げた第5集まで進行。「2028年頃、全19集で完結の予定ですが、たぶんスケジュールは押すでしょうし、内容的に広がりも見せ始めているので、第20集もあるかも…」と苦笑する。

 第5集では、初めてクラヴィコードも使用。アラールは、「素晴らしい点しか、思い浮かばない」と、この楽器への格別のこだわりを口にする。

「クラヴィコードは、本能的に弾かなければ…細工が一切できず、まるで裸になるように演奏しなければならない。ごまかしが効かないのです。バッハの次男エマヌエルは『クラヴィコードの名手なら、どんな鍵盤楽器も弾きこなせる』とも…。音の伝達は特別で、しかもソフト。私は少人数を相手にした演奏会も行っていますが、この楽器を弾くと、奇跡のようなことが起きる。かたや、チェンバロやオルガンは、実際に音がなくても、あたかも存在するかに思わせる“魔術”が、どれほど使えるかという技術にかかってきます」

 東京公演では、18世紀の名工ミヒャエル・ミートケによるチェンバロをプロトタイプに、オランダのヤン・カルスベークが2000年に製作したレプリカを使用。

 「これまで日本のステージで、何度か演奏した経験があります。とても良いチェンバロで、大好きです。よく知っている楽器で弾けるのも、嬉しいことですね」

 そして、当時の最先端だった、イタリアやフランスの音楽スタイルをバッハが体得し、自作に昇華させるまでを俯瞰する。

 「多くの人が『バッハは天才だった』と言いますが、どんな才能を持つ人も、必ず誰かから影響を受け、そこに自分のスタイルを創り上げていきます。同時代や先達の影響があり、そこに愛情や化学反応を見出して、独自のものを創り上げる…画家と同じですね。私自身も、他の演奏家の影響を受けつつ、演奏が変容し、成長できたのだと思いますから。そんなバッハの成長を、皆さんと共に疑似体験できれば、と思います。何より、それに相応しい、良い演奏にしなければなりませんが(笑)」

 フランス北部ルーアンの郊外で育った。
「街にあった18世紀のオルガンが、古楽器との出会いでした。自然とその音に“魅せられ”て、楽器を学び始めると、必然的にバッハの音楽も知ることに。興味を深めていくと、音楽に境界線はなく、オルガンが好きならば、鍵盤楽器のための音楽を丸ごと自分の内面に受け止めていくのが正しいだろうと…何の疑問も感じませんでした」

 そして、「04年のブルージュ国際古楽コンクールでの優勝が音楽家としてのキャリアを築くきっかけとなりました。でも、振り返ってみると、少なくとも音楽家になりたいとは思っていました。私の故郷は非常に田舎で、父は農夫、母は郵便局員でした。そんな環境の中で、両親はよく理解してくれていて、そんな自分の欲望に対して、私は葛藤を感じることは無かったと記憶しています。音楽を綴られることは喜びですが、この生活をきちんと自分なりのリズムで続けてゆくという難しさを、常に感じています」と言葉を重ねた。

 コロナ禍の中、一芸術家として感じることとは。
 「ずっと光を求め続けて、ようやく見つけられたかな、という段階です。このような時にも、お客様に演奏を聴いていただける自分は、非常に恵まれています。そのために、多くの人が手を貸し、頑張ってくれる。バッハが常に自分の傍にいてくれる。家族もいる。私は周囲の人々に恵まれています。こんなに感謝できるのは音楽のお陰だし、自分の使命とは、日々それを感じ、表現していくことだと思っています」

 そして、自分にとっての音楽とは「存在する意味を与えてくれるもの」と語る。
 「例えば、自然を見る、美しいものを感じる…心が救われることも多いですね。でも、それに留まらず、自分は音楽という存在を感じ、共鳴することに大きな意味を見出しています。もちろん、闘い続けるスピリットも持たねばならないのでしょうが、弾いている時はただ喜びに満たされ、自分の人生に意味を与えてもらっていると実感します」

 演奏家としての目標を「今はただ、“継続”することだけ」と言う。そして、「ソロもアンサンブルも、バランス良く取り組みたい」とも。「18世紀のバッハ周辺の作品を弾く機会が増えてきましたが、特にスカルラッティが気になっています。プーランクの『田園のコンセール』を録音する計画も。現代の新作の初演も、ぜひやってみたい。『やりたいことがある』ということこそ、何より必要だと思います」。柔らかに微笑んだ。
取材・文:寺西 肇
(ぶらあぼ2022年4月号より)

Profile】
1985年フランスのノルマンディー地方ディエップに生まれる。2004年ブルージュ国際古楽コンクール第1位および聴衆賞を獲得。07年ゴットフリート・ジルバーマン国際オルガン・コンクール(フライブルク)第1位およびヒルデブラント特別賞を受賞。チェンバロおよびオルガン奏者として、フランス、スペイン、アイルランド、ロシア、日本でリサイタルを行うほかヨーロッパの著名音楽祭に出演。シギスヴァルト・クイケンが1972年に創設したラ・プティット・バンドの通奏低音奏者としても活躍している。2005年よりパリのサン=ルイ=アン=リル教会の正オルガニスト。現在、ハルモニア・ムンディ・レーベルによるJ.S.バッハ 鍵盤作品全集の録音に取り組んでおり、最新版は第6集(平均律クラヴィーア曲集第1巻/CD3枚組)が3月下旬にリリース予定。

Information
バンジャマン・アラール チェンバロ・リサイタル
2022.5/11(水)19:00 浜離宮朝日ホール 
3/18(金)発売
問:朝日ホール・チケットセンター03-3267-9990 
https://www.asahi-hall.jp/hamarikyu/