私とミューザ 第1回
ユベール・スダーンが振り返るミューザ川崎の20年

ミューザ川崎シンフォニーホールの開館20周年企画第2弾は、ホールゆかりの指揮者たちへのインタビュー。トップバッターはユベール・スダーン。開館した2004年から2014年まで、ミューザを本拠地とする東京交響楽団の音楽監督を務めたマエストロは、慣れ親しんだホールの節目に何を思うのだろうか?

「最高のHOMEを授かった東響は本当に幸運でした」

取材・文:池田卓夫(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎)
写真:編集部

 ミューザ川崎シンフォニーホール20年の歴史はフランチャイズオーケストラ、東京交響楽団(東響)とともにある。オランダの指揮者ユベール・スダーン(1946~)もまた、2004年に東響第2代音楽監督(2014年以降は桂冠指揮者)に就いて以降、ミューザ川崎シンフォニーホールを日本での指揮活動の「最重要拠点」に位置付けてきた。スダーンと川崎市の“なれそめ”は2003年。「音楽のまち・かわさき」構想を推進、ミューザの建設を決めた当時の阿部孝夫市長が姉妹都市のオーストリア・ザルツブルク市を訪れ、モーツァルテウム管弦楽団の首席指揮者だったスダーンに協力を要請したのがきっかけだった。

「阿部さんとの素晴らしい出会いによって、最高のホールを舞台にした大きな友情の物語が始まったのです。東響との縁はもう少し早く、1997年が最初の共演でしたから、もう27年が経ちました。当時の練習場は非常に狭く、スペースの確保自体が大変でしたが、ミューザ川崎シンフォニーホールという世界クラスの楽団に匹敵する本拠地を得たことで、お互いの音を聴き合えるようになったのが大きな進化の第一歩でした」

2004年10月、ミューザ初登場となった名曲全集の第1回公演
(c)堀田正矩

 スダーンの初来日は1975年。
「29歳でした。最初に声をかけてくださったのは札幌交響楽団正指揮者だった岩城宏之さんです。22〜23歳の頃、母国のハーグ・レジデンティ管弦楽団で岩城さんのアシスタントを務めたのですが、私がブザンソン国際指揮者コンクールに入賞すると岩城さんが札響へ、同コンクール出身の先輩である小澤征爾さんが新日本フィルハーモニー交響楽団へと同時に招いてくださって日本デビューが実現、最初に共演したソリストはピアノの中村紘子さんでした。武満徹さんとも知り合いました。その時の新日本フィル事務局長、松原千代繁さんは岩城さんの義兄弟。現在、私のマネジメントをしているヒラサ・オフィスの松原健さんはその息子さんですから、すごい話です」

 1980年代末からしばらくの間、日本と疎遠になっていたが、東響の田村勝副楽団長(当時)が1997年に初共演を持ちかけた。その縁が2002年の川崎市と東響のフランチャイズ契約を機に、前述のザルツブルグ・コネクションへ結びついたのであった。1997年以降は東響だけでなく札響、広島交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、兵庫芸術文化センター管弦楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢、愛知室内オーケストラなど日本全国の楽団をコンスタントに指揮している。

「修行時代、オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団のアシスタントだった時のシェフはジャン・フルネさんです。フルネさんは92歳の引退演奏会を名誉指揮者になられていた東京都交響楽団と行いました。私と日本のオーケストラとのお付き合いにも、まだまだ先がありそうで、もはや“運命”ととらえています」

 半世紀近い客演歴を振り返り、日本のオーケストラ界全体の水準向上にも目をみはる。

「音楽教育の改善が目覚ましく、若い楽員の多くは欧米での経験も豊かで、全国すべてのオーケストラが本当に良くなっています。東響でも20年前にはテクニカル面の厳しいトレーニングが必要でした。今日、彼らは『音楽とは何か』を深く理解しています。今週(註:インタビューは2024.6/7)はベートーヴェンの交響曲第4番と第6番『田園』を演奏しましたが、リハーサルは正確さよりも音色やフレージングに重点を置き、非常に楽しく興味深いものでした。私が2010年に始めた『モーツァルト・マチネ』のシリーズが今も続き、ジョナサン・ノット現音楽監督とともに更なる発展を遂げているのも喜ばしいことです。2005年に始まったフェスタサマーミューザ KAWASAKIでも指揮する機会を授かり、光栄でした。全国各地の楽団が『東京公演はサントリーホール』と目指すなか、東響はベルリン・フィルやウィーン・フィルも訪れる素晴らしいホールに事務局まで含めたホームを構え、リハーサルから本番までじっくりと音を磨けるのですから、幸運以外の何ものでもありません」

2006年のフェスタサマーミューザ KAWASAKIにて
(c)青柳聡
2010年、モーツァルト・マチネ第1回の様子
(c)堀田正矩

 スダーンが「ミューザの20年」を語る時、2011年3月11日に発生した東日本大震災でホールの天井仕上げ材が落下した事件を外すことはできない。
「その瞬間、オーケストラは東京オペラシティ(東京・初台)でゲネプロ中でした。私も東響の音楽監督として『一刻も早く(川崎に)帰宅しなければならない』と考えていた矢先、落下の一報が入り、『なぜミューザだけが』と悲しくなったのを覚えています。それでも東響は代替の演奏会場で音楽を奏で続け、2013年4月1日のリニューアル・オープンに漕ぎ着けました。音楽を軸とした街づくりを続け、工業から文化の街に変貌した川崎を誇りに思います」

 最近は中国にも客演する。
 「上海や北京で指揮をするようになって4〜5年です。いくつかのコンサートホールは非常に立派な建物ですが、フランチャイズのオーケストラをはじめとするコンテンツではまだまだ、ミューザ川崎シンフォニーホールと東響の達成した水準には及びません」と、ここでも“川崎愛”のテンションはセンプレ・クレッシェンド(一貫して増大)の様相を呈した。今年10月には民音主催の東京国際指揮者コンクールで5度目の審査員も務めるなど、スダーンの日本での活動範囲はミューザと東響を軸に広がり続けている。


【Profile】
ユベール・スダーン/Hubert Soudant

現在、東京交響楽団桂冠指揮者他を務めるユベール・スダーンは、ブザンソン国際指 揮者コンクール優勝、カラヤン国際指揮者コンクール第 2 位などに輝き、その後、フランス国立放送フィル、ザルツブルク・モーツァルテウム管の首席指揮者、東京交響楽団音楽監督などを歴任。ヨーロッパの主要なオーケストラからも招かれると共にオペラの分野でもパリ、パルマ、パレルモ、ボローニャなどのオペラハウスで精力的に 活動。2004 年 7 月、ザルツブルク市名誉市民およびオーストリア・ザルツブルク州ゴ ールデン勲章を授与されている。

ミューザ川崎シンフォニーホール
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/muza20th/