ヨーロッパ・デビュー15周年、初アルバムに込められた「冬の旅」への想い
ウィーン・フォルクスオーパーの専属歌手を14年務め、現在も同劇場を中心にヨーロッパで活躍するバスバリトンの平野和が、欧州デビュー15年にして初のCDをリリースする。2021年7月、東京・Hakuju Hallでの全曲演奏会に続いて挑んだのはシューベルトの「冬の旅」。その背景には、コロナ禍が大きく横たわっていた、と平野は語る。
「コロナ禍によって生活が遮断された結果抱いた孤独感や疎外感が、『冬の旅』の世界観に通じるものがあると感じました。ウイルスに覆われた世界が雪や氷に閉ざされた冬の世界と合致し、今ならば主人公の心情をストレートに表現できると思ったんです。それともう一つ、私に歌のイロハを教えてくださった恩師の末芳枝先生がコロナにより急逝されたことも大きかったです。死による人と人との別れを経験し、今こそ『冬の旅』を歌える、いや、今だからこそ歌わなければならないという使命感が芽生えたのです」
確かに、「冬の旅」の根底には常に「死」がある。コロナで大切な人を失うという経験をした平野にとって、改めて音楽を通して「死」と向き合うことは必要なプロセスだったのかもしれない。
「『冬の旅』は世界観としては暗いですが、暗いだけで終わるのではなく、その先にある何か、それは希望や憧れといったものだと思いますが、それを求め、伝えたくてシューベルトは作曲したのだと思います。そうした音楽の“真実”というものが、コロナ禍で荒んでいた自分の心に沁みてきました」
今回のCDは、非常に凝縮した表現の中から、曲のエッセンスが滴り落ちてくるように感じられるのが特徴だ。また、ライブ録音かと思うほど音楽に推進力がある。
「例えば1曲目〈おやすみ〉から4曲目〈氷結〉がひとつのまとまりとなり、5曲目の〈菩提樹〉で少し雰囲気が変わる、というように、24曲を何曲ずつかのまとまりと考え表現しました。そのため、まず全体のテンポ設定は通常より速めにし、曲間もまとまりの中では短くしています。こうしたアイディアは妻であるピアニストの小百合が出してくれました」
平野が初めて「冬の旅」に出会ったのは18歳の時。最初は100%は理解できなかったものの、その後自分で演奏していくうちに「冬の旅」の世界に入り込み、今やこの作品なしには自分の人生はありえない、というほど大きな意味を持つものになった。「自分の存在意義を示したいという大きな思いがこの録音になった」という言葉通り、平野和という歌手の核を作る音楽表現に接することができる。来る8月3日にはリート・リサイタルも決定している。平野和から当分目が離せなくなりそうだ。
取材・文:室田尚子
(ぶらあぼ2023年2月号より)
CD『シューベルト:冬の旅』
日本アコースティックレコーズ
NARD-5081 ¥3080(税込)
2023.1/21(土)発売