10月には、また人生で初めての経験をさせていただきました。新国立劇場でのチャイコフスキーの歌劇《エウゲニ・オネーギン》にオネーギン役のカバーキャストとして携わったのです。本キャストの皆さん、体調を崩すこともなく最後までお客さんに最高の舞台を見せてくれたので、本番で歌うことはありませんでしたが、カバーすることもまた簡単ではないとよく分かりました。
ずっとリハーサルを観ていて、本当に毎回感動しました。とても久しぶりにそこまで素晴らしいプロダクションを観ましたし、自分も少し関わることが出来てとても嬉しかったです! 凄くいい作品に仕上がったので、そのままでお客さんに観ていただきたくて、初日は特に客席から祈っていたので、舞台の上にいる皆さんより緊張していたかもしれません。
《オネーギン》は世界中にロシアオペラとして一番知られている曲なので、新しく演出することはとても大変だったと思います。チャイコフスキーの素晴らしい音楽だけではなく、プーシキンのテキストの韻文小説がリブレットのベースでもありますので。
私はリハーサルのときに、日本人に「プーシキンは日本だと誰に相当しますか?」と聞かれました。私は笑いながら「松尾芭蕉」と答えました。しかし、ロシアでは文化に関して「プーシキンは私達のすべて」と言われています。一番大事な詩人ですし、彼の作品から新しいロシア語が生まれました。次のドストエフスキー、トルストイなどはプーシキンのおかげだと思います。
この「オネーギン」は韻文小説としてだけでもとても素晴らしい作品で、「ロシアの生活の百科事典」と言われています。もちろん、19世紀の前半のロシア帝国の生活についてですが。そして元々韻文小説ですが、違う言葉に翻訳すると散文になったりもします。皆さん、ロシア語を勉強しましょう!(笑)
もちろん、小説とオペラは違っているところがあります。小説にはオネーギンへのタチヤーナの手紙だけではなく、オネーギンからの手紙もありますし、とても大事なシーンになっているタチヤーナの予言夢(オネーギンとレンスキーの決闘)は オペラにはないです。キャラクターの違いもあり、プーシキンにとってはタチヤーナの夫が重要ではないので彼の名前はテキストに出てこないのですが、チャイコフスキーはこの役を大事にしていたのでグレーミン公爵という名前をつけ、社会的にとても偉い地位の人という設定になりました。
この変更には理由があります。プーシキンの時代には妻の希望で離婚することは無理だったので、タチヤーナとオネーギンはお互いに愛しあうのですが、彼女は迷いつつも最後に夫のそばにいることにしました。オペラ版はプーシキンの原作から50年たって出来たもので、社会も変わっていて、離婚はまだ簡単ではありませんでしたが、出来るようになっていました。そのせいで、なぜオネーギンと一緒にならないのかが分かりにくかったのです。
そう思えば、トルストイの「アンナ・カレーニナ」はオペラと同じ年、1878年です。でもタチヤーナはカレーニナのようにはなれない。だからこそチャイコフスキーのグレーミンは素晴らしい人になってます。オネーギンの愛と自分が幸せになることを断るタチヤーナは純粋で強く、自分の意志で彼女を深く愛し彼女を天使のように扱うグレーミンを選びます。彼女の誠実な心が、彼への結婚の誓いを裏切れなかったのです。
今回のプロダクションのコンセプトは本当によかったと思います。演出家のドミトリー・ベルトマンさんは、セッティングを格調高いトラディショナルなものにして、一人一人のキャラクターを強めに出して、今のお客さんにもとても分かりやすく、一つひとつのシーンの意味がちゃんと届くようにしました。作品を大事にして、ストーリー、キャラクターの深い理解の上で演出することは最近では珍しいので、本当にいい舞台を観ることができるときには、チャンスを逃さず、充分楽しみましょう!