高坂はる香のワルシャワ現地レポート 第16回
取材・文:高坂はる香
※結果発表のあと、採点表の公開後に行ったインタビューです
──審査員の採点表が公開されましたが、評価はさまざまで、先生方みなさん本当にそれぞれの基準で聴いていらっしゃることがわかりますね。
そうですね。それだけショパンにはいろいろな捉え方があるのだなと思いましたね。先生によって聴き方が違うというか、音楽が聴こえてきたときに何を大事にしているかが違うのでしょう。

──このコンクールは優れたピアニストというだけではなくて、優れたショパン弾きを探す場なのかなと思いますが、児玉さんは、優れたショパン奏者を見極めるうえでどんなところを重視していらっしゃいましたか?
ショパンの演奏においては、楽譜が唯一戻って確かめることのできるもので、そこからショパンが好んだベルカントの表現、ダンスなど、いろいろなことが伝わってきます。楽譜の読み取りの深さの土台の上に、捉えたものを総合して、コンクールというプレッシャーもあり、十分にリハーサルできないまま本番という難しいコンディションの中、感じたものをパーソナルに表現していかなくてはなりません。
ここはこういうテンポ、こういう「p」にしてほしいというショパンの想いは、全て楽譜に書いてあります。それをどう個々が読み取り、感じているか、その違いに興味を持って聴いていました。
今回は、みなさんがそれを忠実に表現しようとしていることは伝わってきたので、好意を持って聴かせていただきましたが、やはりその上に私が何かを感じるピアニスト、コンクールだということを、聴いているほうも、そしてたぶん弾いてる本人も忘れて、ただショパンの音楽を楽しめる、「ここにいてよかった、生きていてよかった!」と思えるというか、そんな時間を生み出せることが必要だったと思います。
──採点表を拝見すると、児玉さんはヴィンセント・オンさんに高い得点を入れていらっしゃいましたね。
はい、私も初めて聴いたピアニストでした。1次から緊張もあったと思うのですが、デリケートな表現をすると同時に、とても大胆なところもありますし、ショパンのエッセンスにできるだけ近づいて、それを自分なりに表現しようという姿勢を思い切って出してていました。その結果、一つひとつの瞬間が耳を離さないというか。クリエイティブで、でもただ新しいことをするためにそうしているのではなく、ロジカルな土台の上に自分の解釈を出せていると感じました。

演奏するということについて、英語だとplayとinterpretという2つの表現があります。例えばお医者さんも、検査で出た数値をどう自分で分析、解釈して説明するかをinterpretと言いますが、ヴィンセント・オンの音楽には、単にplayするのではなく、interpretするところがすごく出ていました。今もすでにすばらしいし、これからも発展しそうだと強く感じられました。とてもピュアなものが音楽とのつながりに感じられましたね。それで何度か最高点をつけています。
1次ではもう一人、エリック・グオにも最高点をつけました。繊細で、考え抜かれているけれど、とても自然に忠実に表現されていたのがすごくいいなと思ったのです。セミファイナルに進めなかったので残念でした。
──1位のエリック・ルー、2位のケヴィン・チェンは、どんなところが評価されたのでしょうか。
エリック・ルーのショパンはとてもノーブルで、詩的な部分も感じられましたし、やはりなんといっても経験が豊富、すでに出来上がった演奏家だというところが評価されたと思います。私は今回初めて生で聴きましたが、やはり経験が語るものを感じました。
ケヴィン・チェンは3年前にジュネーヴコンクールでも聴きましたが、彼ならではの、今の時代をとてもよく反映したショパンという印象で、とても興味深く聴きました。
──今の時代を反映したショパンというのは…?
そうですね…今の時代というだけでなく、彼自身のコンセプトと言えるのかもしれませんが、ショパンの感情的な部分を、良い意味でちょっとした距離感をもって表現していたと思います。技巧的に素晴らしいことは言うまでもありませんが、ショパンのエチュード op.10を全部弾くというプログラミングもあって、それが生かされていました。これも良い意味で、リスクを取りません。ただ、ガラコンサートの時には、また違った、逆に壊れやすい部分、柔軟性も見せてくれたので、それも興味深いと思いました。
これだけ弾ける方でオープンマインドな印象なので、まだ20歳とお若いですし、これから人間的にも音楽的にもいろいろ経験して、多くのことをバネに発展していくのだろうと思います。

──日本勢の印象はいかがでしたか?
桑原志織さんは音の豊かさがとてもすばらしくて、同じスタインウェイでも彼女が弾くと違って聴こえます。私は普段、「音そのものも大事だけれど、その音で何を表現するかこそが大事だ」とよく言うのですが、桑原さんの音を聴いたときは、彼女には、しっかりとした自分の考え、音のコンセプトがあるのだと感じられました。コンチェルトの初めのメロディから美しく温かみのある音を鳴らし、心の広い音楽を表現していて、また違うショパンの一面を見せてもらえました。
進藤実優さんはまた一味違って、とても想いを込めて弾いてらして、その想いが音楽にすごくよく表れていました。
牛田智大さんは、プレッシャーの中でも音楽に対してぶれない誠実さと愛情が強く感じられる演奏を聴かせてくれて、好感を持ちました。これからどんどん自由に羽ばたいてほしいです。また、山縣美季さんのナチュラルな演奏、1次の西本さんの思い切りの良さなども印象的でした。
今回は日本のみなさん、一人一人それぞれ独自の個性にとても強いものを感じました。これからも堂々と世界に進んでいっていただきたいですね。
──3位のワン・ズートン Zitong Wangさん、4位のリュー・ティエンヤオ Tianyao Lyuさんはじめ、中国系の活躍も目立ちました。
私はいつも、国籍や経歴、師事歴は考えないで聴くようにしていますが…年齢については、その後どう発展していくかを考えるうえで興味を持ちますけれど…でも今、中国でピアノやショパンに関心を持つ方が多く、教育熱心なことも手伝って、優れたピアニストが出てきていることは感じましたね。
セミファイナリストとなった16歳のウー・イーファン Yifan Wuさんも、音楽への真剣さ、心から湧き出る自然な歌心が感じられて心を打たれました。
今回は東洋人が多かったと言われていますが、東洋でもそれだけたくさんの人の心にショパンの音楽が届き、ファンが増えていることを、ショパンも喜んだと思いますね。

──ショパンコンクールへは審査員として今回が初めてのご参加でしたが、他との違いを感じるところはありましたか? 最終審査などすごく時間がかかって大変だったと思いますが。
これまで審査したコンクールは点数のみで結果が出るものばかりでしたから、今回、初めてディスカッションを経験しました。これだけ個性の違う審査員が17人も集まると、なかなかエネルギーがあるというか…いろいろな意見があって大変ですが、でもそれはそれでいいのではないかと思うんですね。それはつまり、いろいろなショパンがあって良いということでもありますから。そもそもそこに順位をつけるのは、とても難しいことです。
審査員によって、過去の演奏に比べて今どうかという見方をする方もいれば、私のように、今とこれからがどうなっていくかの方に興味を示すタイプもいますし、視点はそれぞれです。
他にこのコンクールならではの点があるとすれば、一人の作曲家に特化しているからこそ、その作曲家によせる想いの違いが評価にも表れると感じましたね。私はわりとニュートラルなスタンスを心がけていましたが…私も含め、みなさん自分はそうだと思っているのかもしれませんけれど(笑)。

──審査員の先生方はみなさん、大切なのはショパンの作品をリスペクトすること、楽譜をしっかり読むことだとおっしゃいますが、それでも結局みなさんの判断が違うとなると、それは、先生方それぞれ楽譜の読み方が違うということなのか、楽譜を読む感覚が違うということなのか、一体どういうことなんだろうなと考えるのですが…。
そうですね…楽譜を読んだうえで、表現方法の想像、音や音色の感覚、時間の使い方の感覚として、理想とするものが違うということではないかと思います。
私はわりとそういうところは自由に捉えて、自分が思っていたのと違う考えでも、ロジカルに読み取っていることが分かると評価して受け入れるほうなのですが、それぞれ求めるもの、期待するものが違うのだろうと思います。
音のコンセプトにもいろいろあります。マズルカならテンポが書いていなければいろいろな可能性があり、ダンスのコンセプトも人によって違います。
いずれにしても今後どう発展していくかは、入賞者一人ひとりの責任になっていきます。今はこうして順位がつきましたが、それぞれが今後発展するチャンスを得たということですから、また一つの出発だと思ってもらえると良いですね。
Chopin Competition
https://www.chopincompetition.pl/en
【Information】
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール2025 優勝者リサイタル
2025.12/15(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
2025.12/16(火)19:00 東京芸術劇場 コンサートホール
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール 2025 入賞者ガラ・コンサート
2026.1/27(火)、1/28(水)18:00 東京芸術劇場 コンサートホール
2026.1/31(土)13:30 愛知県芸術劇場 コンサートホール
出演
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール入賞者(複数名)、アンドレイ・ボレイコ(指揮)、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
他公演
2026.1/22(木) 熊本県立劇場 コンサートホール(096-363-2233)
2026.1/23(金) 福岡シンフォニーホール(092-725-9112)
2026.1/24(土)大阪/ザ・シンフォニーホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/25(日) 京都コンサートホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/29(木) ミューザ川崎シンフォニーホール(神奈川芸術協会045-453-5080)


高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/



