高坂はる香のワルシャワ現地レポート 第17回
取材・文:高坂はる香
※結果発表のあと、採点表の公開後に行ったインタビューです
──ちょうど数時間前、審査員の採点表が公開されましたね。
はい、移動中に時間があったので私も見たところですが、興味深かったです。基本的には予想している範囲内という印象でしたけれど。

──平均から離れた点数(±2点または±3点)の調整がわりと結果に影響している印象も持ちました。
そうですね。ただ私は統計のことは専門ではありませんから、このシステムに意見をするつもりはありませんし、結果にも賛同しています。“平均的”な結果を求めてとった手法ですから、効果はあったのでしょう。
4ラウンドの点数を異なる割合で統合したことも、理にかなっていたと思います。3次はソナタを演奏する重要なステージですし、コンチェルトと「幻想ポロネーズ」を演奏し、全ての総まとめとなるファイナルも、重要なステージです。
ただ、自分の感じたことを数字に置き換えるのはとても難しかったです。そもそも人をジャッジすることが得意ではないですね…自分は一体何者なんだと思ってしまうし。その意味で、コンクール中は基本的にずっと少し苦しんでいました。
そもそも私がコンテスタント側だったのはたった15年前で、記憶が鮮明すぎました。彼らがどれほど人生をつぎ込んで準備をしているか、どんなストレスを抱えているか。記憶がフラッシュバックする瞬間もあったほどで、だからこそ余計難しく感じたのかもしれません。
特に難しかったのは、ファイナルです。マラソンのような行程の最後、疲れ切っているなかで、最も難しい作品のひとつである「幻想ポロネーズ」と協奏曲を弾かないといけないのですから。しかも間近にオーケストラが座っている状況で、集中するのは難しかったと思います。
私のファイナルの点数を見てもらえばわかりますが、全体に一番厳しいポイントをつけることになりました。ファイナリスト全員にとって、このラウンドは難しかっただろうと感じられました。
──入賞者の印象をお聞かせください。各人どんなところが評価されたと思いますか?
彼らを順位づけするのは本当に難しいことでしたね。
まずエリック・ルーは、全ステージを通じて非常に高いレベルを保っていたことが結果に表れたと思います。10年前にも同じ舞台に立ち、一連の経験をしたうえで、今度はティーンエイジャーではなく大人として戻ってきたのですから、かなりの重圧があったはずです。その中で自分のやるべきことに集中した彼には敬意を感じ、結果を祝福しています。
ケヴィン・チェンは、以前のルービンシュタインコンクールの録音を聴いて、リストのロ短調ソナタに大変感銘を受けていたので、ここで聴けることを楽しみにしていました。すばらしい才能の持ち主で、まだ何かを模索している部分もあると思いますが、そこも含めて彼の演奏はとても気に入りました。
ズートン・ワンは自然な音楽性と純粋さを持ち、音楽的で、1次から際立っていました。ショパンのあまり知られていない曲を取り入れていたところもうれしかったです。
第4位のティエンヤオ・リュウもすばらしい才能で、ピアノの扱いがうまく、人柄も魅力的なピアニストです。
桑原志織は、私が1次で最高点を入れたコンテスタントの一人です。彼女の音は響きが豊かで、その音が大きな空間にしっかり届いていました。広いホールでの経験を積んでいることも大きいのでしょう。伝えたいパーソナルな想いがあることも感じられました。3次で演奏していたスケルツォ第3番がとても好きでしたが、ガラコンサート初日で弾いたものはより自由で、さらに好きになりましたね。

5位のピオトル・アレクセーヴィチは、知的でとても真摯な音楽家だと思いました。今年のポーランドの参加者はそれぞれ個性的で、心が動かされる瞬間がたくさんありました。カリスマ性にもいろいろな種類があって、ピオトル・パヴラックはあまり演奏されない作品を取り上げていましたし、イェフダ・プロコポヴィチの自然な音楽には、ショパンへの愛と情熱を感じました。彼らを聴けたことは刺激的な体験でした。
ダヴィド・フリクリが入賞できなかったことはとても残念でした。彼はすばらしい情感の持ち主です。
全てのファイナリストが賞に値する才能だったと思います。10代の頃、私のモスクワの教授はいつもこう言っていました。コンクールで幸せになれるのはたった一人、優勝者だけだと。これは真実ですね。
そしてある人が好きだといっても、ある人は真逆の意見を持つのですから、最終結果の集計には数学的アプローチが必要になってしまうのでしょう。

──特にファイナルは結果が出るまですごく時間がかかりましたもんね。
本当にね! そこまでは通過する参加者の名前が明かされないまま、点数の並びを見て最終決定を下していきましたから、ファイナル後が意見を言える初めてのチャンスで、ようやく何か言えるということであんなに時間がかかったのかもしれません(笑)。
一つ言っておきたいのは、世界中の人がショパンコンクールの結果を真剣に受け止めていることはわかりますが、みなさんには、コンクールを見守る立場として、誰かの演奏や決断に敬意を払ってほしいということです。
結果は、審査員の顔ぶれや運などの要素が絡み合って決まることです。それが例え個人の好みに合わなくても、賞を得た誰に対しても否定的なコメントをするのは適切でないと思います。なぜならそれはとても人を傷つけ、そのうえ結局、何も変えないからです。
これは私が自分の経験がフラッシュバックしたこともあって、言っておきたいと思いました。私は結果を尊重しますし、音楽を愛するコンテスタントはみんなそれぞれに自分の道を切り拓いてくれると信じています。感情的になりやすい状況の中でも、私たちはヒューマニティを忘れず、互いに敬意を持つことが大切だと思います。
──日本のコンテスタントで印象に残った方はいますか?
牛田智大の2次の演奏はとても好きでした。特にピアノ・ソナタ第2番のことはよく覚えています。とてもノーブルで、楽譜に密接に寄り添っていることが感じられました。
私たちが従うべき指針は楽譜に書かれたことであり、フォルテと記されていたらフォルテで演奏しなければなりません。なんとなく良く聞こえるからといって、適当に判断し、妥協をしてはいけません。ショパンは自分の音楽をどう演奏してほしいかわかっていて、その意図に正確に楽譜を書きました。

トモハルの演奏は楽譜に非常に忠実で、特にソナタでは格調高さを感じました。音もノーブルで美しく、よく響いていました。ステージ上での姿勢も、誇張されたジェスチャーや表情、何かの真似事のような動きはなく、音楽に集中していることがわかります。ファイナリストに入るだろうと思っていたので、結果にとても驚きました。
でも、繰り返しになりますが、成功はいつも複数の要素の組み合わせであり、時には運も関係しています。ちょっとした1ポイントの違いなど、どんな要因が影響したのかわかりません。
──では、最後に少し複雑な質問になります。このコンクールは単に優れたピアニストというだけでなく、優れたショパン奏者を求めていると思います。審査員に「良いショパン奏者とは何か」と尋ねると、ほとんどの方が「楽譜を尊重し、書かれていることに従って演奏すること」と言いますが、評価するピアニストはバラバラです。これってどういうことなのでしょうか。
そうなんですよね…私を含めた全員がこの考えを持っていてほしいと望んでいましたけれど。
ショパンを演奏していて感じるのは、彼は境界線上の作曲家だということです。ご存知のように、純粋な古典派の作曲家ではありませんから、楽譜に従いながらも、音楽の流れを表現しなくてはいけません。だからといって、「ロマン派の作品だから自由でいいんだ!」となりすぎるのも困りもので、やはり楽譜に書かれたことは注意深く読み込まなくてはなりません。
正直に言って私が感じたのは、単に「美しいと思うから」という理由で行われている表現も多くあったということです。
例えば「ここを少しだけ遅くしたら、自分が思っている感情が出るかもしれない…楽譜にはそうは書かれていないけど」と思って、そう弾いてしまう。するとそのほんの少しの変更によって、楽譜に残されたショパンの意図からかけ離れたものを生み出すことになるかもしれないんです。
ダイナミクスについても同じです。例えばソナタ2番の第1楽章の最初のテーマには、「フォルテ」と「ピアノ」というはっきりとした対比が書かれています。でもそれを“安全”のため、メゾフォルテとメゾピアノにしてしまう、あるいは両方を中間的な響きでまとめてしまうと、ショパンが望んだ表現を弱めてしまうんです。彼はここに心の叫び、絶望のような強い衝動、恐怖、内面にある何かの表現を求めていたはずです。それらをきちんと受け止め、理解したうえで演奏すべきだと私は思うのです。

書かれた通りでない“安全”な演奏をしようとする動機も、わかるんですよ…例えば、それによって技術的なリスクが生じ、音をミスすれば誰もが気づいてしまうから避けたい、というような。
でも私は聴き手として、音のミスは気にしません。それより、そこにあるべき怒りや爆発、その直後に訪れるべき内面の静けさを感じられないほうが、よほど気になります。特にこのソナタの最初のテーマは、ペダル、ダイナミクス、テンポが密接に絡んで成り立っている音楽ですから、それらのすべての指示をより丁寧に、注意深く守らなければならないと私は思うのです。
ただ、審査員によって「楽譜に忠実に」ということの感覚、レベルが違うというのは事実でしょう。私たちは同じことを言っていると思いますが、そこに込める意味が人によって違うかもしれないと、私は感じています。
楽譜を読むことには多少、算術的(arithmetic)な要素もあります。ただ、楽譜を読んで弾くという行為は、単に音を再現することではなく、目にしたものを理解し、感じ取って、表現するということです。
最初の行程は、考古学者のようなものです。楽譜を深く深く掘り下げ、手がかりを見つけることで、全体の姿が見えてくる。そこから先には、役者の仕事と似た要素が入ってきます。読んだ内容を理解し、作品も理解したうえで、自分の感情を込めることで、結果的に全く違った表現が生まれます。
同じ色を見ても、誰かはシンプルに白だと表現するけれど、ベージュと言う人もいるかもしれない。雪色だと言う人、カプチーノのミルク色だと言う人もいるかもしれません。
──それで聴き手は、その言葉の表現にその通りだと共感するときもあれば、何か違うなと感じるときもあると。
そういうことです。私自身、いつもその、掘り下げ、理解して、表現するという過程を経験しています。若いピアニストたちもそれを丁寧に続けてほしいですね。
ところで私自身、ショパンコンクールでの優勝の後、ショパンの曲だけを弾くことにならないように心がけましたが、2年ほど前、ふとまたショパンにもっと近づき、あの美しい音楽を演奏する時が来たと感じて、嬉しく思いました。その時、ショパンコンクールにはとてもすばらしく、前向きな意味があるということを改めて実感しました。
今回、審査員席でたくさんのショパンを聴けたことも、とても幸せでした。コンクールが終わった後もホテルに戻って、偉大な先人のショパンを聴いていたくらいですから。ショパンに飽きることはありません。
Chopin Competition
https://www.chopincompetition.pl/en
【Information】
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール2025 優勝者リサイタル
2025.12/15(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
2025.12/16(火)19:00 東京芸術劇場 コンサートホール
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール 2025 入賞者ガラ・コンサート
2026.1/27(火)、1/28(水)18:00 東京芸術劇場 コンサートホール
2026.1/31(土)13:30 愛知県芸術劇場 コンサートホール
出演
第19回ショパン国際ピアノ・コンクール入賞者(複数名)、アンドレイ・ボレイコ(指揮)、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
他公演
2026.1/22(木) 熊本県立劇場 コンサートホール(096-363-2233)
2026.1/23(金) 福岡シンフォニーホール(092-725-9112)
2026.1/24(土)大阪/ザ・シンフォニーホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/25(日) 京都コンサートホール(ABCチケットインフォメーション06-6453-6000)
2026.1/29(木) ミューザ川崎シンフォニーホール(神奈川芸術協会045-453-5080)


高坂はる香 Haruka Kosaka
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動。雑誌やCDブックレット、コンクール公式サイトやWeb媒体で記事を執筆。また、ポーランド、ロシア、アメリカなどで国際ピアノコンクールの現地取材を行い、ウェブサイトなどで現地レポートを配信している。
現在も定期的にインドを訪れ、西洋クラシック音楽とインドを結びつけたプロジェクトを計画中。
著書に「キンノヒマワリ ピアニスト中村紘子の記憶」(集英社刊)。
HP「ピアノの惑星ジャーナル」http://www.piano-planet.com/




