2023 高坂はる香のピアノコンクール追っかけ日記 from テルアビブ 11
text:高坂はる香
── 今回、ルービンシュタイン・コンクールに挑戦することにしたのはなぜですか? ダブリン・コンクールや、ユトレヒトのリストコンクールでの優勝が続いているので、周囲には参加を止める方もいたと聞きますが。
ダブリン・コンクールやリスト・コンクールもそうでしたが、このルービンシュタイン・コンクールも、小さい頃から配信を聴き、先輩が受けているのを見てきた憧れのコンクールだったので、書類選考を通ったのなら行きたいと思いました。
確かに止められたりもしたし、いろいろ考えることはあったのですが、自分に正直に、素直な気持ちを大切にして受けようと思いました。
1次予選、とくに最初の「鬼火」を弾いたときは緊張していたのですが、そのあとにイスラエルの聴衆のみなさんに拍手をしていただけたことで、自分を思い切り表現できるかもしれないと感じたら、どんどん緊張が解けていきました。
── ファイナルはリストのピアノ協奏曲第1番を選びました。この作品のどんなところがお好きですか?
この曲は4つの楽章が続けて演奏されますが、本当にいろいろな場面が現れます。最初は強い意志や決意、炎のようなものを感じ、2楽章は、広い海、広い空のもとかもめが飛んでいるような所で、一人歌っているような音楽だと感じます。そこから3楽章、4楽章に進むについれてクライマックスに入っていくので、あとは突っ走るだけでした。とても難しいですが、楽しい曲です。
── ところで、ピアノを始めたのはお母様がピアノの先生だったことがきっかけだそうですね。
はい、3歳から母に習いはじめました。自分でも最初のことは覚えていないので、物心ついたときにはピアノを弾いていて、そのままここまできました。
── では自分からやりたがったというよりは、お母様の勧めで始めた、という感じですかね。
そうですね。ピアノは脳に良いというので、今思うと、小さい頃から習っていたことで脳の回転がよくなったところはあって、その面でもよかったなと思います。
── それから江口文子先生のもとで、現在まで学んでいるのですね。
はい、中学に上がった12歳を節目に、江口先生に習うことを決意しました。その頃は千葉に住んでいましたが、毎週末、神奈川まで片道2時間ぐらいかけて通っていました。
── 江口先生から、まだ中学生だった黒木さんが大雪の日にすごい時間をかけて学校にきたけれどレッスンの時間が終わってしまっていて、かわりに授業中の学生の前でピアノを弾いて帰った時の話をうかがいました。小さな女の子がうまく弾くから、みんなびっくりしていたそうですね。
あぁー、なつかしいですね! あの日は関東では珍しくたくさん雪が降って、高速道路が混んで、バスでの移動にすごく時間がかかってしまって。それでも「せっかく学校まで来たのだから何か弾いて帰ったら」と江口先生が言ってくださって、授業の時間をお借りして1曲弾いたんです。良い経験でした。
── たとえ大雪でも行くと決めたら行くというところに、このフワッとした雰囲気だけれど実は根性ある、という感じが表れていますよね。
なにか無我夢中で出かけていったような気がします(笑)。毎週、学校が月曜から金曜まであって土日にレッスンに行くことになっていたのですが、今度はこの曲を持っていこうと考えながら過ごして、週末がいつも楽しみだったんです。年齢を重ねるにつれて、弾きたかった曲や憧れの曲が弾けるようになっていくから、それがとにかく嬉しくて、その繰り返しでここまで来たように思います。
── それでは、ピアノが嫌になったことはないですか?
そうですね。挫折の経験は?ってよく聞かれるんですが、そういうのはあんまりなくって。自分にはピアノしかないとどこかでわかっていて、必死にやってきたように思います。
ピアノって結局はずっと自分との戦いだと思うのですが、そのなかで自分が成長していくことが楽しかったようです。良いときも悪いときもあるけれど、どちらにしても自分が成長できるということが、とにかく刺激的で楽しかったのだと思います。
── “自分との戦い”という意識があるということは、そうは言っても、やはりピアノを弾いていると大変なこともあるということなんでしょうか。
そうですね……やっぱりコンクールは大変ですし、コンサートのために新しい曲を勉強するのも大変です。でも、大変だと逆にやる気が出るとか、期日までに間に合わないかもしれないと思ったときこそ「やるぞ」という気持ちになるので、結局はそれが楽しいみたいです。
── それは何に関してもですか? それともピアノだけ?
たぶんピアノだけだと思います。勉強とか他のことについては、ダラダラしてしまうタイプなので(笑)。
── では、ピアニストになろうと決意した瞬間はとくになく?
そうですね、6歳のときに……
── 早い(笑)!!
そうですね(笑)、地域の小さなコンクールを初めて受けて、そこで偶然1位をいただいたとき、ピアノは自分に向いているかもしれないと思いました。
もともと3歳のときから、ピアノだけでなくクラシックバレエも習っていて、10歳でどちらか選んだほうがいいと言われたんです。バレエは大好きでしたが、一緒にバレエを習っていた妹がすごく上手で、自分は向いていないなと思ったので、ピアノのほうを選びました。
── なるほど、身近にたまたま比較する相手がいたことでピアノを選ぶことになったのですね。今もバレエはお好きですか?
はい、大好きです。大学院で伴奏法の授業があるのですが、声楽かミュージカルかバレエを選ぶということだったので、もちろんバレエを選びました。2年間習って、すごくいい経験になりました。
── そう言われてみれば確かに弾き姿を見ていると、体が柔らかそうで肩の周りも自在に動いているし、体幹もしっかりしている感じがしますよね。まさかのバレエ仕込み。
はい、ちょうどこの春大学を卒業したので、またバレエを習いたいなと思っているんです。ピアノってずっと座って弾いているから、体を動かして筋肉をつけるためにも、良いんじゃないかなと思って。
── 特に好きなバレエ作品は?
王道ですが、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』や『白鳥の湖』、プロコフィエフの『ロミオとジュリエット』は大好きです。私は韓国ドラマも好きなのですが、息抜きにしていることといえば、バレエか韓国ドラマ鑑賞です(笑)。
── ああいう素敵なラブストーリーが好きなのですね。
そうですね、ドラマティックなストーリーが好きです。感情移入しやすいタイプなので、見ながらいろいろな感情になって、すごく泣いたりします。泣くことがストレス解消になっています。
── その大きな瞳から涙がドバッと。
泣くときはすごく泣きます(笑)。
── なるほど、それでリストとかも好きなんですね。
ああー、確かに、情熱的なものとか、感情や物語があるものが大好きですね。
── あと、ピアニストはクラシック作品で自分の解釈を見つけないといけないと思いますが、そういう自分の音楽はどうやって見つけていくのですか?
それぞれの作曲家のスタイルをなくさずに、自分の個性をどう出したらいいかというのは、ずっと課題としてあります。でもそれを助けてくれるのが、やはり江口先生だと思っています。
例えばある作品を弾くと、「もっとやっていいんじゃない?」「やりたいことがあるでしょう?」と、私の中からいろいろなことを引き出してくださいます。でも、やっぱり作曲家を尊重すべきところでは、それを指摘してくださる。一人でやっているとその判別がつかず違う方向に行ってしまうこともあるので、やはり先生は偉大だと思います。生徒の個性を大切に、それぞれに合った表現を引き出してくださるので、門下生にもいろんなタイプがいます。
江口先生は、厳しいときもあるけれど、いつもやさしくふわっとした雰囲気があります。先生がいるとその場が和らぐ、不思議なオーラを持っている方です。ずっと謙虚で、感謝の気持ちと与える心を忘れずに生活していらして、本当に尊敬しています。その気持ちを私も忘れず、真摯に音楽と向き合っていきたいと思っています。
── ではこれからピアニストとして、どんな活動をしていきたいですか? 今、同世代には活躍しているいろいろなタイプのピアニストがいると思いますが、黒木さんが一番大事にしていきたいことはなんでしょうか?
今はありがたいことに、優勝したコンクールの褒賞でヨーロッパやアメリカでの演奏活動をいただいていますが、やっぱり日本でも活動していきたいと思っています。
あと、クラシックってよくわからないと思っている一般の方たちが入ってくるきっかけになるような、私を知ったことでもっと聴いてみたいと思っていただける、そういうピニストになりたいと思っています。この春に卒業して学生時代が終わるので、これから演奏活動を通じて世界を見ながら、どんなふうに活動していきたいかを考えていこうと思います。
── ちなみに留学などは?
特に考えていないです。やっぱり日本が好きですし、日本食が落ち着くので。もちろん演奏活動は世界でやっていきたいですけれど。
── ここまで日本で教育を受けてきてこうして国際的な舞台で評価されていることについて、感じていることはありますか?
日本というより、私が学んできた環境がすごく良かったということは感じています。江口先生には12歳の頃から、ピアノだけでなく、精神面についてもその時にあった助言をしていただいて、それがすごく大きかったように思います。やはり、その時の心の状態ってそのままピアノに出ますから。その意味で、私は他の日本の先生のことはわからないので、逆にどういう感じなのかなと思っています。
── そういえば江口先生が、「黒木さんは昔から、社会のためにピアニストとして何かしたいと言っている子だ」とおっしゃっていましたが、そういう意識もあるのですか?
そうですね。きっかけは、小学生のときに老人ホームで演奏する機会があったことです。そのミニコンサートを、認知症のおばあさんが翌日になっても覚えていてくれたらしく、お医者さんが「医学的には説明できないことをピアノと音楽が成し遂げた」とおっしゃっていたのです。その経験から、音楽の無限の力を信じるようになりました。
今はコンクールやコンサートで必死な毎日ですが、いずれは社会貢献できる人になりたいと思っています。私のコンサートを聴いて、その日落ち込んでたけれど明日は頑張ろうと思えたとか、誰かにちょっとした変化を与えられるような、人の役に立てるピアニストになりたいです。
♪ 高坂はる香 Haruka Kosaka ♪
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/