INTERVIEW 沼尻竜典(指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽監督)

アニバーサリー当日、作曲家ゆかりの地で奏でる《夕鶴》

取材・文:高坂はる香

—— 神奈川フィルは昨シーズン、セミステージ形式の《サロメ》が好評を博し、今年はその第2弾として團伊玖磨《夕鶴》が上演されます。

 團伊玖磨生誕100年の誕生日である4月7日に、彼の故郷、横須賀で《夕鶴》を上演し、その魅力を多くの方に届ける意義は大きいと思います。

 このオペラは1952年の初演以来、何百回も上演されてきました。日本人におなじみの「鶴の恩返し」を元にした一幕のオペラで、弧を描くように最初から最後まで緊張が保たれながら物語が展開していきます。オーケストレーションのうまさが光り、ハープとドラムで表現される「はた織り」のシーンなどは圧巻です。全国各地から上演依頼が殺到した理由がよくわかります。

 会場のよこすか芸術劇場もすばらしい。團さんは生前「横須賀に来てごらん、ミラノのスカラ座が建ってるよ」とおっしゃっていたそうで、彼の助言もあってできた劇場です。もしこの劇場が横浜にあったら、神奈川フィルがオペラを演奏する機会は相当増えたでしょうね。都内からは少し遠いかもしれませんが、音楽ファンにはぜひ一度その雰囲気を体験してほしいです。

沼尻竜典

—— 沼尻さんが《夕鶴》を振るのは初めてだそうですね。

 僕が《夕鶴》をやってみたいと思っていた20代の頃は、團さんがご自身で振っていらしたのでチャンスがなくて(笑)。世代的にも彼とは個人的な接点はあまりなく、オーケストラの練習場で入れ違いになってお話しさせていただいたことがあるくらいです。

 ただ、中学生の頃、團さんが当時『アサヒグラフ』で連載していた「パイプのけむり」というエッセイが、僕のクラスですごく流行ったんです。単行本として二十数巻になる長期連載で、誰が持って来たのか、それが学級文庫にありました。大人向けの内容でしたが、日常を普通と違った角度から観察しているのが子どもには面白かったのか、彼独特の斜めに物を見るスタンスがクラスに浸透していました。

—— ちょっと面倒なクラスのような(笑)。

 そう。理由もわからず先生は大変だったと思いますが、團さんが原因だったわけです(笑)。

 彼は、庶民にはまだ高嶺の花だった海外旅行も頻繁にしていましたから、世界を自分の足で歩いて感じたことも書き残しています。例えば、「日本のカレーはネチャネチャしたものばかりだ。インドの鮮やかな緑や赤のカレーを日本人に食べさせたい」なんていう話もありました。おそらく緑はサグカレー、赤はバターチキンカレーのことでしょうが、当時は日本で本物のインドカレーを食べられるところなどほぼありませんでしたから、中学生の僕は、一体どんなカレーなんだろうと思いました。大人になって初めてインドカレーを食べたときは、團さんの文章を鮮烈に思い出しましたね。

 《夕鶴》や《ひかりごけ》《ちゃんちき》などオペラの話題、作曲の話もたくさん出てきました。團さんが、師匠の下總皖一先生から「作曲家としてやっていくならピアノを使わずに作曲しろ。メロディを思いついたとき、そこにピアノがあるとは限らない」といわれて、鍵盤をまさぐらずに作曲する技術を身につけた話も覚えています。僕もピアノを使わずに作曲できますが、その影響ですね。

 作品を振ったことはないけれど、團伊玖磨のことはいろいろ知っている状態なんです。昔からの知り合いみたいな感覚があります(笑)。 

—— そんな團さんの作品についに向き合うことになるわけですね。

 はい、しかも今回は《夕鶴》歌唱経験が“豊富”で、作品が“筋肉”に入ったすばらしいキャストが揃います。つう役の砂川涼子さんは、こういう“献身的に尽くすのに報われないかわいそうな役”をやらせたら右に出る者はいません。《ラ・ボエーム》のミミ、《トゥーランドット》のリュー、《カルメン》のミカエラ、あとは僕の《竹取物語》のかぐや姫もすごく合っています。これは勉強して身につくのではなく、先天的な能力というか、彼女の持ち味です。

砂川涼子(c)Yoshinobu Fukaya

 与ひょう役の清水徹太郎さんも、“情けない男”をやらせたら日本一。根は良い人なのに、悪気がないまま不幸を呼んでしまうキャラクターがうまい。今回は、金目当てに寄ってきた人に乗せられ、大切な愛を失ってしまいます。 

清水徹太郎

—— セミステージ形式のオペラに手応えを感じていますか?

 はい、こうした自主公演は、日本におけるオペラ普及への鍵を握ると思っています。舞台上演だと、大掛かりなセットや衣裳、長い練習期間が必要で、経費が桁違いです。しかしセミステージ形式なら、チケット代も抑えられ、より多くの演目を取り上げられるようになります。もちろんそれは作曲家が想定した形の上演ではないし、演出家育成の観点からは問題があるかもしれませんが、お金が集まったら本格的なオペラをやろうといっているうちに、オペラから遠ざかってしまう状況は避けるべきです。オーケストラがオペラを自主上演することで、オーケストラファン、オペラファンのお客さまが交わり、それぞれの鑑賞の幅が広がることにも期待しています。

 加えてオーケストラにとっても、オペラからシンフォニーコンサートに戻ったとき、オペラで培った表現力、想像力が活かせます。例えばウィーン・フィルの音は、普段オペラを演奏する中で磨き上げられたもの。同じ効果が神奈川フィルにも期待できます。演奏者、企画者、お客さまと、全方向にメリットがあるのがオペラの演奏会形式上演なのです。

 最近の神奈川フィルは、新旧のメンバーが混ざり合い、お互いがリスペクトし合いながら高いモチベーションを維持している、とても良い状態にあります。大いにご期待いただきたいです。

神奈川フィルハーモニー管弦楽団 (c)藤本史昭

神奈川フィルハーモニー管弦楽団
Dramatic Series 歌劇《夕鶴》(セミステージ形式)

2024.4/7(日)15:00 よこすか芸術劇場

團伊玖磨:歌劇《夕鶴》

指揮:沼尻竜典(音楽監督)

出演
つう:砂川涼子
与ひょう:清水徹太郎
運ず:晴雅彦
惣ど:三戸大久
子どもたち:横須賀芸術劇場少年少女合唱団

チケット
S席6500円 A席5500円 B席4500円 ユース(25歳以下)1,500円 シニア(65歳以上)各席種10%割引 

問:神奈川フィル・チケットサービス045-226-5107
https://www.kanaphil.or.jp