音響設計者が語るミューザ川崎 後編
INTERVIEW 小野朗(永田音響設計)

小野朗さん

2004年7月に開館したミューザ川崎シンフォニーホールが今年で20周年を迎えた。1997の客席がステージを360度取り囲むデザインが特徴的な同ホール。東京交響楽団の本拠地であり、その音響は、故マリス・ヤンソンスが「最愛のホール」、サー・サイモン・ラトルは「世界最高のホールのひとつ」と語るなど、多くの音楽家から愛されている。
音響設計を担当したのは永田音響設計。国内では、サントリーホールや札幌コンサートホール Kitara、京都コンサートホール、国外ではロサンゼルスのウォルト・ディズニー・コンサートホール、ハンブルクのエルプフィルハーモニーなど世界の名だたるコンサートホールを手掛けている。
ミューザのアニバーサリーを記念し、音響設計に携わった専門家へのインタビューを実施。後編には、天井や壁などの詳細設計を担った小野朗さんが登場。このホールの名物企画・オーケストラの祭典「フェスタサマーミューザ KAWASAKI」が開催中の8月、小野さんに話を聞いた。

取材・文:潮博恵
写真:編集部

—— 小野さんは豊田さんから音響設計を引き継がれましたが、どの段階から関わったのでしょうか?

 ホールのらせん状のデザインや座席レイアウトの基本的な部分は既に決まっており、天井や壁の細かな形についてコンピューターを使いながら実施設計をまとめていくところから担当しました。その後ホールが完成し、東日本大震災後の改修から現在までずっとミューザ川崎に関わっています。

—— ミューザ川崎は白いリボンのようならせん状のデザインが印象的です。ホールは左右対称のデザインが多いと思いますが、非対称であることは特別な難しさがありますか?

 左右対称だと半分だけ設計すればよいのですが、非対称だと全部の形を考えなければいけません。特に天井が三角形の組み合わせになっているので、一つの面の角度を変えるとそれに関係する3つの面の角度も変わってきます。一方が良くても他方がダメだということが出てくるので、それらを全部一つひとつ検証していく必要があるのです。これはコンピューターがなければできない作業ですね。

—— 舞台を囲む壁や客席の壁の表面には様々な角度や深さの溝(リブ)がありますが、これは音響面でどのような効果があるのでしょうか?

 例えば石のようにつるっとした表面だと音の反射がすごくきつくなります。リブを表面につけるのは音を拡散させて強い反射を和らげる狙いがあります。方法は必ずしもリブに限らず、刀で彫ったようなデザインのホールもありますが、こうした意匠は建築家が決めます。ミューザの場合、舞台の横の一部だけはリブがなく、屏風のような形の壁になっています。これは音響の模型実験をやったときに、その場所からの反射音が舞台上でエコーになったためです。リブがあるとどうやってもそれが消えなかったのですが屏風のような形にしてみたら消えたので、今の形状になりました。

提供:ミューザ川崎シンフォニーホール

—— ミューザでコンサートを聴くときに、音響の面からこんなことに着目したらもっと楽しめるというアドバイスはありますか?

 一つひとつの壁や天井の面から音がお客さんのところに来るようにつくられていますので、聴いているときにどこから音が来ているかを意識してみると面白いのではないでしょうか。意識して聴いていると、あの辺から音が来ているとか後ろの方から来ている、楽器による違いなどが直感的にわかります。最初は弦楽器のような持続音よりも打楽器のようなパルス音の方が方向性を感じやすいかもしれないですね。

 床に着目すると、舞台の床は下が空洞になっています。舞台の床から客席の床へ振動が伝わっていくのですが、客席の床も下はコンクリートではなく空洞です。空洞があることで、特にコントラバスやチェロのような低音楽器やオルガンなどは床から足へと低音の豊かさがプラスされて音が伝わります。このように意識して聴くことを続けると、ミューザの音響について自分なりの面白い見解が見えてくるんじゃないでしょうか。

—— 建設時の印象に残っているエピソードはありますか?

 建設工事の施行者が現在の都市再生機構(UR)だったのですが、当初その設計部門には音響設計があまり理解されていませんでした。でもURの再開発事業全体を統括している部門の一人の職員が「コンサートホールなのだから音響が一番大事だ」と主張して、内装管理業務として予算を別に立ててくれたのです。それによって私たちは週に1、2回ずっと現場に通うことができましたし、パイプオルガンや、すぐ近くを走る鉄道の振動対策などの分科会にも参加することができました。もしこの職員がいなかったら「ただ図面どおりにつくればいい」ということになって、我々はあまり関われなかったと思います。

—— ミューザのレジデント・オーケストラである東京交響楽団とのやりとりで印象に残っていることはありますか?

 ホールができたとき、いつも豊田さんが言っているように「ステージのひな壇を上げて演奏してください」と川崎市とフランチャイズ提携を結ぶ東京交響楽団にアドバイスしました。ひな壇を使うことによって音がまとまって前に出てくるからです。けれどそれまでの演奏の形態を変えることには抵抗があって、当初は「何でそんなことをやらなきゃいけないんだ」という反応でした。でもそれから2年くらい経ったとき、当時の副楽団長に「2年経ってやっと言われていることがわかりました」と言われたのです。時間はかかりましたが、わかっていただけてすごく良かった。もっとも今でも音響設計者としては、東京交響楽団はもうちょっとひな壇を上げた方がいいとは思っていますが。

東京交響楽団 (c)T.Tairadate/TSO

—— ホールがオープンしてから音響が素晴らしいという評判がだんだんと積み重なっていきましたが、つくり手としてそれらの反響をどう受け止めていましたか?

 最初の大きな反応は、2004年の11月にサイモン・ラトルがベルリン・フィルとミューザで公演して、終演後に「(ホールの音響を)つくった人を教えてほしい」と尋ねて来たことでした。そこで楽屋へ会いに行ったところ、翌日ベルリンのホールの関係者からメールがきて、「相談したいことがあるのでベルリンに来てほしい」との内容でした。ちょうど豊田さんがドイツにいたので、早速ベルリンへ向かって彼らと話をすることができたのです。このように具体的なコンタクトがあったことで、本当にミューザの音響がよいと評価しているんだなと思いました。ラトルはミューザの音響について、編成の小さな曲でも大きな曲でも同じように舞台に音が適度に返って来て反応がよいとコメントしていました。彼以外にもマリス・ヤンソンスやヴァレリー・ゲルギエフなど、影響力のある音楽家から評価されたことが大きかったですね。

—— 最後にこれからのミューザに期待していることをお聞かせいただけますか?

 ミューザはいつも積極的にいろんなことをやろうとする姿勢が素晴らしい。ハード面だけではなくソフト面でも他にもっとどういう使い方ができるのかということを常に考えているので、明るい未来があるなと見ています。やはり公共のホールであるということが大きいし、それゆえの難しさもあるでしょうが、これからも常に新しいものを盛り込んで更新し続けていただきたい。我々もお役に立つことがあれば何でもさせていただきたいなと思っています。


【Profile】
小野朗/Akira Ono

東京都出身。1980年日本大学大学院理工学研究科建築学専攻科博士課程前期修了。同年、永田穂建築音響設計事務所(現/永田音響設計)入社。現在、同社取締役副社長。
これまでに、紀尾井ホール、神奈川芸術劇場、那須野が原ハーモニーホール、よこすか芸術劇場、福井県立音楽堂、兵庫県立芸術文化センター、ロームシアター京都、富山市オーバードホール、札幌文化芸術劇場hitaruなどのコンサートホールならびに劇場の音響設計を担当。2019年「サントリーホールの施設運営を通じた長年にわたる音楽文化への貢献」で、日本建築学会賞(業績)を受賞。

ミューザ川崎シンフォニーホール
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/muza20th/