
11月の山形交響楽団第329回定期演奏会では、山響ミュージック・パートナーのポストを持つ世界的ホルン奏者で指揮者のラデク・バボラークが、母国チェコの若手で組織した弦楽四重奏団「バボラーク・アンサンブル」、ブルガリアの新進ホルン奏者ビクトール・テオドシエフと一体となり、「バボラークと仲間たち/モーツァルト・ブラームスの名作で育まれる友情の響き」を奏でる。
バボラークは2018年から3シーズン山響の首席客演指揮者を務めた後、ミュージック・パートナーに就いた。毎年恒例の東京&大阪特別演奏会「山響さくらんぼコンサート」の23年公演でホルン“吹き振り”の協奏曲2曲の前後をスメタナ 交響詩「わが祖国」より第6曲〈ブラニーク〉、ドヴォルザークの交響曲第8番とチェコの名曲で固めた。指揮のテクニックの前にまず全身で音楽を伝え、メンバーから深い共感に満ちた響きを引き出した後、カーテンコールでは首席奏者だけでなく全員の間に分け入り、握手をして回った姿が印象的だった。初来日のときには19歳の少年だったが、今や立派なマエストロだ。

「日本でのキャリアの始まりは山形でした。1995年に『世界ホルンフェスティバル in やまがた』が開催されたのです。以来、山形は私が日本で最も好きな県となり、山響との共同作業も“お仕事”以上の友好的パートナーシップに発展しました。ミュージック・パートナーとして定期的に指揮、同じ顔ぶれの皆さんと“座付き”ソリストとしても色々な作曲家の曲をご一緒しながら音楽のコミュニケーションを深めるプロセスに最高の喜びを覚えます。
山響の持ち味はロマンティックで優美なサウンドです。首席あるいは常任指揮者との結びつきが世界でどんどん希薄かつ短期になる中、山響は良い指揮者たちと長期にわたる関係を築いてきました。日本人のメンタリティーもあるのか、オーケストラ全般に言えることですが、かつては首席奏者だけ突出、後ろの席次に行くほど音が弱くなる傾向がありました。それが過去数年で大きく変わり、強弱やエスプレッシーヴォ(感情表出)の振幅が広がり、どんどん面白くなっています」
バボラーク自身、オーケストラ奏者のキャリアが長かった。プラハ・フィルにはじまり、チェコ・フィルに2年、ミュンヘン・フィルに4年、バンベルク響に2年、ベルリン・フィルに8年在籍、サイトウ・キネン・オーケストラにも毎年参加してきた。ピアノと指揮の二刀流を貫くダニエル・バレンボイムらの下で指揮者への関心を深め、プラハ・アカデミーの指揮科に入った時は30代。
「すでにホルン奏者として、17年のオーケストラ経験がありました。プラハの指揮科ではシンフォニー、オペラ、合唱と3つの指揮分野で3人の先生に習います。私が重視したのはバトンテクニックよりも様式感やテンポをはじめとする音楽的内容の造型手段、リハーサルの進め方の習得でした。指揮はマラソンに似て、多くの経験を必要とします。地元の小さな楽団ならアンサンブルを一から積み上げて水準を高めることも可能ですが、サイトウ・キネンのような“スーパー・オケ”では即、結果を出さなければなりませんからね」

もう1人のホルン奏者、テオドシエフについてはこう語る。
「祖父も父もホルン奏者というブルガリアを代表する音楽一家の出身、13歳の時に私のマスタークラスを受講したのをきっかけに家族ぐるみの交流が始まりました。ビクトールはとても才能あふれるソリストでコンクール受賞歴も豊富、グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラでもしばしば首席を担い、キリル・ペトレンコの指揮でR.シュトラウスの『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』やチャイコフスキー 交響曲第5番のソロを立派に吹いています。オケだけでなくソロ、室内楽と多方面に広がる彼の才能をいち早く山形の皆さんに紹介しようと思ったのも、テオドシエフ一家との交流がきっかけでした」
どこまでも「世界の音楽ファミリー」を愛する好漢、それがバボラークの本質だ。
取材・文:池田卓夫
(ぶらあぼ2025年9月号より)
山形交響楽団 第329回 定期演奏会
2025.11/29(土)19:00、11/30(日)15:00 山形テルサホール
出演
ラデク・バボラーク(指揮・ホルン)
バボラーク・アンサンブル(弦楽四重奏)
ビクトール・テオドシエフ(ホルン)
曲目
モーツァルト:ホルン協奏曲 第1番 ニ長調 K.412/514 (386b)、
セレナード第6番 ニ長調「セレナータ・ノットゥルナ」K.239
ハイドン:2つのホルンのための協奏曲 変ホ長調 Hob.VIId:2
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 op.98
問:山響チケットサービス023-616-6607
https://www.yamakyo.or.jp

池田卓夫 Takuo Ikeda(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎)
1988年、日本経済新聞社フランクフルト支局長として、ベルリンの壁崩壊からドイツ統一までを現地より報道。1993年以降は文化部にて音楽担当の編集委員を長く務める。2018年に退職後、フリーランスの音楽ジャーナリストとして活動を開始。『音楽の友』『モーストリー・クラシック』等に記事や批評を執筆する他、演奏会プログラムやCD解説も手掛ける。コンサートやCDのプロデュース、司会・通訳、東京音楽コンクール、大阪国際音楽コンクールなどの審査員も務める。著書に『天国からの演奏家たち』(青林堂)がある。
https://www.iketakuhonpo.com



