モーツァルトへの愛と尊敬をたどる2週間
文:小宮正安
一つクラシック音楽の世界に限らない。ジャンルを超えた音楽の世界そのものにとって、モーツァルトは言わずと知れたスターである。しかも「スター」と聞いて往々にして想像されがちな近づきがたさよりも、親しみやすさに溢れている…。つまるところ、「愛されキャラ」に他ならない。そんな、愛されるスターとしてのモーツァルトに焦点を当てたのが、今年の草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルだ。
掲げられたテーマもずばり、「モーツァルト―愛され続ける天才」。モーツァルトの手による作品はもちろん、そのメロディを用いて他人が手掛けた二次創作、さらに彼を愛した同時代人や後世の音楽家の曲など、お馴染みのものはもとより、そうでないものもずらりと並んだ多彩なプログラムが特徴だ。しかもその選定にあたっては、オーストリアを代表する世界的音楽学者オットー・ビーバ(8月26日におこなわれる講演会にも登壇)のアドヴァイスを得て、というのだから、比類ない充実度となっている。
白眉といえるのが、「魔笛ミサ曲」(8月25日)。冒険や恋、哲学やお笑いなど、様々な要素をごった煮にしたような筋書を、モーツァルトの魅力的な音楽が優しく包み込んだ大ヒット・オペラ《魔笛》のメロディを借用しながら、そこに敬虔な宗教的歌詞を当てはめた作品のようだ。しかも「作曲者不詳」というのがさらに謎めいているが、ヨーロッパでもすっかり忘れ去られてしまったこの秘曲、いや珍曲が日本初演される。これまでも草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの特徴であり、また伝統でもあったプログラミングのセンスが、遺憾なく発揮されている。
もちろん、スタンダード・レパートリーにも事欠かない。約2週間にわたっておこなわれる会期中、ほとんどの演奏会で、オーケストラ曲から室内楽曲、独奏曲から声楽曲に至るまで、モーツァルトの人気作品が必ず1曲以上取り上げられる。特に、8月23日(カール=ハインツ・シュッツによるフルート四重奏曲第1,2,3番)、8月27日(カリーン・アダムとアントニー・シピリのヴァイオリン・ソナタ)、8月28日(シュロモ・ミンツが奏でるヴァイオリン協奏曲第4番)は、すでに書いた8月25日と並んで、モーツァルト尽くしのひと時を体験できる。
対照的に凝ったところでは、あえてモーツァルトの曲を1つも登場させない回も。ただしそうすることで、モーツァルトへの道と、モーツァルトからの道を逆に窺い知れるという、心憎い企画である。前者に相当するのが、草津には初登場となるエンリコ・ブロンツィのチェロ・リサイタル(8月20日)で、こちらではモーツァルトに直接/間接の影響を与えたバッハ父子などの曲が演奏される。後者はカール=ハインツ・シュッツの出演するフルート・リサイタル(8月24日)で、シェーンベルクやジョリヴェの作品が取り上げられるだけなく、かつて草津でこのシェーンベルク作品の伝説的演奏を成し遂げたピアノ界の重鎮、ブルーノ・カニーノが共演する点も聴きどころだ。
そうなのだ、「共演」という点において、これまで同様、今年も草津は独自の魅力を発揮している。普段聴くことのできないような、トップ・アーティスト同士の組み合わせだからこそ実現可能なアンサンブルの妙。しかも彼らは、これまた草津の特徴である「アカデミー」の講師として、日本の若い奏者たちに自らが音楽家として培ってきた経験を伝えるべく、世界各地から来日を果たしている。つまり日中はマスタークラスや公開レッスンをおこない、その後、やはり講師として草津に集った音楽家たちとリハーサルをおこない、その妙技を演奏会で披露している。
つまり、演奏会用の単なるドリームアンサンブルというだけにとどまらない、スーパーティーチャー集団だからこその特別な演奏のひと時なのだ。コロナ禍を経て、「演奏会をライブで聴く」ことの意味が今まで以上に問われる中にあって、それに対する一つの鮮やかな答えに他ならない。他にも、オペラからの引退を宣言したアンゲリカ・キルヒシュラーガー(8月26日のリサイタルではモーツァルトの身近にいた作曲家を取り上げる、丹念に作り込まれたプログラムを披露)、ヴァイオリン界のレジェンド、シュロモ・ミンツ(8月18日のリサイタルでは昨年に続きブルーノ・カニーノと共演)をはじめとするビックネームが「お馴染みの顔」として草津へ帰ってくるのも、この催しの大きな特徴である。
2010年以来、音楽監督を務めてきた作曲家の西村朗が急逝した中(8月17日のオープニング・コンサートは彼のために捧げられ、遺作となった「ピアノとオーケストラの『神秘的合一』」が、群馬交響楽団常任指揮者であり生前西村氏が厚い信頼を寄せていた飯森範親の指揮でモーツァルト作品と並んで演奏される)、44回目を迎える草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルも一つの曲がり角を迎えている。だがそれは、新たなスタートの瞬間にも他ならない。「愛されキャラ」モーツァルトのように、草津ならではの風情に溢れた湯煙と雄大な自然に囲まれながら、この先どのような道が開けてゆくのか。それを占う上でも、目が離せない今夏の草津である。
【Information】
第44回 草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル
モーツァルト―愛され続ける天才
2024.8/17(土)~8/30(金) 草津音楽の森国際コンサートホール
8/17(土)16:00
オープニング・コンサート/
西村朗追悼/西村朗:ピアノとオーケストラのための「神秘的合一」(遺作)
飯森範親(指揮) 群馬交響楽団 カール=ハインツ・シュッツ(フルート) 高橋アキ(ピアノ) クラウディオ・ブリツィ(オルガン)
8/18(日)16:00
シュロモ・ミンツ&ブルーノ・カニーノ デュオ・リサイタル/
メンデルスゾーン:ヴァイオリン・ソナタ
シュロモ・ミンツ(ヴァイオリン) ブルーノ・カニーノ(ピアノ)
8/19(月)10:30
子どものためのコンサート
8/19(月)16:00
クリストファー・ヒンターフーバー ピアノ・リサイタル/
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ「テンペスト」
クリストファー・ヒンターフーバー(ピアノ) カリーン・アダム(ヴァイオリン) 他
8/20(火)16:00
エンリコ・ブロンツィ チェロ・リサイタル/
イタリアの名手が奏でるバロックから現代作品
エンリコ・ブロンツィ(チェロ) ブルーノ・カニーノ(ピアノ) クラウディオ・ブリツィ(チェンバロ)高木和弘(ヴァイオリン) 般若佳子(ヴィオラ) 大友 肇(チェロ) 他
8/21(水)16:00
室内楽/モーツァルトを尊敬したベートーヴェンの名曲
トーマス・インデアミューレ 若木麻有(以上オーボエ) 高木和弘(ヴァイオリン)
クリストファー・ヒンターフーバー(ピアノ) 伊藤公一(フルート) 般若佳子(ヴィオラ) 他
8/22(木)16:00
室内楽/アントニー・シピリのシューベルトとモーツァルト
アントニー・シピリ 高橋アキ(以上ピアノ) 伊藤公一(フルート) 高木和弘(ヴァイオリン) 般若佳子(ヴィオラ) 他
8/23(金)16:00
室内楽/カール=ハインツ・シュッツが紡ぐモーツァルトのフルート作品
カール=ハインツ・シュッツ(フルート) カリーン・アダム(ヴァイオリン) 百武由紀(ヴィオラ)
エンリコ・ブロンツィ(チェロ) トーマス・インデアミューレ(オーボエ) 他
8/24(土)16:00
カール=ハインツ・シュッツ フルート・リサイタル/
シェーンベルク:ソナタ シュッツとカニーノによる待望のプログラム
カール=ハインツ・シュッツ(フルート)、クラウディオ・ブリツィ(チェンバロ)、ブルーノ・カニーノ(ピアノ)
8/25(日)16:00
合唱とオーケストラ/
魔笛ミサ曲(日本初演)とモーツァルトの協奏曲
カリーン・アダム(ヴァイオリン) 般若佳子(ヴィオラ) エンリコ・ブロンツィ(チェロ) カール=ハインツ・シュッツ(フルート)
飯森範親(指揮) 草津フェスティヴァル・オーケストラ
天羽明惠(ソプラノ) 日野妙果(アルト) 小貫岩夫(テノール) 栗山文昭(合唱指揮) 草津アカデミー合唱団
8/26(月)16:00
アンゲリカ・キルヒシュラーガー メゾ・ソプラノ・リサイタル/
サリエリ、シューベルト、ベートーヴェンとモーツァルト
アンゲリカ・キルヒシュラーガー(メゾソプラノ) アントニー・シピリ(ピアノ)
8/27(火)16:00
ポピュラー・コンサート/モーツァルトの室内楽の夕べ
~遠山慶子に捧ぐ
アントニー・シピリ(ピアノ) カリーン・アダム(ヴァイオリン) 般若佳子(ヴィオラ)
エンリコ・ブロンツィ(チェロ) 四戸世紀(クラリネット)
8/28(水)16:00
オーケストラ/
シュロモ・ミンツの奏くモーツァルトの協奏曲
シュロモ・ミンツ(ヴァイオリン) 飯森範親(指揮) 草津フェスティヴァル・オーケストラ
8/29(木)16:00
ピアノと室内楽/
モーツァルトからベートーヴェンへ
クリストファー・ヒンターフーバー(ピアノ) トーマス・インデアミューレ(オーボエ)
四戸世紀(クラリネット) クァルテット・エクセルシオ 他
8/30(金)9:30
スチューデント・コンサート
8/30(金)16:00
クロージング・コンサート/
モーツァルト:グラン・パルティータ ―T.インデアミューレ
トーマス・インデアミューレ 若木麻有(以上オーボエ) カリーン・アダム(ヴァイオリン) 般若佳子(ヴィオラ)エンリコ・ブロンツィ(チェロ) 四戸世紀(クラリネット) 他
問:草津夏期国際音楽アカデミー事務局03–5790–5561
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