及川浩治(ピアノ)

ベートーヴェン5大ソナタに再び対峙する時がきた

©Yuji Hori

ベートーヴェンはバグだ!

 来たるベートーヴェン生誕250年イヤーに向けて、及川浩治が始動する。「不滅のベートーヴェン 5大ピアノ・ソナタ+エリーゼのために」と題し、前半に第8番「悲愴」、第14番「月光」、第21番「ワルトシュタイン」を配し、後半は「エリーゼのために」で幕を開け、第17番「テンペスト」と第23番「熱情」が続く。ソナタはいずれも通り名のある有名曲揃いだが、よく知られた作品であるがゆえに、ライヴで聴衆の心を動かすにはピアニストの力量が問われる。実はこのプログラムは、「ベートーヴェンは自分にとって一番大切な作曲家」と語る及川が、2013年にも披露し話題を呼んだものである。それから6年。今の及川はどのような心境で、これらの名ソナタと対峙するのか。

「子どもの頃から夜空を見上げるたびに、漠然と思い続けてきたことがあるのです。『この世の中のことはきっと何でも、何らかの数式で表すことが可能なのだろうな』と。そんなことを思い続けてきた僕に、優秀な物理学者の友人が、最近おもしろい話を聞かせてくれたのです。AIの技術が進歩し、人間と囲碁対決をするというようなニュースがありますが、実はAIが人間に勝った試合というのは、AIの側に何らかのバグ(誤動作)が発生している時なのだそうです。バグを修正したとたん、AIは人間に負けてしまうのだと言います。つまり、どんなに入念に組んだコンピュータープログラミングであっても、誰も予想のできない不確定なことが起こるということ。数式では表しきれない、不思議な原理が働くのです。
 その話を聞いた時、僕はこれがベートーヴェンの音楽だ! と思った。つまり、彼の音楽の中には、いつでも予測不能な要素があるのです。凡人には思いつかないような転調があり、動機のヴァリアントが続き、意外性のある楽章構成があり、驚くような要素に満ちている。ところが、ベートーヴェンのすごいところは、どんなに聴き手の意表をつくような展開を示しても、同時にそのいずれもが、『やっぱりそれしかあり得ない』と思わせる、究極に選び抜かれた音運びであるということなのです。典型的なのは、晩年に作曲された弦楽四重奏曲の『大フーガ』。あんなテーマをどうやってフーガとして完結させることができたのか。奇跡としか言えません」

理屈で解決できない聞きどころに溢れている音楽

 取り上げるソナタはいずれもベートーヴェンの中期までのもの。
「後期のより難解な音楽に入るまでのものですが、限られた音使いでありながら奥深さだけしか感じられない『月光』1楽章、音階とトリルだけでなぜあんなドラマが生まれるのかわからない『ワルトシュタイン』3楽章、執拗なリズム動機がなぜか執拗に感じられず、むしろ泣かせてくれる『テンペスト』3楽章など、理屈では解決のつかない聴きどころに溢れています。『5大ソナタ? 知っているよ』と思っている方々にも、いかに驚き、意表を突かれた! と思っていただけるか。それがこのプログラムの醍醐味かもしれません」

 ベートーヴェンの存在そのものが、音楽史上最大のバグなのかもしれない?! それでいて彼の一音一音は、どこも変更不可能なまでに洗練されている。矛盾するような事実を、及川の予測不能なまでにエネルギッシュな演奏で実感していただきたい。
取材・文:飯田有抄
(ぶらあぼ2019年10月号より)

及川浩治 ピアノ・リサイタル
2019.11/3(日・祝)14:00 サントリーホール
問:チケットスペース03-3234-9999
https://www.ints.co.jp/ 
https://www.koji-oikawa.com/
※全国公演の詳細は上記オフィシャルサイトでご確認ください。

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