エリソ・ヴィルサラーゼ(ピアノ)

ショパンはいかに自由に弾くかが難しいのです

C)K.Miura
 エリソ・ヴィルサラーゼと日本の音楽好きとの絆は、ここ数年のうちにもますます深まっている。この夏には小林研一郎指揮読響とベートーヴェン「ハ長調協奏曲 op.15」を共演、揺るぎない存在感をもって豊かな内実を示し、霧島国際音楽祭でも指導と演奏を行った。
 10月に故郷トビリシでの自身の音楽祭の後、11月にまた来日して、すみだトリフォニーホールで早くも3度目となるリサイタルを行う。今回のプログラムはシューマンとショパン。どちらもヴィルサラーゼが愛奏し、このホールでも聴かせてきた作曲家だが、少女時代から親近感を寄せるシューマンに対し、ショパンに入りこむのは長らく難しかったと語る。
 まずは得意のシューマンだが、2014年に同ホールで演奏した「交響的練習曲 op.13」、翌15年の「謝肉祭 op.9」から遡るようにして、今回は「ダヴィッド同盟舞曲集」、その前に「6つの間奏曲 op.4」を弾き、作曲家20代初めの作品に立ち戻っていく。両曲集とも小品の連作だが、全体の設計は大きく違い、「6つの間奏曲」には捉えどころのない難解さがある。稀代のシューマン弾きにしても、この秋初めて演奏会で弾く作品となる。
 「とても難しく、非常に稀有な、興味深い曲です。私にとっては、ほんとうに魅力的で、とても奇妙な作品」とヴィルサラーゼも言う。
「作曲年代は近いけれど、『ダヴィッド同盟舞曲集』が最後まで一本の道がある感じだとしたら、『間奏曲』はまったくつかみどころがない。未来への希望やエナジーもあるけれど、いろいろと模索していて、スケッチのような感触がありますね。最初期の作品なのに、シューマン晩年の音楽世界に属している感じもする」
 さて、ショパンは、バラードの第2番と第3番を中心に据え、3つのノクターンと6つのワルツを織りなしていく。ヴィルサラーゼがこの夏にかけて、じっくり練り上げたプログラムだ。
「バラードの2曲に、小品をいかに組み合わせるか。第1番から年代順に並べたり、ワルツ全曲をまとめて弾いたりすることは、私は嫌いです。バラード全曲演奏というのもばかげている。だから、混ぜ合わせるわけですが、調性の繋がりも含め、いかに有機的に組み上げるかが、しんどいけれど面白いのです」
 ショパンには難しさを感じてきたし、初めて弾いたのも「エチュード op.25-2」を弾いた14歳のときだったという。シューマンならコンチェルトを弾いていた頃合いである。
「祖母アナスタシアの影響も大きく、私からショパンは先に遠ざけて、モーツァルトをたくさん弾かせたのですね。ショパンの音楽における自由とは、演奏者が想像することのできない自由なのです。すべてショパンがつくったもので、それをいかに自由に演奏するかということが難しい。良い意味でシンプルに弾かなくてはいけないけれど、ショパンのシンプルさは非常に繊細なものですから。ネイガウスの名言を思い出しますね、『ショパンのマズルカを当世の素晴らしいホールで演奏するのは、《ベンヴェヌート・チェッリーニ》を大きなスタジオで聴くことと同じだ』。ぜんぜん聴こえないというわけです。そこも難しくて、現代の大ホールでは、とくに小品はかき消されてしまうことがある。時が経ってやっと弾けるようになってきましたが、私のショパン演奏はこれからも弾くたびに変化すると思いますよ」
 豊かに年輪を重ねつつ、さらに挑戦と変化を自らに期するエリソ・ヴィルサラーゼの現在が、この秋の再会でも親密に明かされることになるだろう。
取材・文:青澤隆明
(ぶらあぼ2018年10月号より)

トリフォニーホール・グレイト・ピアニスト・シリーズ 2018
エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノ・リサイタル
2018.11/27(火)19:00 すみだトリフォニーホール
問:トリフォニーホールチケットセンター03-5608-1212 
http://www.triphony.com/