柴田 例えばニコルソンのフルート教則本を見ると、19世紀初頭には、ヨーロッパのフルート奏者たちによってポルタメントが一般的に使用されていたことが分かります。今日も移動の電車の中で、この演奏法は誰も使っていないという事実についてお話したかと思います。
ブラウン はい、他の管楽器でも使用が奨励されていました。1810年の論文で、フランツ・ヨーゼフ・フレーリヒ(注:ドイツの音楽学者・作曲家)は、「“いまどきの演奏家”になりたければオーボエ奏者やクラリネット奏者もポルタメントを使用すべきだ」と述べています。アン・デア・ウィーン劇場の指揮者であったイグナツ・フォン・ゼイフリード(Ignaz von Seyfried)の記録によると、ベートーヴェンはオーケストラの管楽器奏者を別室に呼び、ソロ部分での表現方法やルバートについて、またおそらくはポルタメントをどこで使用したいかについても話し合っていたようです。
柴田 話を戻しますが、当時のクラシック音楽家たち、そしておそらく現代の私たちも同じかもしれませんが、なぜクラシック音楽を「ハイソ」なものとして位置付けたいという欲求があるのでしょうか? その一方で、こうした姿勢が一部の音楽ファンに「クラシック音楽だけは聴きたくない」という理由を与えているようにも感じます。

ブラウン 録音技術の普及により、20世紀初頭には一般的にジャズと呼ばれるようになった「ポピュラー音楽」が、初めて社会のあらゆる階層で真の人気を博し始めました。それまでは、文化的な地位が低いフォーク音楽、ポルカやワルツなどの娯楽音楽、そして最も地位の高い「芸術音楽」がありました。それはちょうど、農民から貴族まで、人々がそれぞれの地位を持つ社会階層のようなものでした。20世紀前半には、「クラシック」の音楽家たちは「ポピュラー音楽」が自分たちの高尚な芸術家としての地位を脅かすのではないかと恐れていました。世紀後半には、こうした社会階層や文化階層に関する考え方は失われていきました。
柴田 なるほど。社会階層がなくなりつつある世の中で、クラシック音楽の立ち位置を考え直す時期だと個人的には思っています。
Chapter 9 古楽がクラシック界を救う!?
柴田 今朝、編集者と電話で話していたのですが、クラシック音楽界における権威、権威意識は徐々に消えつつあると思います。例えばカラヤンのような威張り散らす指揮者は、ヨーロッパではもう全く見かけません。
ブラウン その通りですね。
柴田 彼らは非常に独裁的な面も持ち合わせ、とてもフレンドリーとは言えない存在だったかもしれませんがが、日本でも多くの聴衆を惹きつけました。今日、日本でのクラシック音楽の聴衆はどんどん減っています。 ヨーロッパでも同じでしょう。
ブラウン ええ、同じです。
柴田 私も心配していることです。我々はどこに向かっているのでしょうか?
ブラウン 私たちも同じように懸念しています。指揮者について個人的な意見を言わせてもらうと、彼らは実際に行っていることに対してあまりにも目立ち過ぎていると思います。例えば、あるウィーン・フィルのメンバーから、指揮者のアイデアにはあまり注意を払っていないと聞きました。本当に心に響く演奏家が現れた場合、馴染みのあるレパートリーの演奏方法を少し変えることはあるでしょう。それ以外は、前の指揮者の演奏の時とほとんど同じように演奏するのです。

柴田 そんな中で、最近古楽系の指揮者が普通のオーケストラや管弦楽団の指揮台の上で、いわゆるクラシック音楽の王道のレパートリーを振っていることが多々あります。古楽はクラシック音楽業界を救うことができるのか、ということを聞きたかったのです。個人的な見解ですが、古楽復興運動の最初の世代が聴衆を大興奮させたように、クラシック音楽業界に貢献できると信じています。ちょっと大げさかもしれませんが…
ブラウン そうですね。物議を醸すようなところまで行かなければなりません。とにかく、物議を醸すような。新しさの発見!
柴田 博士も一番最初に、「誰もが新しいものを聴きたい」とおっしゃいましたよね。
ブラウン その通り。でも、聴衆は自分が何を聴きたいのか実はわかっていないのです。もちろん、伝統的な演奏やアーティストを聴きたい人もいます。保守派は常に存在しますし、前衛派もいます。この2つの間の緊張関係があるのです。
しかし、人気のあるものを作りたいのであれば、人々の関心を引き付けなければなりません。実際、もし本当に過去の作品を再現したとしても、多くの人々を怒らせることになるかもしれません。ただ、とてもいい宣伝にはなるかも…いや、でもそうなるかどうか、正直わかりません。私はとても悪いビジネスマンでしょうし(笑)
Chapter 10 ブラームスをどう演奏するか
柴田 ヴァイオリニストの佐藤俊介さんとの仕事についてお話いただけますか? 彼はブラームスの録音に参加したはずかと。
ブラウン ヨハネス・レールトウワーというオランダの指揮者が博士号を取得するための実技のプロジェクトがありました。ヨハネスはウィーンでヨゼフ・スークの弟子、20世紀半ばのいわゆる「伝統的な」演奏様式の学校に属していましたが、スークから教えられた「ルール」を修正したり、拒絶したりすることに常に前向きで、新しいことに挑戦したいと考えていました。ブラームスの交響曲と協奏曲に関する非常に価値のあるプロジェクトに取り組み、テンポの柔軟性について特に注目、また楽器や演奏様式についても考察したのです。そこに私がスーパーバイザーとして関わったのですが、そのときシュンスケがヴァイオリン協奏曲のソロを務めたのです。
柴田 羨ましい。彼は本当に素晴らしい芸術家で。
ブラウン はい。そのプロジェクトで彼と一緒に仕事をしたのです。また、コンチェルト・ケルンとのワークショップでも一緒に仕事をしたことがあります。
柴田 ワーグナーの《ワルキューレ》もですか?
ブラウン ええ、彼はオーケストラのリーダーとして演奏をしていたはず。ですから、最近では本当に多くのプロジェクトで関わりがあるのです。
柴田 ちょっと気になるのですが、現代のオーケストラによるブラームスの演奏で欠けている要素とは何でしょうか?
ブラウン そうですね、テンポはそのひとつです。例えばヴァイオリン協奏曲の第1楽章では、ブラームスがこの協奏曲を書いたヨーゼフ・ヨアヒムが指定したメトロノームのテンポに近づけるようにしました。ヨアヒムはブラームスから協奏曲を委嘱され、初演も行いました。ヨアヒムが指定した第1楽章のテンポは、現在一般的に聴かれるテンポよりもずっと速いものです。(ブラウン博士、テンポを歌う)
柴田 ダンスのような感じがします。流暢な感じ。
ブラウン ええ、すべてが流れるようです。それが私たちが目指していたことのひとつです。しかし、協奏曲ではオルガ・パッシェンコやシュンスケ、交響曲ではヨハネス・レールトウワーも、もっと速いテンポと柔軟なリズムを使用していました。オルガは、ブラームス自身のように、楽譜に書かれていないアルペジオを多用して、とても美しく演奏しました。 オーケストラの演奏スタイルのもう一つの側面は、表情豊かなポルタメントと、ごく限られたヴィブラートの使用です。これは、ヴァイオリン協奏曲におけるシュンスケの演奏にも当てはまります。 彼はポルタメントをとても美しく、説得力を持って演奏し、ヴィブラートは装飾として用いていました。もちろん、すべてをとても自然に聞こえるように演奏していました。
柴田 想像できます。彼は本当に素晴らしいアーティストです。
ブラウン 本当にそうですね。ヨハネスは、モダン・オーケストラよりも弦楽器を自由に演奏させていました。もちろんオーケストラのコンマスの素晴らしい仕事ぶりに大いに助けられました。最初のほうは、木管楽器奏者のリズムはかなり厳格なままでしたが、最後のリハーサルで、私はヨハネスに、管楽器奏者のソロをもっと自由に演奏させるべきだと伝えたのです。もちろん、彼はそれに賛成しました。私たちは管楽器奏者たちと取り組み続け、楽譜通りのリズムを正確に演奏するという染みついた習慣をなくさせることに成功しました。最終的には、彼らは本当に説得力のある演奏をするようになりました。ただ、この微妙なリズムの柔軟性の難しさは、現代の演奏家のタタタタタという演奏への慣れから来ているのです。
柴田 非常にしっかりとしていて、四角四面な感じです。
ブラウン はい、決してタ、タ、タ、タ、タ、タではありません。これはまったく違います。レコード初期のオーケストラの録音で聴くことができます。

柴田 しかし、そんなリズムの自由さを要求するなんて、指揮者にとっては非常に難しい仕事ではないですか?
ブラウン いいえ全く! なぜなら、現代のように厳密に一緒にいなくてもいいからです。音の非同期性(asynchrony)です!
19世紀のピアニストたちが和音をどのようにアルペジオで弾いていたか思い出してください。拍節の正確さは存在するでしょうか? 感じ取ることはできますが、音符の配置との関係で正確にどこにあるかを言うことは不可能です。ですから、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオを演奏する場合、ヴァイオリンとチェロは、このパルスの感覚を維持している限り、かなり自由に音符を配置することができます。もちろん、巧みに演奏する必要はありますが、絶対的な一体感という厳格さはありません。そして、そうあるべきではありません。管弦楽作品における管楽器のソロ演奏では、完璧に一緒に演奏する必要はありませんが、それで邪魔になることはありません。
ヨアヒムが1903年に録音した自作のロマンス ハ長調は、その素晴らしい例です。ピアニストは、ほぼ厳密に伴奏を演奏しますが、ヨアヒムが実際にテンポを変更した場合は、テンポに合わせて速めたり遅めたりします。しかし、ヨアヒムのリズムの柔軟性は、ピアノには一切関係なく行われています。
柴田 ここで話していることは、現代の多くの音楽家を当惑させると思います。でも、ライネッケがモーツァルトの協奏曲を演奏した録音は本当に好きです。これも例の一つですね。
ブラウン その通り、彼の左手は通常、通常の伴奏のように演奏している一方で、右手はリズム的に柔軟です。
柴田 まさにモーツァルトが手紙に書いた通りです。右手と左手の非同期。
ブラウン そうです、モーツァルトはそう言っていますが、やっている人は本当にいません。
柴田 確かに最近まで誰もやっていませんでした。そして、もしもやろうとすると、「モーツァルト弾き」として一世を風靡したライネッケがやっていたにもかかわらず、なんだか変なことをやっていると思う人が未だ大多数かもしれません。
ブラウン そうですね、ニール・ペレス・ダ・コスタ(注:オーストラリアの歴史的鍵盤奏者、シドニー大学音楽学部古楽科長)の新しいモーツァルトのピアノ協奏曲イ長調の録音を聴いてみてください。ライネッケの演奏に基づいており、おそらくオンラインで聴けるでしょう。彼はオーケストラと共演しています。聴く価値があります。
柴田 先ほどのライネッケの録音を実際に古楽オーケストラとフォルテピアノで実演してみた録音ですね。興味深い!
ブラウン ですから、表現力豊かな演奏の限界を押し広げようと本当に努力している冒険心あふれる音楽家は、今では世界中に数多く存在します。 演奏家の演奏スタイルも、聴衆の感性や期待も、過去をそのまま再現することは決してできません。 それは不可能なことだと私たちは知っています。 しかし、楽譜には記譜されていないにもかかわらず、当時期待されていた多くのことを歴史的な証拠から学ぶことはできますし、こうした表現方法を効果的に用いる方法も学ぶことができます。20世紀の教師たちから教えられたように、楽譜に厳密に従う「正しい」演奏は、「美しい」演奏への道のりの第一歩に過ぎないということを理解することが、私たちにとって本当に重要です。ヨアヒムが「生命のない音符」と表現したものを超える多くの演奏法は、「行間を読む」必要がありました。
Chapter 11 ストラヴィンスキーに物申す
柴田 対談インタビューの最後に、音楽におけるモダニズムの影響についてお話したいと思います。この古い演奏法は、モダニズムが起こったのと同じ頃に消え始め、あるいは断ち切られたのだと思います。以前、あなたはストラヴィンスキーの有名な「音楽は何ものも表現しない」という言葉に言及していました。そして、あなたはこれに強く反対しましたね。
ブラウン もちろん、私はそれに反対です!
柴田 わかりました。少しお話いただけますか。
私は常に、音楽は本質的に、本質的に何ものをも表現できないものだと感じてきました。音楽は純粋な芸術であり、その構造や形式を超えて感情や意味を伝える必要はなく、それ自体として経験されるべきものです
—ストラヴィンスキー
“ I have always felt that music is, by its very nature, essentially powerless to express anything. It is a pure art, and should be experienced for itself, without needing to convey any emotion or meaning beyond its own structure and form.” – Stravinsky
ブラウン はい。1800年代の終わり頃、おそらく1870年代から1880年代にかけて生まれた世代の人々です。ヴァイオリン演奏のスタイルとテクニックに革命をもたらしたカール・フレッシュは1873年生まれ、ピアノ演奏で同様の役割を果たしたアルトゥール・シュナーベルは1882年生まれです。彼らは20世紀初頭に起こったモダニズム運動の中心人物でした。モダニズム運動の歴史はあまりにも複雑で、芸術全般に影響を与えたものですから、ここで詳しく述べることはできません。この問題を掘り下げるには、とても長い本が必要でしょう。
柴田 …にしても、音楽は何も表現するものではない、というストラヴィンスキーの考えには同意しないということですね。
ブラウン 同意できません。音楽が存在してきたほとんどの時代において、音楽の第一の目的は何かを表現することだったと思います。それは感情(emotion)の表現であり、感情(feeling)の表現であり、聴く人に感興を呼び起こさせる手段です。バロック時代や古典派、ロマン派の作曲家たちは、まさにそれを直接的な目的としていました
そして20世紀ではどうでしょう?「ノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)」、つまり新しい客観性です。客観性、それはストラヴィンスキーが言っていたことと同じですね。何も表現していません。ただ起こっているだけです。おそらく興味をそそる、あるいは感嘆させることを意図しているかもしれませんが、聴く人の感情を動かすことを意図しているわけではありません。

柴田 たらればの話にはなりますが、この概念が音楽の作曲だけでなく演奏にも影響を与えたことは残念です。もしモダニズムが演奏法にそれほど影響を与えていなかったら、今の音楽家はどういう演奏をしていたのでしょうか?
ブラウン これはとても複雑な問題です。20世紀の演奏家のうち、表現よりも客観的に演奏していると考えている人がどれほどいたのか、私は非常に疑問に思います。 しかし、作曲家の楽譜は作曲家の演奏への期待と同義であるという、ますます影響力を強める単純な信念のために、音楽に内在する感情を表現する方法が制限されていると感じていたのです。
私にとって、1960年代と70年代には、音楽から受ける深い感情を表現する主な手段は、ヴィブラート(連続的な)と強弱の微妙な変化であったことをよく覚えています。それ以外の点では、楽譜は神聖不可侵でした。私はそう教えられてきました。時代考証演奏法(HIP)の研究は、素晴らしい発見の旅でした。徐々に、歴史的な証拠から、作曲家の意図を損なうことなく楽譜に付け加えることのできる、あるいは変更することのできるさまざまな要素が明らかになってきました。まず、20世紀まではヴィブラートやその他の震えるような効果は装飾的に用いられ、持続的な音の要素としては用いられていなかったこと、そして、感情と密接な関係にあるポルタメントは、私の祖父母の世代でもヴィブラートよりも重要な表現手段であったことが分かりました。その後、テンポ・ルバート、リズムの柔軟性、そしてこれらの慣習から生じる不可避的な非同期性は、20世紀の様式革命まで普通に行われていたという認識が広まりました。さらに最近では、少なくとも1830年代までは、特定の状況下では、演奏家は作曲家が書いた楽譜に、カデンツァに限らず作曲者によって音符として記譜された部分についても、適切な判断のもとで、音符を追加することが許されていた、あるいは期待されていたと確信するようになりました。ただ…もっともっと早くに、これらのことを知っていればよかったと、ただただ悔しく残念に思います。
柴田 博士が発掘してくださった宝の山を受け継いで、演奏でアウトプットしていくのは我々次の世代の音楽家の使命です。長い時間、本当にありがとうございました。さあ、神田の美味しいカレーを食べに行きましょう!

クライヴ・ブラウン博士 Dr. Clive Brown

クライヴ・ブラウンは、1980年から1991年までオックスフォード大学音楽学部で、その後2015年に退職するまでリーズ大学で教鞭を執った。現在、リーズ大学の応用音楽学名誉教授であり、2017年にオーストリアに移住して以来、ウィーン国立音楽大学の客員教授として教えている。オックスフォード大学およびリーズ大学では、主に歴史的演奏実践を専門とする多数の博士課程学生の指導を行った。現在も、ウィーン国立音楽大学およびライデン大学で歴史的演奏の博士課程学生の指導を行い、ウィーンでは、器楽奏者および歌手向けに古典派およびロマン派の演奏実践も教える。
主な著作には、『ルイ・シュポーア:批評的伝記』(1984年、改訂ドイツ語版2009年)、『古典派およびロマン派の演奏実践 1750-1900』(1999年)、『メンデルスゾーンの肖像』(2003年)がある。また、歴史的演奏実践やその他のテーマに関する多数の論文も発表。『古典派およびロマン派の演奏実践』の改訂版第2版は、2023年現在、オックスフォード大学出版局から刊行準備中。
柴田俊幸 Toshiyuki Shibata

香川県高松市出身のフルート、フラウト・トラヴェルソ奏者。大阪大学外国語学部中退。ニューヨーク州立大学卒業。アントワープ王立音楽院修士課程、ゲント王立音楽院上級修士課程を修了。ブリュッセル・フィルハーモニックなどで研鑽を積んだ後、古楽の世界に転身。ラ・プティット・バンド他の古楽器アンサンブルに参加。2019年にはB’Rockオーケストラの日本ツアーでソリストを務める。2022年には鍵盤楽器の鬼才アンソニー・ロマニウクとのデュオで「東京・春・音楽祭」「テューリンゲン・バッハ週間」などに招聘されリサイタルを行ったほか、2024年6月にはNHK BS『クラシック倶楽部』に出演。2017年より「たかまつ国際古楽祭」の芸術監督を務める。現在、パリ在住。
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