ベルギーを拠点に活躍するフルート&フラウト・トラヴェルソ奏者で、たかまつ国際古楽祭芸術監督を務める柴田俊幸さんが、毎回話題のゲストを迎えて贈る対談シリーズ。モダンとヒストリカル、両方の楽器を演奏するアーティストが増えている昨今、その面白さはどんなところにあるのか、また、実際に古楽の現場でどんな音楽づくりがおこなわれているのか、ヨーロッパの古楽最前線にいる柴田さんが、ゲストともに楽しいトークを展開します。バッハ以前の音楽は未だマイナーな部分もありますが、知られざる名曲は数知れず。その奥深き世界に足を踏み入れれば、きっと新しい景色が広がるはずです。
第3回のゲストは、さまざまなアンサンブルで活躍中の管楽器の名手、三宮正満さん(オーボエ)、満江菜穂子さん(クラリネット)、福川伸陽さん(ホルン)。柴田さんとともに、木管五重奏団「レ・ヴァン・ロマンティーク・トウキョウ Les Vents Romantiques TOKYO」のメンバーでもあります。楽器についての研究が進み、さまざまな事実が判明する一方、未知の部分が多いのもヒストリカル楽器の面白いところ。古楽界をリードする彼らに、楽器のこと、アンサンブルの面白さ等、にぎやかに語り合ってもらいました。
♪Chapter 1 古楽器との出会い
柴田 まず、皆さんに古楽との出会いについてお話ししてもらいましょう。
僕の場合は、ドイツのオペラ座のオーケストラ・オーディションで2次まで行ったけどダメで。それでベルギーに帰ってきたら、たまたまアントワープの母校で、フィリップ・ヘレヴェッヘが「マタイ受難曲」をやっていて、それを聴いて初めて古楽に出会って、自分でも始めた。そういった形で、全然古楽を知らないところから、たまたま聴いたのがすごい良かったから、それで純粋に「やりたいな」ということで。それで、フィリップのオケで吹いていた1番フルートの人にすぐ電話して「会いたいです」って言いました。プライベートレッスンだけ受けて大学行ったんですけど、大学入ったときは古楽科があったのに、出るときは古楽科がなかったので、古楽を勉強したのに、もらったディプロマはコンテンポラリー・ミュージックだった。……ちょっと皆さん、笑ってくださいよ!(笑)
三宮 ごめん、無表情だからねぇ。マスクしてるからねぇ。
柴田 そもそも、三宮さんと福川さんの馴れ初め話って…。
福川 オーケストラ・シンポシオンです。
満江 へぇ〜、そうだったんだ!私も15年くらい前にシンポシオンで吹かせていただきました。
三宮 諸岡範澄さんが指揮している古楽オケで、そのときにホルンで急に若いのが来た。それが福川くん。いきなりうまいからビックリしちゃって。
福川 古楽器は初めてでしたよ。その時、初めてナチュラルホルンで仕事できる?って言われて。あのとき、何の楽器持ってたんだったかなあ。
三宮 ほぼ20年前なんかな。
福川 まったく覚えてないんですけど…ナチュラルホルン、自分のじゃなかったと思うなぁ。たぶん借りてきたと思う。モーツァルトのシンフォニーは、あんまり右手のオープン、クローズ使わないので、ある程度ほとんどオープンで行ける。ほとんどこっち(アンブシュア)のコントロールの問題だったのでそんなに難しくはなかったんですけど。その時の古楽のオケのスピード感とか、楽しかったですよ、とにかく。
古楽オケ特有の「他人が何やってるのかな」ということにパッと反応してアンサンブルするというのがすごい楽しかったのがずっと記憶にあって。その後、縁がなくて、しばらく古楽のオーケストラ、ナチュラルホルンからも離れていました。モダンをずっと吹いていて。ある時、鈴木優人くんと知り合ってから、バッハ・コレギウム・ジャパンのコンサートにたびたび聴きに行ったりして、合唱もオーケストラも本当に美しい。ピュアに聞こえてくるし、ディクションとかもすごいはっきり聞こえて。モダン・オケとは違う…
柴田 多様性の社会ですからね(笑) 違ってていい。
福川 それでどんどん惹き込まれていって。最近、バッハ・コレギウム・ジャパンはクラシカルなほうにも来てますけれども。僕が初めて聴きに行ったときは、もうずっとバッハのレパートリーをやっていて。当然バロックのホルンですよね。
柴田 「ロ短調ミサ」とかね、すごくいい曲ありますよね。ホルンが難しいヤツ。
福川 カンタータもすごく美しい二重奏とかコラールと一緒に演奏しているのもあって。CDもいろいろ聴いたりして、すごいなぁと思っていて。そのときに、そんなにホルンが難しくない曲で声をかけていただいたりしてました。そこからどハマリして。
柴田 別にもうモダンが嫌いになったからそっちに行くっていうわけではなくて、興味がそっちにどんどん向いていった…
福川 そうですね、広がった感じかな。それが、バロックとかクラシカルで吹いてたものが、モダンにすごく活きてきて。良い指揮者にはディスカッションしに行くんですね。例えば、ベートーヴェンは絶対狙ってストップノート(注:ベルの中に右手を入れ、その加減によって音程を変えるストップ奏法で演奏される音)を書いていて。そのストップノートもしっかり、なんて言うのかな、ほんわかしたものではなくて、ガチーンといく方のストップノートを書いてるから、「ストップでやらない?」みたいな話をしたら、そっちに興味ある人は「ぜひやって!」って感じで来るんで…。そういう意味ではめちゃくちゃ良い影響をモダンのほうにも与えてるし。それはすごく楽しいですね。
♪Chapter 2 中学2年からバロック・オーボエ!
柴田 三宮さんのところは、お父さんがすごかったと聞いてますけど…
三宮 うちの親父がアマチュアでバロック大好き人間だったんですよね。それで、子どもの頃からリコーダーの合奏をウチでやっているような環境で育ったんです。リコーダーは、そんなに好きじゃなかったんだけれども(笑)
柴田 「アウロス・リコーダーのお兄さん」でアウトリーチをやってはったと言ってたじゃないですか。
三宮 まぁね。僕が古楽の演奏会を聴いたのは、4歳のとき。コレギウム・アウレウムという老舗のドイツの古楽演奏団体が日本に来て。1975年だったかな、父親に連れられて行って。今じゃ考えられないでしょ、4歳の子がコンサート入れるなんて。そしたらウチの父親が「ああ、この子すぐ寝ますから」て言って。そのときに聴いてたのがバッハのオーボエとヴァイオリンのドッペル・コンチェルトで。それは毎晩ウチでもレコード聴いてたんですよ、僕は。そのコンチェルトが大好きで毎晩かけてもらって、結局擦り切れちゃって。また同じのを買ってもらって、未だにそのレコードはあるんですけどね。
それからずっとバッハをなんとなく好きで。中学生くらいになったときに父親が「なんか楽器やったら?」って言ってくれたときに、モダン・オーボエとバロック・オーボエの2つのレコードを聴かせてくれて、「それどっちがいい?」って訊かれて。「バロック・オーボエ」って言っちゃったんだよね。そしたら父親がニヤニヤしながら「まんまとハマったな」みたいな感じで。父親としては、自分たちのやっているアマチュアの合奏グループに入れたかったんだよね。一緒にやってほしかった。それから亡くなっちゃいましたけど、都響の本間正史さんのところに中2の時に行って習って、それから現在に至るわけです。そこははしょりますけど。
満江 中2からですか!
柴田 モダンに寄り道はしてないんですか?
三宮 しましたよ。ウチの父親が教員だったんですよ。高校の数学教師で。今は全然違うと思うんですが、昔は教員はヒマに見えたんですよ。つまり夏休み・冬休み・春休みって子どもと同じくらい休んでるんですよ。父親は都立だったので、日直で1日、2日行くくらい? だから夏休みってこんなに大人って休んでていいのかなって思って。それで、高校生になって進路のことを考えたときに、自分がなりたい職業は、教師になっちゃったわけ(笑)。教師になるための学校ということで武蔵野を選んで。その前にモダン・オーボエもできないといけないなってことで、少し本間さんに習って。モダン・オーボエは僕の場合はやってる期間は短くて。卒業したあとも本間さんに少し都響の定期とか、音楽鑑賞教室とかでエキストラで使ってもらいました。そのときに岡本正之さんもいらっしゃったんです。
♪Chapter 3 きっかけはモーツァルト
柴田 満江さんも両方吹けるんですよね?
満江 両方吹けるというか、私、ピリオド楽器での演奏を初めて聴いたのはすごく遅くて、大学に入ってからなんです。大学院で現代音楽に取り組んだあとモーツァルトのことをもう一度考えたとき、楽譜に書いてある作曲家の指示が現代音楽に比べて少ないので「昔のこともっと知りたい」と思って。だから「知りたい、知りたい」の一心で、ピリオド楽器に行き着いたという感じで。それからいろいろ聴いたり吹いたりしました。
柴田 それで留学もして?
満江 そうです。留学は本当にタイミング良くいろいろな出来事が重なって。私の大学院の修了演奏を審査してくださった有田正広先生が、ちょうど東京バッハ・モーツァルト・オーケストラの演奏会をされるときにクラリネット奏者を探していたんです。当時、私はまだピリオド楽器に触れたこともないのに、1年後か2年後の演奏会のメンバーとして誘ってくださって、それが初めてでした。吹いたのはモーツァルトの交響曲第39番でした。
その演奏会では、エリック・ホープリッチ(注:18世紀オーケストラなどでも活躍しているアメリカ出身のヒストリカル・クラリネットの第一人者)がコンチェルトのソリストを務めたのでそこでレッスンを受けることができて、その次の年からオランダに行くことに決めました。興味を持ったちょうどよいタイミングで師匠との出会いがあったのは運が良かったですね。
柴田 勉強されたのは、古典派、ロマン派までですか? その前はやらなかった?
満江 今やっと念願かなってシャリュモー(注:バロック時代に使われたクラリネットの前身とも言うべきシングルリードの楽器)に取り組むことができています。シャリュモーと、古典クラリネットの間のバロック・クラリネットをまだ持っていないのですが、いつかやりたいんです。
三宮 ぜひぜひ、やりましょう。
柴田 バロック・クラリネットってどういうレパートリーがあるんですか?
満江 ヴィヴァルディとか、テレマンとか。
柴田 楽器的にどんどん簡単になるぶん、難しいんですか?
満江 難しいかどうかはさておき、古典クラリネットとバロック・クラリネットは、キャラクターが全然違って、バロックのほうがもっとクラリーノ(注:小型のトランペット)っぽい上の音ばかり出てきます。
三宮 でもまぁ、シングルリードだから簡単だよね?
柴田 出た。ついに出た(笑)
満江 キーも少ないですが、昔のオリジナルのマウスピースは本当に小さくて。今のリードより幅も狭いし、小さくて短いですね。
柴田 リードの向きを上に向けて吹くのと、下に向けて吹くのって未だに論争がありますよね。アレ、どうですか?
三宮 当時の絵画でそうなってるんだよね?
満江 そう、最初の頃はたしかオーボエの人がクラリネットを吹き始めて、リードを上にくっつけて吹いていた…。そのうち、リードを下に付けたほうがいい音するんじゃないかって言った人がいて、上下両方いた時期もあったみたいです。
柴田 今は下に落ち着いたみたいなところ。
満江 最初に楽器を持ったときに上で吹いた人は上でもいいんじゃないかと思いますけどね。私はもうクラリネットは下にリードを付けるものとして最初に習ってるから、今から上に変えるのはすごく難しいですけど…。三宮さん、ぜひ上で。
三宮 いやいや、やっぱり難しそうなんで。
福川 上と下で音違うんですか?
満江 今、私が上につけて吹こうとすると全然違います。コントロールできない。最初に上唇を巻いてオーボエを吹くみたいに練習すれば、できるのかもしれない。クラリネットは下で吹くものだと思っちゃってる人間が変えるとなるとすごく難しい。
柴田 まぁ、トラヴェルソも一時期こっち(体の左側に構える人)いましたもん。M.ブラヴェとかもこっち吹いてますしね。ドップラー兄弟(19世紀に活躍したフルート奏者フランツ&カール・ドップラー)も、片一方は右側で吹いて、もうひとりは左側で吹いて。
福川 見た目的なところもあるよね?
柴田 兄弟でダブル・コンチェルトを吹くときにカッコイイからというのもあると思う。
三宮 世の中の管楽器、民族楽器含めてみると、歌口に近いほうが右手、遠いほうが左手で吹いている人たちもわりいるよね? インドとかトルコの人って。どういう理由か知らないけど。
柴田 確かに。右手が上で左手が下で…
三宮 トルコのズルナ(注:西アジア圏の代表的なダブルリード楽器)の人たちって普通に今でも右手上の人もわりといて。
満江 オーボエ、スワローテールのキィ(注:右手でも左手でも操作できるY字状のキー)ついてますもんね。
三宮 1730〜40年くらいまでは特に決まってないから、どちら側からでも押さえられるようになっている。
柴田 だからあんな姿なんですね。
三宮 そうそう。小指で使うキーの部分は、左手でも右手でも使えるしね。トラヴェルソは関係ないもんね、ぐるっと回せばいいもんね。
柴田 はい。ぐるって回しゃぁいいだけです。
満江 3年前くらいにオペラシティで聴いた海外のオケで、弦楽器を右手に構えて弾いていらっしゃる方がいました…
柴田 左手で弓を持って弾いている人、いますよね。
満江 そう、セカンド・ヴァイオリンの方で。「なんかいつもと見かけが違うな」と思ったら対称になっていて…!
福川 そうか、そうするとセカンドもちゃんとこっちに向くから…
三宮 セカンドの人みんな逆に持って弾けばいいんだよね。そうすると指揮者に聞こえない、聞こえないって言われなくて済む。大学でセカンド・ヴァイオリン科を作ればいいんだ。
福川 セカンド・ヴァイオリン科ね!(笑)
♪Chapter 4 ショームとオーボエ
柴田 バロック・オーボエの前身って何でしたっけ?
三宮 ショーム(shawm)ですね。13世紀頃に生まれて中世、ルネサンス時代に野外の音楽をやるための楽器で。1670〜80年あたりのリュリ(Jean-Baptiste Lully, 1632-1687)とかのオーケストラのときにようやく、ショームではない、我々が今バロック時代の演奏で使うようなバロック・オーボエという新しい楽器が出来ました。
柴田 3分割?
三宮 3分割のものがようやく作られるようになったのが1670〜80年くらい。オーボエという言葉自体はもうちょっと前からあるんだけれども、ショームとオーボエの中間のような楽器の期間が1650年前後にあって。未だに実は現物が残されていないので、どんなものがフィリドール(André Danican Philidor, 1652-1730)やリュリのオーケストラで実際使われたのか未だにちゃんとはわかっていない。なので、バロック・オーボエというと1700年以降になってしまうので、最初の頃というのはまだまだ研究の余地がある。
柴田 逆にショームとか前の楽器でフィリドールって吹けるの?
三宮 吹けないことはないけど、でもちょっと違うだろうね。スタイルはもちろん違う。ショームにもバロック・オーボエにも見えるような中間の楽器というのが、まあサンプルで1、2本ある程度。
柴田 具体的にショームとバロック・オーボエのキャラクターの違いを説明してもらえますか?
三宮 両方とも、いちおう野外で演奏できることになってはいるんですけど、ショームの場合は基本野外専用で。指穴もデカくて内径も太くて、大きな音が出るようなリードの設計になっているんですね。ところが、弦楽オーケストラと一緒に加わりたいとか、こぢんまりしたオーケストラになりたいとなったときに、内径を少し細くしたり、トーンホールを小さくしたりして、そして木の壁を薄くする。そうすることで音を柔らかくする方向にしたのが、バロック時代のオーボエということになった。結果、サウンドはショームよりもオーボエのほうが当然音が小さい。
柴田 三宮さんの音、あんなに大きいのに、まだ小さい?
三宮 それでも小さい。
柴田 三宮さんが、ショーム吹いたら?
三宮 もうめちゃくちゃデカい! なので、そこらへんが考え方が違うんだろうなと。もちろんオーボエの場合は、リードによっては大きな音も出せるし、すごく小さい音を出せるようなリードを作ればそのようにも演奏できるので、実際、室内楽、例えばリコーダーとトラヴェルソとやるトリオ・ソナタでも、リードを工夫すればできるというキャパシティを持ってる素晴らしい楽器ですね。
柴田 モダンのオーボエとバロックのオーボエのリードの作り方って根本的に違うんですか?
三宮 根本的には違わないです。ただ、サイズと張りが違うので、モダン・オーボエの場合は内径が細い分、トーンホールが大きいんですよ。だから圧をかけて吹くし、張りのあるリードが必要。ところがバロック・オーボエの場合は、内径が太くてトーンホールは大きくない。というと、楽器に抵抗があるんですね。つまり鳴らないんですよ。楽器が鳴らないからリードのほうでテンションを落としてあげて、フレキシブルなリードで吹いてあげないと。つまり、FとかB♭などフォーク・フィンガリングっていう、「鳴らない音」という風に言われている音が音階上にあるんですけど、その音を鳴らすためにはリードをフレキシブルにしてあげるっているのがポイント。そこが決定的に違うかな。もっと言うと、強いアンブシュアでバロック・オーボエを吹こうとすると、そういう鳴りにくい音は鳴らないで終わります(笑)。
満江 クラリネットもそうですね。
三宮 まぁね、フルートも木管の場合はたぶんそうですよね。
♪Chapter 5 ホルンの長い歴史
柴田 福川さんもしよかったら、ホルンがホルンになったときのお話を…
福川 ホルンはもう昔からホルンだった。角笛、そもそも角がホルンなので。何をもってホルンのレパートリーというのかってのがすごい難しくて。それこそ角を中くり抜いて、先っぽの尖っているところぶった切って口に当ててブーッと音が出ますっていうところから始まって、それが「信号に使えるんじゃない? 遠くの人との会話にできるんじゃない?」ってところで始まってるんで。もう起源はすごい古いです。
柴田 わからないくらい。
福川 それこそ草笛と似たようなものですよね、起源としては。
柴田 発音の仕方としてはすごいプリミティヴだと思うし。アンサンブルの楽器の一部として使われ始めたのは、だいたいどれくらいですか?
福川 まず角笛が、真鍮で、金属で作られたのが1600年代ぐらいで。金属で作られたものが、貴族のスポーツとしての狩で信号として使われるようになった、というのがまず楽器として、いわゆる近年の人が考える「昔のホルン」としてできたものかな。それ、今でもフランスで狩のホルンの大会みたいなのであって。もう10人くらいでぶわーーーって吹いてる…
三宮 一回見たことある!
福川 めちゃくちゃビブラートかかってる! 信じられないくらい。いま現代でそんなビブラートかかってるのって一個もないと思うんですけど、「れれれれれー」みたいな。信じられない速さ。
柴田 戦後すぐのアメリカのオーケストラみたい。
福川 もっと振幅すごい。よくあれで音ちゃんとつかめるな、というぐらいのビブラートなんですけど。
柴田 その楽器自体は、先ほど言った1600年くらいのものをそのまま使ってる?
福川 いや、現代の。
柴田 多少はモダンナイズドしてて。
三宮 もちろんバルブもピストンもない、巻いてあるだけのね。
福川 それもこうやって手をベルにも入れないで、楽器を高く掲げてだーんと吹いてるんですけど。ビブラートがなんでそれだけあるかっていると、大きい音を出すため。遠くまで聞こえさせるためという、狩で使ってた役割独特そのままなんですけど。それが1600年代の…今パッと出てこなくて忘れちゃったんですけど、何かのオペラで初めて使われたんですよ。その時の絵はベルを上に向けている。
柴田 真上? 天井の方に?
福川 でも、そのようにホールドするとマジで腕がきついんですよ。楽器をずっと支えているのが。たぶん、その絵は見た目カッコイイから記念写真みたいな感じでやったのかなって思ったりするんだけど(笑)
柴田 昔の絵画に書いてあることすべて信じちゃダメですからね。それは歪曲してるから。僕らがPhotoshopするようなものです。
福川 かもしれないですね。超ビブラートをかけて、今のホルンの音からはかけ離れているくらい甲高いというか、びゃーっという音なので。それこそ三宮さんがさっきショームのお話されてて思ったけど、そのまま使えないんですよね、オーケストラで。もちろん狩りの場面という鳴り物系の意味で使ってたんだったら大丈夫なんだけど、それが「もうちょっとオーケストラの中で溶け込むようにしよう」って風になってきた。その時狩りで使われてたから、肩にかけられるようなサイズだったのが、ちょうど今ナチュラルホルンくらいのサイズになっていて。楽器の長さは変わらないんですけど、小さくなっていて、ベルも少し内径が細くなったのかな。ベルもちっちゃくなったし。
柴田 なるほど。
福川 それでバッハの時代、バロックの時代は吹いていた。ある時、手をベルの中に入れたら音程変わるじゃんっていうのを発見した人がいた。それまでは口でなんとか頑張ってたり、穴を開けたり諸説あるんですけど、手を入れると音程が変わるのを発見した人がハンペルさんという人。その人が発見したとされているんだけど、まぁ同時多発的にいろんなところで起こっていただろうなと。それで、もうちょっと手を入れやすくて、いろんな調に対応できるという意味で、クルーク(注:付け替え用の管)のついたホルンが発明された。ベルは手が入っていろいろ音程を変えやすいようにちょっと大きく太くなりました。それで、モーツァルトとかハイドンとか、あのへんからそういうホルンに変わっていった。ずっとその当時、右手が利き手の人が多いから、右手でいろいろ音を変えるために、右手を出し入れしてたんですけど。バルブができた今になっても左手ばっかりを動かしてるのは、ずっと右手がこうやって入ってた名残です。本当だったらバルブは右で押さえていたほうが、さっきの話じゃないけど、理にかなってるんですけど。ホルンだけは利き手が中に入っているのはそういうことです。
柴田 クラリネットもそうかもしれないですけど、フルート以外は全部、もともと野外の楽器だったんですね。
三宮 フルートもでしょ? ファイフ(注:中世から使われていたピッコロに似た小型の横笛)とか。
柴田 ファイフはそうですけど。18世紀のフランス宮廷の厩舎の音楽隊(屋外で演奏した音楽隊、現在のブラスバンドのようなもの)の中にはフルート入ってなかったですし、あの頃はまだ宮廷の中でヴァイオリンと一緒に演奏していた。ハルモニームジークにはフルートは入っていない。そういった意味ではフルート以外の楽器って音デカいというところから楽器が進化していった…という流れがあるんですか? 今、直感的にそういう気がしたんですけど。
三宮 そうかもね。
♪Chapter 6 コロナ禍にシャリュモーにチャレンジ
柴田 それでは満江さん、シャリュモー(chalumeau)の話をもう少し聞かせてもらえますか?
満江 コロナ禍の間にシュリュモーを師匠のエリック・ホープリッチに作ってもらったんですよ。まだ演奏し始めたばかりだから、わからないことがいっぱいあるんですけど、実は音が意外と大きかったんじゃないかと推測してます。クラリネットができる前の楽器としてクラリネットと比べてしまうと、音が鳴らないし、確かに小さい音だけど、もしかしたら、クラリネットとは違う、鳴る音がしていた可能性もあるんじゃないかと思って、今いろいろ試してやってみています。
柴田 どうなんでしょうね。たぶんそれ、いま研究できるの満江さんしかいないんじゃないですか。
満江 いやいや(笑) 「シャリュモー」って、オーボエの祖先と言われるショームと語源が同じで、いつから存在した楽器かもよくわかってないみたいなんです。いま私が使っているシャリュモーの形の楽器がよく使われたのは1700年代後半のようですが…。もっと昔にはきっと似た名前のいろんな種類の楽器があって。クラリネットの音を小さくしたような音じゃなく、もっとビーーーー!って鳴るような音がしてたんじゃないかとか、いろいろ考えてます…
柴田 それは、なんでそういう音だと推測されたんですか?